サクロサンクトサクリファイス 1




 ジリリ、とベルが古めかしい音で鳴り響いた。ジョニィはベッドの上で目覚め、習慣的に首を巡らせた。壁に埋め込まれたデジタル時計の数字は午後一時過ぎだった。今朝は五時に目覚め、一仕事をすませて再び眠りに落ちた。疲労が強かったので時計は見ていなかったが六時から七時の間だったと思う。冷たいシャワーを浴びた身体はベッドの上で冷え切っていた。シーツの上に、自分が寝転んだ分だけ皺が寄っていた。
 ベルはもう一度鳴った。
「六番、会議室」
 スピーカーからまるで録音テープのように無感情な声が指示を出した。ジョニィはベッドの端に腰掛け、頭を掻いた。これから五分以内に支度をし、指定された場所へ顔を出さなければならない。しかし六番は珍しかった。スーツだ。
 歩行器もあったが、室内には至る所に手摺りが取りつけられていて、クローゼットまでの移動は苦労しなかった。この程度ならいつものことだ。手摺りを使わなくとも、這ってでもいける。わずかなりとも脚が動くならばそうしないが。
 補装具を着けたところでロックの解除される音がした。ジョニィは歩行器を一瞥したが、クローゼットに幾本か用意されて杖を手に取った。柄は銀色で馬の頭を象ったものだ。目に嵌め込まれたのは本物のダイヤだが、ジョニィにその感慨はない。
 部屋を出ると、サンドマンが立っていた。
「あと一分だ」
 部屋の中に置き去りにされた歩行器を見たが、サンドマンにもジョニィの選択が正しいことは分かっている。
 急かされながら暗い廊下を進み、小さなエレヴェーターに乗り込む。ボタンのほとんどは空白だった。七十八階。そのフロアにしか用はない。行き先は必ず七十八階だ。ジョニィは自分がいるのが何階なのかも正しくは知らないのだ。エレヴェーターの動く速度から三階上の八十一階だろうとは思っているけれども、大して重要な数字ではなかった。
 エレヴェーターが止まる。サンドマンも一緒に出て、ジョニィの背後にぴったりつく。このフロアのことなら分かっている。会議室の位置も知っているが、これはサンドマンの義務だ。そして会議室の外で待つ。ドアを開ける時だけ、サンドマンは少しジョニィの前に出た。その横顔は何も考えていないようだった。考えたくもないのだろう。
 会議室は寒いほどだった。スーツを着ていてもそう感じた。広い部屋の一面はガラス張りで、ニューヨークの景色を一望することができた。真夏の眩しすぎる陽が摩天楼を照らす。その輝きも熱気も喧噪も、厚いガラスの向こうだった。そして窓を背に佇んでいるシルエットはこちらを振り向き、唇を歪めた。
「遅いぞ。二分遅刻だ」
 ディエゴ・ブランドーは指先で腕時計の文字盤を叩き、言った。ジョニィは部屋に一歩踏み入っただけの場所から動かず、また表情もほとんど変えず言葉を返した。
「遅れてるのはお前の時計だろ、安物だ」
 するとディエゴはニヤニヤ笑って腕時計を撫でていたが、不意にその手を振った。背後のドアが酷い音を立てた。ジョニィは投げつけられ、足下に落ちた時計を見た。知っている。この文字盤にもダイヤが嵌め込まれている。
「来い」
 ディエゴは命令した。ジョニィが自分から動かなかったからだ。仕方なく脚を動かし、目の前に立つ。
「服を脱げ」
 命令されても動かないでいると頬を張られた。手の甲がひどくジョニィの頬を打ち据えた。
「脱がないのか」
 シャツに両手をかけられ思い切り左右に裂かれる。ボタンが弾け飛んだ。勢いよく飛んだ一つ二つがガラスにぶつかって小さく硬質な音を立てた。
 それでもジョニィは動かなかった。今日はもう二度目だった。日に二度、三度とはある話だったが気が乗らなかった。そもそも気が乗ったことなどないし、気が乗らないからと言って拒否できるものではない。反抗した分、仕打ちは自分に来る。
 無理矢理ズボンを引き下ろされ半分露わになった尻を押し広げられる。だがディエゴの指は更に奥まった場所へと滑る。指先がそれを抓み引き摺り出すのからジョニィは目を背けようとして、髪を掴まれガラスに打ちつけられた。
 服を全部脱がされた。勿論補装具も外された。でなければ脱げない。ジョニィはガラスに両手をつき、腰を大きく突きだした。望まなくてもその格好になった。ディエゴの両手が腰を支える。前準備も潤滑ゼリーもなしの挿入だった。痛い。
 腰を打ちつけられるのに合わせて、ジョニィの額もごつごつとガラスにぶつかった。絨毯の上には引き裂かれた服と、さっきまで体内に埋め込まれていたものが落ちていた。シリコン樹脂でできたそれはディエゴの性器と同じ形をしている。
