イート・アップ! イート・アップ!




 恐竜のジャイロとセックスする夢を見た。夢じゃなければ妄想だった。そうでなければ現実だ。
 でもぼくはキッチンテーブルの上で裸になってるし、逆さまに見えるキッチンは見たこともない水色のタイルで敷き詰められた場所だったし、ジャイロはカウボーイみたいな格好をしてるけれども顔はほぼ曲面でつるりとしていて緑っぽい黒の斑点も浮かんでいて唇なんか耳のあった場所まで裂けてるし覗く歯は化石から削りだしたものみたいに硬そうでゴツゴツしていた。おまけに尻尾。尻尾があるんだ。斑点の浮いた長い尻尾がパシンパシンとタイルの床を打つ。流石に夢だろう。だから夢の中でも慌てなかった。もしこれが妄想ならば後でスローダンサーと砂漠の旅に出てサンディエゴには戻らないでおこう。もしも現実だとしたら、それはそれで構わない。セックスはしたい。相手がジャイロならどんなジャイロとでも。
 心配したのはペニスのことで、ぼくは爬虫類がどんな生殖器を持つのか知らない。馬なら知ってるけど。グロいのかなと考えたけれど想像などしようもなかったし――物凄く安直な想像だった、半透明のソーセージが体液でぬるぬる光っている――、ジャイロは全体的に見たら人間っぽい形を残していたから、ぼくはキッチンテーブルの上でだらしなく脚を広げたまま寄せ集めの知識で棘とか生えていませんようにと祈った。
 下の階は党本部らしくてファニー・ヴァレンタインが拡声器で怒鳴っている。我々はアメリカ合衆国国民として誇りを持ち恐竜とのセックスを禁止しなければならない。カモシカやヘラジカも同様である。魚の総排出腔に出し入れするものは再教育を受ける必要があり、それは国家予算のおよそ三割を圧迫しているのだ。
「今もまた私の頭上では遺体の価値も知らないとるにたらぬ小僧が冒涜的な交接に耽っているのだ。私はジョニィ・ジョースターを許すことができない!」
「凄いよ、ジャイロ」
 ぼくはテーブルから垂らした手をひらひら振って床を指さした。
「ぼくは大統領から嫌われている」
 ヴァレンタインは先代大統領だったはずだ。時間も狂っている。
 拡声器がビンビンと声を張り上げるとタイルの目地から黄色い液体が滲み出し、床を汚してゆく。あれは子供が舐める咳止めシロップの味をしているんだ。苦くて甘い。それを恐竜になったジャイロの素足がびしゃびしゃ踏んで、飛び散る飛沫の人工的な匂いに鼻の奥がツンとなった。冷蔵庫の内側からゴキンベキンと音が聞こえる。サウンドマンがくれたロブスターがセックスの匂いを嗅ぎつけて興奮しているのだ。それは性的興奮ではなくて怒りの表出だと壁に埋め込まれたテレビが喋った。隣には電子レンジの扉が開いていて、イタリアンコーヒーが冷めていた。ぼくらはそれを飲む前にセックスをするのだ。
 ジャイロのベルトのバックルは緩んでいる。ぼくはよく動かない脚をぶるぶる震わせながら――恐いんじゃない勝手に震えるのだ、肉体の勝手な反応――爪先でそれに触れる。すると黄金長方形を模したバックルは二つとも床に落ちてタイルを割った。亀裂が水道管を破ったらしくフッ素入りの水がじわじわと溢れ出しキッチンは浸水する。だがジャイロは気にしていない。勃起しているのはいつも見るのよりサイズが大きい気がしたけどちゃんと人間のペニスの形で、見慣れた形状にぼくはホッとした。
