サクロサンクトサクリファイス 2




 撃たれる夢を見る。繰り返す。一部は過去の記憶だ。ジョニィは実際、十七歳のある日街角で撃たれた。犯人は少年だったと言う。よく覚えていない。衝撃、意識の断絶、記憶の喪失。目覚めた時にはベッドの上でクソを漏らしていた。次に目覚めた時は青白く眩しい照明の真下にいた。そしてまた次に目覚めた時、点滴と心電図だけが時を刻みそこには何もなかった。何もない部屋のベッドの上に横たえられていた。既にペニスはなく股間には新しい穴が開いていたが様々な痛みに押し潰されて、その事実に気づくには時間がかかった。痛みが傷と正確に結びつき、喪失を、穿たれた無を知らしめるには。
 あの時銃で撃たれなければこんなことにはならなかった。何故撃たれたのだろう。覚えていない。斜め後ろを見下ろした、そこにはまだうっすらと煙を上げる銃口があった。デリンジャー。小さな銃だった。それっぽっちのもので、と思ったが威力は抜群だった。ジョニィは下半身の自由をなくし、地位と名誉をなくし、友人をなくしたくさんいた彼女をなくしもっとたくさんいた取り巻きをなくし、生活の自由を選択の自由を尊重されて生きる一人の人間であるという権利をなくし、帰る家をなくした。しかし家族をなくしはしなかった、と考えている。そんなものは最初からなかった。父はとうにジョニィを見捨てていた。兄は遥か昔に死んだ。
 夢の中には銃を持った人間が登場する。最初の一瞬だけ、犯人の顔を思い出せるような気がする。しかし少年の顔はどこの誰とも分からない肉の形に崩れ、夢はやり直す。女の顔になる。最後に付き合っていた彼女だと思う。撃たれたのはデートの最中だった。彼女が撃ったのだろうか。友人の顔にもなる。自分が見捨てた友人の顔にも。過去に出会った顔が次から次へと入れ替わり立ち替わりジョニィの目の前に現れ銃を突きつける。だがまだだ。トリガーは引かれない。
 父の姿になる。父は涙を流すが、それはジョニィのために流されたものではない。両手で銃を握りしめ、神様…と父は呟く。あなたは連れてゆく子どもを間違えた。引き金が引かれるのと同時に乾いた音がする。ジョニィの脇腹からは血が噴き出す。ジョニィは膝から崩れ落ちるが、まだ倒れない。
 最後に現れるのはニコラスだ。死んだ兄。ニコラスは悲しそうな顔をする。わずかに潤んだ目の中にあるのは少しの非難と虚無だった。ガラス玉のような虚無の瞳を、ほんの少しの非難が潤している。ジョニィはその目に見つめられ、胸の前で両手を組む。神を信じる。ニコラスの腕は真っ直ぐジョニィに向かって伸ばされ、そして出し抜けに引き金が引かれる。デリンジャーから発射された最後の弾はジョニィの心臓を貫く。
 夢の中のその光景まで辿り着いて、ジョニィはようやく本当に眠ることができる。意識を失う本物の眠りに落ちる。ニコラスが引き金を引くまでは延々と悪夢の中を彷徨い続ける。様々な人間に撃たれる。夢の中でさえ、脊髄が千切れてしまいそうだ。血にまみれながらジョニィは最後の時を待つ。自分から死にたいと思ったことはない。死ななければならないという強迫観念に駆られたこともない。ただ、いつか全てを奪われるだろうと思っている。命も魂も何もかも。自分のせいでニコラスが死んだという、罪は一歩一歩鉄の爪でジョニィの背後に迫る。過去を抉り、削り取り、最後にはジョニィに追いつく。それが宿命だとジョニィは受け容れている。ただそれだけだ。
