雨と乳






 夕立と呼ぶには季節の早い雨が平野をあまねく濡らして港湾まで出た。停泊した船が一斉に顔色を変え、次の瞬間には水面に無数の白い棘が生える。雨は激しく東京湾に打ち付け、街も道路も慌てた人間達の手によって一気に光で満たされた。橋の赤く光るの、それが雨に烟るの、よく歌謡に歌われる光景ではある。見慣れたものだろうに、東京は窓ガラスに掌を押しつけそれをじっと見つめていた。顔がだんだん近づいて、吐く息がガラスを白く曇らせる。
「珍しいものでもあるまいに?」
「どうしてよ」
「あんたの街、あんたの景色や。見慣れたもんやろう」
「てめえは大阪の街、見飽きるのか」
「見飽きるのと見慣れるのは別や」
「おれはこの街に飽きたことがねえよ。だからいつ見ても面白い」
 綺麗だ、という囁きがまたガラスを曇らせた。
 ホテルは仕事のために借りたものだ。この街が棲まいであれば、東京はそれこそ慣れた下町に帰ればよいはずだ。いつもの地下鉄に揺られ、いつもの街に降り立てば雨の寒さを拭う人情に出会うだろう。それが鉄筋コンクリートの一室に留まる理由を探せば、同じ部屋に大阪がいること、ただそれだけであった。
 久しぶりではあるが急な欲ではない。仕事用のスーツを脱いでハンガーに掛ける慣れた所作に、いつのまにこの小娘がそんなことを覚えたろうと思う。シャツから真っ直ぐに伸びる足はストッキングの締め付けや光沢を抜きにしても、真っ直ぐで、棒のようで、贅肉も脂肪もついていない。小ぶりな尻である。自分の広く丸いそれとは違う。シャツが半分隠す尻をじろじろと見つめるが、東京は一向に気にしていない。恥ずかしくもないらしい。が、気づいてはいる。
「おれの尻が気になるか」
「あんたはちっとも太らない」
「若い証拠さ」
「小娘が。その言葉遣いも何とかなりませんの。いつまでも、おれ、おれ、やなんて」
「おれはおれだもの。今更変える気はねえよ」
「あたしと言ってごらんよ、少しは可愛げが出る」
「んなもん犬に食わせちまえ」
 小娘は窓から離れ、険のある目でベッドの上の大阪を睨みつけた。どすんと膝を突くが、その手に捕まる一歩手前、ひょいと大阪は立ち上がる。
「何だよ」
「あっち向け」
「今更恥ずかしがるこたねえだろ」
「礼儀やゆうとりますの」
 へいへい、と背中を向けるその後ろ姿をちらりと見る。スーツ姿には異色であった、簪が一本、黒くつややかな髪を結っている。あれは鼈甲や。いつ買うたかな…。
 帯を解き、着物を椅子の背にかける。襦袢に手をかけ、自分の身体を見下ろした。乳が張っている。が、小娘の身体に比べれば歳が感じられる。丸くていい尻だと京都は言ったが東京の小娘のような尻が棒のような足が時々無性に羨ましい。今でもこの女は惜しげも無くその足を剥き出しにするのだ。確かにストッキングやスーツに仕舞われる足ではない。自分は着物がよく似合う。自分の好きな格好をしている。だが、ここで襦袢を脱ぎ腰巻きを解くのが何故だか急に恥ずかしい。大阪は怒ったように振り向き、ベッドに腰掛けてぼんやりしている東京を押し倒した。
 シャツのボタンを外すのももどかしく捲り上げると狐色の膚が露わになった上、一丁前にブラジャーをしているのが妙に微笑ましかった。ささやかなものだ。それでいて純白のレース。大阪は喉の奥を楽しげに震わしながら胴に掌を這わせた。平らかな原である。胸もやはり平らかだ。膚はみずみずしくしっとりとしていた。掌に吸い付くような、とはこのような膚だ、そしてそれは女が触れてもまた心地いいのだ、と大阪は目を細めた。
「雨…」
 呟いて腹に頬擦りすると湿った平野の水音が聞こえるようだ。頬もまたぴったりと吸い付いている。
「よせやい。シャワー浴びてねえんだぞ」
「うちかてそうや」
「でも海に入ったんだろう」
「人聞きの悪い言い方せんといて」
「こちとら仕事だってえのによ。海水浴とはいいご身分だ」
 身体を起こした東京はパパッと音のするような素早さでシャツを脱ぎ捨て、ブラジャーを放った。ストッキングを穿いた足がやけにつやつやと光る。
「おまえも脱がねえか…」
 しかし大阪はじっとしていた。東京が手を伸ばして襟を分けた。こぼれる乳房が自分にも重たい。
「乳くせえ」
「それはあんたや」
「どうだか…」
 丸い乳首に吸い付いた東京は、舌に微かに甘いそれを感じたはずだった。掌の触れるもう片方の乳房には白い雫がぬらりと光り滴り落ちていた。
 背中はベッドの上だった。昔を懐かしむような心地よさに大阪は薄く目を閉じた。
「やっぱり乳くさいのはあんたやないの」
 倒れても減らず口は叩いてやる。すると東京は飴玉でも舐めるように舌の上に乳首を転がした。まるで子供だ。喜んで乳をねぶるなんて、やっぱり子供じゃないか。
「なあ」
 東京が切なげに眉を寄せる。
「どうして宿に戻らなかった」
「わざわざ聞くなんて野暮ったらしい…」
「おれは別にどうだって」
「粋なあんたらしくないやないの」
「何もこんな夜によ…」
 東京を烟らせる雨の音は冷たく悲しい。子供が泣くように頑是無く窓に叩きつける。
「これじゃあ、一晩中寝られねえよ…」
 口づけをするのを強く抱き寄せると、乳房を今度は強く掴まれて溢れ出した乳が掌を濡らした。二人とも荒い息をつきながら唇を離す。東京はごくりと唾を飲み込み息を落ち着けた。掌を頬に当てる。舌を伸ばし、舐め取る。
 いそいそとストッキングを脱ぐのを見ると、こちらばかり恥ずかしがっているのも阿呆のようでやっと腰巻きに手が伸びた。まだ脱ぎきっていないのに、東京の身体は膝を割って入った。小ぶりな尻に手を伸ばすと、東京は張った乳房の間に顔を埋める。
「ああ、いいな、ちきしょう」
「あんたも太ればええんや」
「違うわい。ああ、おれも泳ぎてえなあ」
 海、行きてえな、と東京は雫の垂れる乳房に吸い付いた。




2015.3.27 しゃさんの県擬の二次。現代。