 床上浸水は党本部のがなり声を遮り、キッチンには恐竜のジャイロの荒い息づかいだけが響く。恐竜の前戯は捕食そっくりで、ぼくは挿入される前から肩や首を食いちぎられて死ぬんじゃないかとぼんやり思った。本格的な危機感を抱かなかったのは歯で噛まれるのも心地良かったからだ。舌は言わずもがなだった。それに舐められるだけでぼくは乳首だって立ったし、女の子みたいに濡れるんじゃないかと思ったくらいだ。テーブルの上にはさっきの人工香料とは違う、煮詰めたような甘い香りが広がった。脚の間に白い水たまりができてみるみる広がり、滴り落ちていた。射精はまだしていない。濡れるって言ったってこんなものは出ないだろう。ジャイロは恐竜だからかそれをペロペロと舐めて、やっぱりそれの流れ出したらしいぼくの下半身に舌を這わせる。肌より少し体温の低いぬめぬめしたものが這い回り、ぼくは声を漏らす。身体の内側にもそれは潜り込む。そこからぬめぬめしたものがぼくの身体の内側に触手を這わせ全身の神経を支配したのかと思うほど気持ち良かった。オーガズムに達したぼくは射精するが、そのペニスを恐竜に食べられてしまう。
「ご注意を」
 テレビが言う。食べられる前に電子レンジの中に隠しておけばよかった。喰いちぎられたせいで血がどくどくと流れ出すし痛い。でも意識ははっきりしているし死ぬ気もしない。それに挿入がまだだ。ミルクと唾液と血で濡れた穴はちょっと無理があるかもという小さな心配もあっさり吹き飛ばしペニスを呑み込む。押し込まれるたび傷口から血がドクッドクッと噴き出しジャイロの腹にかかる。最後まで呑み込んだ瞬間は、ぼくの胸のところまで飛んだ。ぼくは自分の血を舐めた。味はしなかった。
 抱擁はない。愛の言葉もない。恐竜のジャイロは快楽を追求し、ぼくの身体はいかに彼から精子を搾り取るかを考えていた。どこにも行けず生命を形作ることのない白い液体をぼくは世界中でこのキッチンテーブルの上に独占したかった。
「聞こえてる? ジャイロ」
 手を伸ばすと舌にべろりと巻き取られる。
「他の女のところに行くなんか許さないぜ。ぼくのが気持ちいいだろ。ぼくのが世界一だって言えよ」
 手を食べられながらぼくはねだる。恐竜のジャイロはぼくの手が美味しいらしくて食べるのに夢中で、肉や血のくちゃくちゃいう音や骨の砕ける音が電子レンジの中に録音された。タイマーは五分でリピート再生はできない。
 交接は永遠に終わらないかに思えた。ぼくの身体が食べ尽くされるのが先か、それともジャイロが溺れ死ぬのが先か。テーブルもぼくの身体もとっくに水に沈んでしまい、フッ素のせいで気力が抜けてゆく。
「セックスの前にわすれてたよ」
 ぼくの口から溢れる泡が喋る。
「何だ」
 水面の上でジャイロが尋ねる。なんだ、喋れるじゃないか。
「キスさ」
 水を掻き分けてジャイロの顔が近づく。黒目がちな瞳に縦に亀裂を入れたような瞳孔は伸縮し、ぼくの睫毛についた水滴に小さいジャイロが映るのまで観察する。スゲェーよく見えるッ!と百二十三年前に録音されたジャイロの声がスピーカーから聞こえた。手乗り馬の権利保護CMを差し置いての臨時放送だ。それは凄く大事なことだ。目の前のジャイロは恐竜のくせに――くせにという言い方は恐竜差別だろうか――神様に赦されたかのような顔をしてぼくの唇に化石のような歯を押しつけた。

 アラームが鳴って、ぼくはすとんと目覚めた。街頭演説がここまで聞こえてきた。ディエゴの所属する党の演説予定はもう数ブロック先の大通りとの角だったはずだ。うるさいな…。ぼんやり考える。夢の全てを覚えてはいない。でも鮮烈に残っている。身体の内側を這う快楽や手を食べられながら感じた独占欲、そして水の中で感じた安心感とジャイロを心の底から信じる気持ち。
