宵の都






 自分が何をやったかは分かっている。見ていただけだ。沈黙を守り、人が死ぬのをその一部始終、黙って見ていただけだ。笑ったかもしれない。お前は笑って見ていただろうと言われるかもしれない。ヒトが見ればそう見えるのかもしれぬ。自分の顔はもとよりこうだ。唇の形ももとよりこうだ。実際には鏡に映してしか見たことのない顔だが。
 笑っていただろうか。海風に吹かれて、晩春の香りも熱と血潮に散り散りに、散っては波の底の都へ消えていった。果たして美しいと思ったやもしれない。戦など此一つに限らないのだ。ひと日に産屋ちいほ立とうとも、ひと日に人草のち頭縊り殺さるるが古きよりの約束である。嘆こうこともない。明日はまた産まれる命。それが、着物を散らし、旗を散らし、珠の泡を水面に残して沈んでゆくのだ。先になく、後にも絶えてない。絶景と言わばこれより言うものはない。だから感に堪えぬような目はしたのだろう。それを非人情と言うならば、もとより人の情など持ちあわせはない。
 いいや嫌っている訳ではないのだ。だからこの黒を羽織っている。喪の黒、悼みの黒。あるいは明日の清けきを願おう。ならば白を纏おう。ほら完成だ。見てもみろ。慈愛はそちらが都合で勝手に見出すがいい。自分の手は千の首を受けとめ、波の都に沈めるだろう。
 夜と昼が交互にやって来る。南蛮寺の色ガラスのように、今後にやってきて影で照らす。黄昏が近づき、内海は凪いだ。浦は激しい。逆巻く波が硝子のように昼を映す、夜を映す。一際濃い影はいっとう明るい昼の海。いっそ光るのは暮れの残照を反射したのだ。綺麗だな。見飽きない。すると、ほら今度は自分で分かるのだ。笑っているなと、触れずとも分かるのだ。
 砕けた波から迷い出た、魂が、沈みも得ずに波間を漂う。魂一つ、軽いもの。黄泉への道を開くは海でも浦でもないから、どっちへ行くべきか困っている。ぬっと手を出し、差し招きはしないが、向こうは気づいた。袖の中へすぽんと収まった。喪の、闇の、春宵の黒き袖に一宿を見出したか、さてはて翌朝出て来られるかな。
 ああ、とうとう夜が来た。立ちこめた晩春の香りが、凪の終わりに流される。それを誘ったのは今し方袖に飛び込んだおまえじゃないだろうか。いいさ、と笑う。構うもんか。短い髪さえ揺れると分かるほどの潮風は強く、膚に冷たい。それにさえ目を細める、口元を吊り上げる、笑う。いい宵だね。暗いが天の底まで透けたかと思うほど青くて、ここが波の都のようだ。




2015.4.7 しゃさんの県擬の二次。絵柄まねっこより、山口。