目蓋の兄






「よししげ。まだ生きとるとか」
「簡単に死んでたまるか」
 床の上で吉茂は言う。焼けた肌が今はどす黒い。が目が炯々としている。側の者さえそれを恐れている。だがこの男は恐れない。畏れもしない。畏むべきはこちらだと遠い日、父に教わり存じているが、どうして吉茂の性格であるからまずそれを素直に聞き入れる気がなかったし、男を目の前にすると尚のこと頑なになる。それさえ、この男は構わない。自分が畏まらないことを歯牙にもかけない。痩躯だが岩のような男である。心根がまるで岩石である。この男が現れるのは佐嘉が沃野を抱く証だと言う。だがあまりに固く、冷たい。男の目を見ていると、もう幾許もない残りの命が削られるようだ。
「殺しに来たのかよ」
「おいが何ばせんでも、人は勝手に死ぬる」
 吉茂は喉の奥から乾いた笑いを放った。
「わいはよかなあ。死なん身体はよかなあ」
 男は片頬持ち上げる。それ以上の顔は作らなかった。まるで子供扱いだ。子供のように見えていただろうか。およそ甘えることもせず、甘える相手もおらず、権力に振り回され、権力に食らいつき、還暦を過ぎてもなおしがみついて老いさらばえた自分が。
 ――それこそ頑是無い子供にでも見えたのか。
「…死ぬとだろか」
 目の前には老いのない男がいる。次の世も、更に次の世も見つめ、佐嘉は沃野を抱くと、この城に在るのだろうか。
 この男がいなくなった時、藩はどうなるのだろうと、ふと薄ら寒くなった。
「おい」
 炯々たる双眸が男を睨みつけた。
「まだ、帰んなよ」
「怖かとや」
「うつけんごたることば言うな」
 男が障子に隙間を作る。陽はかすかである。しかし天守が焼けて空が広い。堀の水がここまで香る。
 吉茂は男の名を知らない。何と呼べばよいか分からない。
「にいちゃん」
 男は振り向く。
「わいは…誰とや」
「お前の兄ちゃんだろうたい」
 男の顔は逆光で見えない。




2015.7.6 しゃさんの県擬の二次。