 ジャイロを探して両手を伸ばした。広すぎるベッドの両端にも手は届かない。ジャイロもいない。首をひねると目覚まし時計が午前ではあるがこのねぼすけめという時刻を指していた。ぼくはしばらく横になったままシーツを掌で叩きジャイロがいないことを考えた。仕事だろうな。水曜日だ。当たり前だ。
 シーツを捲ったけど夢精した痕跡もなかったし勃起もしていなかった。ぼくはのろのろと起き出して重い足を引き摺り浴室に籠もる。シャワーの下でタイルの壁に額をぶつけながら一人でするのも久しぶりだと思った。濡れたシャワーカーテンが片腕に貼りつき、鮮烈な記憶と溶け合う。なかなか絶頂が見えない。セックスのことを考えているのに。
 ジョニィと呼ぶ声は現実とも夢を再現した妄想とも区別がつきにくかったし、彼はシャワーの音を聞きつけたのかあっという間に浴室のドアを開けて「風呂か?」と尋ねた。ぼくは慌ててシャワーカーテンを掴んでしまい、勢いでたたらを踏んだ足がバスタブの曲面で滑って尻餅をつき、ビニールのカーテンはばりばりと音を立てて剥がれた。
「おいおい何やってんだよ」
「君こそ何してんのさ」
「夜勤明けだぞオレは。いたわれ」
 そこで鼻がくん、と動いてまさかバレるのかと心配するけどまさか。
「怪我はないか」
 伸びてきた手はシャワーを止め、まだその場に留まっている。
「…立てるか?」
「……どういう意味で?」
「言葉通りの意味だ」
 ドアの向こうには見慣れたぼくらの部屋がある。見慣れたリビング。見慣れたテーブル。テレビも、そしてキッチンの電子レンジも正しい場所にあるだろう。
 ジャイロ。
 人間の形をしたジャイロ。
「今すぐ服を脱いで、ぼくをベッドに連れてってくれ」
 ジャイロは肩を竦める。
「おまえが偉そうなのは今に始まったことじゃない」
 それから服を脱ぎ始めた。ぼくはバックルの行方を見た。下着が下ろされて目にしたもののサイズを確かめた。でもその大きさは視覚によるより身体の方がよく知っている。
 ベッドで明るい陽に包まれてぼくは息を吐く。ジャイロが濡れた冷たい髪にキスをし、それが無性に懐かしい。せがむ前に唇にキスは落ちた。ぼくは手で無理矢理ジャイロの口をこじ開け、歯を確認した。ジャイロの歯だ。時々ぼくの身体につけられる歯形ぴったりの形。ジャイロは口の中に突っ込まれたぼくの指を噛む。舌が吸う。熱い。じわっと指先に生まれた熱は一瞬にしてぼくの身体中の体温を上げた。
「あのさ、すごくしたいんだけど」
 ぼくが言うとジャイロの目はいたずらっぽく笑う。
「でも、君をただじっと抱き締めてたい、それだけしたいとも思う」
「この状態でか」
「口でしていい?」
 結局ジャイロはイかないまま眠り込んで、ぼくはちょっと顎がくたびれるくらいだったんだけど、眠り込んだジャイロを宣言通りただじっと抱き締める。そのまま夢の内容を思いだそうとしたが、ディテールは霞み映画のあらすじの上にぼんやりモザイクをかけたような要領を得ない映像が断片的に流れるだけだった。
 表でサイレンが鳴る。ジャイロの頭の向こうにある目覚まし時計を見る。正午だ。ぼくはジャイロの身体をシーツで覆い、自分の脚で立ち上がり昼食を作る。電子レンジを開ける時だけ、心臓で火花が散ったかのようにドキドキした。ターンテーブルの上には冷めたコーヒーが乗っていた。



2013.11.7