 それを思うと目覚めているこの時間こそ宿命の目から逃れているモラトリアムの時間だった。ジョニィは爪先で揺れる小さな布きれを見つめた。幾重にも重なるレースに飾られた女性用の下着はさっきまで自分の穿いていたものだった。真夜中のオフィスで、ディエゴの広い机の上、ピンク色のベビードールを着てセックスしている自分は生と死の間に挟まれているような気がした。
 虚無的な気分だが不感症を装うことはできない。痛みもだが、これだけ揺さぶられれば喘いでしまう。高く響く声は確かに女の嬌声で、それはかつて自分の腕の中にあった彼女の口から漏れ耳にし興奮したものなのに、今は自分の口から溢れるものなのだ。セックスの記憶、興奮の記憶、いたわりなどなく突き上げられる痛み。それでもどこかに快楽がある。慣れ、だ。痛みも快楽も表裏一体なのだ。
 監視カメラがこちらを向いていた。モニターの向こうにいるのはサンドマンだろう。角度はディエゴによって指示されている。多分向こうからディエゴの顔は見えない。今、自分の上に跨がり舌なめずりをしている顔は。サンドマンが見たいのはこの顔なのだろうが。サンドマンにとってジョニィの裂け目、ディエゴのペニスが出入りする結合部など見たくもないはずだ。
 サンドマンはディエゴに自分のペニスを突っ込みたいのだろうか。一度直截尋ねたことがある。サンドマンは何も言わず、そしてジョニィにも何もしなかった。しかし怒っていた。きっと図星だ。
 ごつ、と頭が机にぶつかる。重厚なマホガニーの机。ここでやるのもお馴染みだ。ディエゴはジョニィの髪を掴み、顎から目の上までねっとりと舐め上げる。思いの外、舌は冷たい。
「気を散らすな。何を考えていた」
「お前の汚ぇクソ穴のことだよ、ディエゴ」
 殴られた。殴りながらもディエゴは抜き差しをやめなかった。射精されたのを痛みと熱さでぼんやりしながら感じた。射精して尚、ディエゴはやめなかった。当然だ。まだ二回目なのだ。殴られながらジョニィは笑っているつもりだが、顔が歪んで涙が出ただけだった。
 ディエゴ・ブランドーにペニスを突っ込んだ男は何人もいるかもしれないが、ジョニィが男に突っ込んだのはディエゴだけだった。やはり十七の時だ。デリンジャーで撃たれる前だ。脚はまだ動いていた。誘いをかけてきたのはディエゴで、多分ディエゴは今のような状態に持っていくつもりだったのだろうが、その時卑怯な手だろうが汚い手だろうが先手を打ったのはジョニィだった。薬で意識朦朧としているディエゴを犯しながら、ジョニィは奇妙な感覚に囚われていた。感じたのは嗜虐心というより復讐心に近かった。ディエゴが悲鳴を漏らすたびにジョニィは興奮した。
 ディエゴはニコラスと寝たことがあるのだ。
 それだけがジョニィに男の、その中でも触りたくもない最たる存在の尻に突っ込ませるという決断をさせ、実行させた。
 ペニスを、自分は持っていたのだ。
 自分は弟だった。ニコラスの弟で、ニコラスは歳の離れた自分をとても可愛がってくれた。それなのに何故ニコラスはいなくなってしまったのだろう。(自分が死なせたのだ。)ニコラスは正しかった。優秀だった。そして自分を導いてくれると言った。一緒に世界を駆け回ろうと約束した。ジョニィはこのビルの七十八階と八十一階から出たことがない。この二年間、一度もない。もしもニコラスがいたら…。
「あぁ……」
 ジョニィは暗い天井に手を伸ばした。机の側に佇んだニコラスがガラス玉のような虚ろな目でじっと見下ろしていた。助けてほしい。でも見られたくない。
「兄さ……」
 酷い音がして腕を机の上に縫い止められた。ニコラスの幻は消えた。目の前ではディエゴが嘲笑し、長い舌でべろりとジョニィの唇を舐めた。



2013.8.23