あなたのはだえに春のさかり







 目が覚めると夕刻だった。窓は開け放したままだった。最中からそうだった。パッショーネの屋敷は静かで、庭の花々を揺らす風が窓から入り込み、ぬるい空気の流れになってゆるやかに膚の上を滑った。先に目覚めたジョルノは黄金の夕陽の眩しさに目を細めながら、窓に向かって微笑んだ。
 隣に横たわるミスタは枕を抱くように俯せている。まさかの心配もしないが、ジョルノはその首筋に顔を埋め、息を潜めじっと耳をすました。頬に、鼻に、眉間に馴染むミスタの体温。自分の生活の一部となった汗の匂い。更に意識を潜らせると相手の首筋から、脈打つのが、音というより膚を直接叩き肉体の奥に沈んでゆく振動として伝わってくる。ジョルノは隣の枕に顔を埋めて笑い声を殺した。ふふ、と枕が震えた。
 シーツはもう脚にしか引っかかっていなかった。それもミスタがほとんど取ってしまっていたから、ジョルノはほとんど裸のままだった。
「ミスタ」
 不意に真顔になって呼ぶがミスタは目を覚まさない。気持ちのいい夕方だ。いつまでも眠っていられるだろう。ジョルノはミスタの尻から脚へ向けて手を滑らせた。
 シーツの上を黄金の残像が滑る。ゴールド・エクスペリエンスの掌だ。
 触れる先から波紋が広がりシーツは生き物のように波打つ。それはミスタの脈と同じ速度だ。ジョルノはそれを子どものように無垢な目で眺めている。
 横たわるジョルノの腰を跨ぐようにゴールド・エクスペリエンスの姿は現れ、ジョルノの望むままミスタの周囲のものに触れる。シーツは風にのって浮かび上がると魚のエイのように部屋を泳ぎ、庭へ出て行った。枕は花びらとなって散る。ジョルノが手を伸ばしてミスタの腰を抱くとゴールド・エクスペリエンスの腕は更に伸びて、椅子の背にかけられたミスタのワードローブを手乗りの馬に変えた。馬はコトコトと蹄の音を鳴らしベッドの周りを走り回っていたが、窓の下で恋しそうに夕景の空を見上げた。ゴールド・エクスペリエンスはベッドを跨ぐと、掌に子馬を載せ庭へ放った。
 大きなくしゃみが響く。自分のくしゃみで目を覚ましたミスタが、頬の下に敷かれた花びらの意味が分からず手で払う。赤い花弁はサワサワと音を立てて床に落ちた。
「ジョルノ?」
「おはようございます」
「もう夕方かよ」
 腹へった、とミスタは言いまたくしゃみをした。
「微妙に寒ィ」
 黒目がちな瞳が感情を見せずジョルノを見る。ジョルノは微笑みを返す。ミスタの目は部屋をぐるりと見回してゴールド・エクスペリエンスの姿を探した。シーツが消えたのも、ベッドの上から散らばる花びらもそれの仕業以外にないことは分かっている。そのうち、自分の服が消えているのにも気づいた。
 再びジョルノ?と尋ねた時には、当の本人は立ち上がってそしらぬ顔で自分の下着を探していた。
「ジョルノ、オレの服」
 ジョルノは黙って自分のシャツを放る。
「おい、下」
「セクシーですよ」
「こういうのってよ、お前の方だろ、普通」
「普通、ですか?」
 ジョルノは拾い上げた下着を穿かず掴んだままベッドの上に膝をついた。
「気に入りませんか?」
「こういうセクシーはお前の仕事だろ」
 ミスタはシャツをぬるい空気の中ふわりと舞わせ、ジョルノの肩にかけた。
 しかしシャツはジョルノの肩に触れた瞬間、金色に輝く羽となって散る。ミスタには金色の掌も見えなかった。羽はふわりふわりと揺れるたびにそれ以外の何かに姿を変えた。蝶に、魚に、鳥に。また羽が散る。部屋に満ちるかぐわしい香り。窓から吹き込む風に花びらが舞い上がる。赤い花弁の間を蝶が逃げる。
