サクロサンクトサクリファイス 11
入口に佇み、部屋の静けさに耳をすました。窓は隣の建物か何かで半分暗がりに溶けていたが、もう半分にはぽつぽつと点った街灯の侘びしい光が浮かんでいた。さっきまでソファ周辺を占拠していた本の山は本棚に片付けられることなく、床の上に積まれていた。ジョニィはドア口に佇み、息を整えた。これからしようとしていることは慣れたことであるとは言え、素裸で他人の部屋にいるのは妙な心地だった。まさか自分にあったのかという羞恥をジョニィは胸の奥に感じた。それはこの静かすぎる部屋のせいかもしれなかった。背徳感があった。これから悪いことをするのだ。おそらく、ジャイロの親切と彼の心の領域、その全てに背く。だが背徳感はジョニィを足止めしない。寧ろ高揚もあった。ジャイロ・ツェペリを落としてやろう。今夜一晩だけではない、ここにずっと置かざるを得ないようにしてやる。 足音を立てないようにベッドに近づき、手を伸ばした。寝息を聞こうとしたが、はっきりしたものは聞こえなかった。ちゃんと眠っているのだろうか。勿論、途中で起こしはするのだが。でなければ話にならない。 シーツの上から脚に触れる。胸の中で嘆息し、手に力を込めた。引き締まった脚。力強い筋肉。ふと意識が過去に飛ぶ。後ろ姿を思い出す。病院の、ベッドを囲むカーテンを閉めて出て行こうとする後ろ姿。それは今日の夕方と重なった。追いかける。ジャイロはきっと振り切ることもできたのだ。しかしその歩調は最後までジョニィのついてゆけるペースだった。 シーツを剥ぐと男の無防備な姿が晒された。ジョニィは太腿から手を滑らせ下着ごしにそれに触れた。意識して手を押しつけながら、実は及び腰になっている自分に気がついた。ただのモノと変わらないと思おうとしても、顔は勝手に紅潮し胸が早くなる。大丈夫だ、と自分に言い聞かせながら下着をずらし手の中に掴む。 「おい」 低い声に打たれたようで芯から驚いた。 「何してる」 ジャイロは眠気も見せず瞼を開いてじっとこちらを見つめていた。目覚めてもらわなければ困るとは思ったが、これで起きない方がおかしい。 声にも視線にも怒気はなかった。冷たく見つめられジョニィの胸も少し落ち着いた。唇を歪めて笑みを作る。 「この状態で尋ねるの?」 「何をしているかきいてるんだ」 「分からない?」 手の中のものにキスをし、それがわざとやってみせたというよりも自然に起きた行動で、ジョニィはその先をもう考えなかった。唇を開く。舌に触れるものを、嫌悪しなかった。 ディエゴがしゃぶらせることを滅多にしなかったのは、ジョニィがよも噛み切りはしないかという危惧もあったからだろう。ジョニィもチャンスがあればそうしたに違いない。それにジョニィを征服するにはフェラチオの強制をせずとも、作られた穴があった。そこを自分のもので満たせばディエゴは充分だったのだ。 口の中にジャイロのものをくわえ込みながらジョニィは自分の熱心さに酔いそうだった。汚れるものを持ち合わせていないとは言ってもペニスはジョニィを傷つける道具だった。機械的な扱いではなく、慣れていない舌を一生懸命に使いながら、これが硬くなってほしいと本当に思うようになった。だがいつまで経ってもジャイロのそれは充分な状態にはならなかった。ジョニィは行為を施すことに没頭したが、それでも次第に顎がだるく唇も痺れ疲れ始め一度口を離さなければならなかった。 「もうやめろ」 「なんで…」 「ソファで寝ろ。今夜は許してやる。約束だからな」 「なんでさ」 「なんででもだ。出て行け。寝ろ」 「なんで立たないんだよ」 「そんなじゃあな」 無理だ、と言うジャイロの声には言い聞かせる響きがあった。 「いくらおまえさんが頑張ってもな、立たねえよ」 「なんでだよ!」 急に大声を上げたジョニィに驚いたのか、ジャイロもわずかに引き気味になり目を剥いた。 「どうして! ぼくがこんなにしてるのに立たないなんておかしい!」 「おいおい、それ握ったまま逆ギレすんな…!」 いいから落ち着け、とジャイロの手が触れた瞬間涙がこぼれだして、そのまま子供のようにあられもなく泣いた。手にはジャイロのものを握ったままで、ベッドに横たわったままの男は不安の中に焦りを覗かせたが、ジョニィが泣き止まない上に手を離させようとすると余計に力を入れることから結局諦めて枕に頭を落とした。ジョニィはそのまま、もうしばらく泣いた。 一気に混乱の渦に陥った寝室に響くのが間を空けたしゃっくりだけになった頃、ジャイロがもう一度声をかけた。 「手を離せよ」 それでもジョニィは手の中のものを名残惜しく握り込んだ。 「ジョニィ」 辛抱強く名前が呼ばれる。声は胸をすり抜けて直接心臓に届いた。もっと呼んでほしかった。呼ばれても呼ばれても足りない。 すっかり萎えたものを横たえ、ジョニィは溜息をついた。 「…ずっとこの部屋に置いてほしいと思ったんだ」 ジャイロは口を挟まず、下半身を下着の中に収めると軽く起き上がったままジョニィの言葉を聞いた。 「寝れば手っ取り早いと思った。ぼくの名前はジョニィ・ジョースターだけど、身体は君の知っているとおりだし、それに」 ディエゴは仕込むことよりも蹂躙することに情熱を傾けたが、ルーチンであれ経験はそれなりの自信ではあり。 「落とせる自信があった」 ジャイロは無理だとは繰り返さなかったので、ジョニィは自分の胸の中にその言葉を思い出し自嘲気味な短い息を吐いた。 「明日、出て行くよ」 ベッドを離れ、ソファに辿り着く時にはまた脚が萎えていた。ジャイロはその姿も声さえ追ってくる気配がなく、当然だとは思った。とにかく一眠りする。今日は一日でいろんなことがありすぎた。最後になんとも締まらない展開になったものの、うまくいかない人生にも慣れてきたところだ。明日か…明後日には笑えるだろう。 ソファの上の静けさは優しかった。あれだけの醜態を晒したジョニィをやさしく包み込む。ジョニィはもう一度部屋を眺めた。テーブルに椅子は一脚。隅で沈黙するチェロ。肖像画は暗くて見えない。だがそれら全てジャイロの心の一部なのだと思った。なんだかんだでやさしい男なのだ。面倒見がよく、掌の中のものを放っておけない。神の掌からこぼれ落ちビルの七十八階から墜落した自分だ。やさしい男の掌もすり抜けて、今度こそこの貧しき世界に、自分に相応しい地獄に落ちる。 眠気に狭まる瞼の間、暗闇の中に見覚えのあるブーツを見た。ニコラス、と名を呼ぶことはしなかった。たとえこのニューヨークの街に独りでも、世界中から見放されても、これからはいつも一緒だろうから。 |