 ジョニィはさっき目を逸らした自分の股間を見た。陰毛の生えていないそこには、本来あるべきものがない。ジョナサン・ジョースターというジョースター家の次男として生まれた、男として生まれた証が。つるりとした股間には傷痕さえ残っておらず、そして見たくもないディエゴのペニスがもう一つ開いた余分な穴に出入りするのが見えた。ジョニィは冷たいガラスに顔を押しつけた。激しく揺さぶられ額がごつりと音を立てた。
 ガラスの向こうにはニューヨーク、マンハッタン。たとえここが七十八階とは言え、外からこの様子を見ることは不可能ではない。窓を拭く清掃人、ヘリ、スーパーマンや蜘蛛男といったヒーローもこのセックスを見たら驚くだろうか。ディエゴは見せびらかしたいのだ。清掃人だ一人二人のヒーローだとケチなことは言わない。こうやって全世界に見せびらかしているのだ、ジョニィ・ジョースターというトロフィーを。これは勝ち取った記念品であり、ディエゴの復讐の証だ。
 イくのにひどく時間がかかる訳ではない。しかしディエゴは一度始めたらなかなか終わらせない。一度の射精程度ではジョニィを解放しない。結局一時間近い時間が経っていた。もう身体を支えることができず床に倒れたジョニィを尻目にディエゴはさっさと身なりを整え会議室から出て行った。これから再び仕事をするのだ。
 入れ替わりにサンドマンが部屋に入ってきて入った。
「三分で部屋を出ろ。清掃が入ったらすぐに会議で使用する」
「こんなクサイ部屋で?」
「だから清掃を入れる」
 サンドマンは手助けをしない。ジョニィはシャツを羽織った。ボタンがほとんど残っていなかったが、上着を着て誤魔化した。補装具は乱暴に扱われたせいで関節部が壊れかけていたがとにかく装着した。
 明るい廊下を抜けエレヴェーターの前に立つ。
 ちらりと視線を遣ると非常階段の扉が目に入る。他にもトイレの表示。否、ここは七十八階だ。非常階段だろう。それとも隣のエレヴェーター。全てのボタンに階数の表示があるエレヴェーター…。
 どれだけ考えても無駄なことだった。背後にはサンドマンがぴったりと寄り添っていた。もしジョニィが逃げ出す素振りを見せればサンドマンは容赦なく刺す。ジョニィの側に立つ時、サンドマンの手の中には常にナイフがある。それはもう何度もジョニィの血を吸っていた。サンドマンは非常に腕のいい男で、後で治療されると刺された痕はほとんど分からなかった。どこをどう刺せばいいかをサンドマンは知っている。刺しながら、まず最初に応急手当をするのもサンドマンなのだ。ジョニィに残る傷跡は腰の銃創だけ。
 あとは股間に開いた穴。
 男が本来持つはずのない穴。
 開かれ、押し広げられ作られた、ペニスを受け入れるためだけの穴。何かを生み出す訳ではない。ジョニィに子宮はない。ジョニィは男として生まれたのだ。この世に生を受けた時、股間にあったのは確かにペニスと陰嚢だった。身体の中には卵を生み出す器官も、それを育てる肉の器もない。
 あるのはただ穿たれた穴。
 行き止まりのトンネル。
 エレヴェーターが到着する。ジョニィは数階上にある自分の部屋に戻される。サンドマンは何も、一言も言わずドアを閉じる。ジョニィは扉にもたれかかり、身体を支える。
 部屋は広く、明かり取りのため丸く刳り抜かれた窓から薄いアリスブルーの青空が見えた。ベッドはシーツが取り替えられ、皺一つなかった。開けっ放しだったクローゼットも閉じている。多分、服が補充されているだろう。
 ジョニィは歩行器に頼って歩いたが、あまりに脚に力が入らず倒れてしまった。這いずりながら浴室に向かった。真っ白なタイルに囲まれ、眩しいと思う。服を着たまま蛇口を捻った。冷たいシャワーが雨のように降り注いだ。雨に濡れたことなどもう二年間、一度もない。
 ジョニィは股間に手を伸ばした。熱を持っているのが分かる。服を脱ぐと、下着にディエゴの精液と血がついていた。洗って抗生剤を塗らなければならない。正直、動きたくなかったがジョニィはそうすることができた。痛いし、疲労もしていたが、慣れてもいた。十七歳のあの日から、これはジョニィの日常だった。毎日この中で生活している。マンハッタンの高層ビルのワンフロアで寝て起きてディエゴとセックスをしてセックスをしてセックスをして、また眠る。
「ぼくは人間だ…」
 冷たいシャワーに打たれながらジョニィは呟く。
「ジョニィ・ジョースター」
 鏡に近づき両手を突く。鏡に映った上半身は締まった筋肉を持っているが、今や男性のものとは言い難い。そこには確かに乳房もあった。自分の掌で包むよりも小さいが、それは確かに乳房で、冷たい水に打たれた乳首はつんと上を向いていた。股間を見下ろす。シャワーに打たれてぼやけた視界の中にも、幻でさえそれは存在しない。つるりと滑るなだらかな丘。
 ジョニィは鏡に顔を寄せ、鏡の中の自分と頬を触れ合わせながら囁いた。
「ジョニィ・ジョースター」
 目を瞑り、繰り返す。
「ぼくの名前はジョニィ・ジョースター」
 だがその声も高く、掠れていた。



2013.8.22