 気がついた時にはミスタは鱗だらけのベッドの上、素裸のまま胡座をかいていた。
 また大きなくしゃみが出た。ジョルノもまた一糸纏わぬ姿のまま窓辺に佇み、恥じる様子もなく夕陽にその身を晒している。
 ミスタはようやく自分で起き出し、箪笥の扉を開いた。
「服がないぜ、ジョルノ」
「フーゴに持ってこさせましょう」
「いじめかよ…」
「まさか」
 ねえ、フーゴ、と庭に呼びかけると、少々お待ちを、とフーゴの返事が聞こえる。
「丸見えじゃねえか」
「窓を開けたままって言ったのはミスタですよ」
 あいつ何してたんだ、とミスタは尋ねるともなし呟いた。ジョルノは見ていた。フーゴは花を摘んでいた。今宵も十字架の前に捧げる花だった。
 新しい服を持ってきたフーゴは今更何に驚くことがあろうかという様子で部屋に踏み込み、ジョルノに袖を通させる。
「おい、オレのは」
「解放感のあるのがお好きなんでしょう?」
 ミスタの言葉にフーゴは笑いもせず答える。ミスタが顔を歪めて、てめえ、とすごんでみせても一向に気にかけない。それどころかジョルノが身支度を調えると、夕食の支度はできていますとジョルノだけを連れて行こうとする。
「おい、フーゴ、おい」
「君が僕を部屋に入れさせないんだろう」
「にしたってお前、シャツ一枚くらい持ってくるもんだろ」
「僕がきいたのはジョジョの命令だ」
「オレはナンバースリーだぜ」
「かもしれませんね。ジョジョ、ポルナレフさんがお待ちです」
 ミスタが枕のあった場所に手を滑らせるが、銃はそこにはない。ガサガサと手で探っても花びらが散るばかりだ。フーゴは流石にパープルヘイズを出現させることはしなかったものの、それなりにやる気ではあるようだ。
 ジョルノはそんな二人を眺めているのも楽しんでいたが、ミスタがまたくしゃみをしたので、窓辺に寄った。
「返してあげるんですか」
 とフーゴ。
「ジョルノ、お前やっぱり」
 とミスタ。
 口笛を吹くと庭を円軌道を描き駆けていた手乗り馬が脚を止めて振り向いた。ミスタも、一歩離れてフーゴも窓から外を覗く。
 あれか、とミスタが呟いた。
「おい、オレのシャツ」
 その時、ジョルノが一つ手を叩いた。背からそれを見ていたフーゴには見えなかった。ミスタも庭の手乗り馬しか見ていなかった。黄金の掌が叩いたのを見なかった。
 パン!とよく響いたその音はミスタが裸であることも忘れ、フーゴが思わず背を伸ばすほどだった。骨の奥に響き、魂を震わせた。
 それを合図としたかのように手乗り馬は庭を駆け抜け、春の花園を見えなくなった。
「…おい、オレのシャツどこいった」
「君のシャツじゃない、馬ですよ」
 フーゴが言う。
 ジョルノも窓辺にもたれかかり、馬の駆け抜けた軌跡を見つめた。
「馬は野を駆けてこそ美しい」
「ジョルノ、だからあれオレのシャツだろ」
「ええ」
 ミスタは自分の部屋に入ることをフーゴに許さず、フーゴもまたミスタのために服を持ってくることを承知しなかったので、結局意地を張ったミスタは真っ裸のまま食堂に向かった。ブーツは生き物に変えられることなく残っていたので、銃があるというだけでまあ文句はないらしい。その姿のまま食堂につくと、亀が声を上げて笑った。
 春の日がゆるゆると暮れる。思いの外、いつもの夕食が始まる。耳をすますと、時々、庭をかける小さな蹄の音が聞こえる気がした。



2013.6.9 さば様のリクエスト。ジョルノとミスタ、ネアポリス、春。