お前の咲く庭







「助けられなかった」
 とジョルノは呟き膝から崩れ落ちた。その時ミスタが見たのは決して見ることなどないだろうと思っていたジョルノの涙だった。
「赦してください…」
 静かに唇を噛みしめ涙をこぼすジョルノの前に膝をつき軽く引き寄せると額がこつんと音を立てて触れ合った。不思議な香りがふわりと溢れ出した。バラの香りのような不思議な匂いだった。それはジョルノの涙が床の上に落ちるごとに強く香り、何もない部屋を満たす。死体が一つ転がっている以外、何もない部屋。沈黙と死の眠りに沈む部屋が急に生きるものの匂いで溢れかえる。
 ミスタは床を見下ろした。涙に濡れた床からじわじわと何かが生まれだしていた。それはジョルノの力を失った脚にもじわじわと侵蝕しているように見えた。
 花が咲く。
 花が咲いては枯れ、落ちた種が芽吹きまた花が咲く。恐ろしいほどのスピードで生命のサイクルは繰り返され、その中でミスタが見たのは急速に老いてゆくジョルノの脚、ぼろぼろと服も崩れ白骨化する脚で、それが芽吹きと共に再び肉を纏うこの世ならざる光景だった。
「…そのへんにしとけ、ジョルノ」
 死体はもう形もなかった。花の養分とされ、咲いては散り、床の――この世ならざる花園のどこにも、その姿はなかった。その中で自分だけ正常を保っていることにミスタは気づかないふりをしながら、泣くなよ、プリン買ってやるからよ、と子ども騙しな慰めを吐く。プリンという言葉を聞いたジョルノが自分に向かって手を伸ばして、眼球を掴まれる、と思った瞬間、別の部品を肉体に作りかえて治療されるのは痛かったあのヴェネツィアの早朝の記憶が蘇り、逆に肉体をプリンに変えられるのは痛いのだろうかと心配した。ジョルノの能力は生命を与えることであり、ものをプリンに作りかえるものではないと気づいたのは目が覚めてからだ。
 昨夜はセックスの後、自分の部屋に戻った。それから眠った。まだ時間も早かったからだ。ジョルノは根を詰めることはないが、それでも時にはたっぷり楽しませて眠らせてやらなければとミスタは思うことがある。小難しそうな本を読んでいる時など特にだ。(ジョルノ自身は難しい本を読むことを楽しんでいるのかもしれないけれど)。
 顔を洗い、ジョルノが首筋につけたキスマークを見る。あのジョルノでも泣きたい時があるのか。それともそんなジョルノを見てみたいという願望だろうか。いや、深い意味などないただの夢…。
 まだ朝は早かったが朝食もそこそこに、身支度だけ調えて屋敷に向かった。ジョルノは朝露に濡れる中庭でフーゴの淹れたコーヒーを飲んでいた。
「ミスタ?」
「よう」
 ミスタは遠慮無くジョルノの向かいに座り、首を捻ってジョルノの視線の先にあったものを確かめた。春浅い庭。朝露に濡れる若葉。花の色。胸いっぱいに空気を吸い込む。濡れた土と草の匂いがする。
「ミスタ?」
 もう一度ジョルノが尋ねた。ミスタはテーブルの下を覗き込んでジョルノの脚を確かめた。
「どうしたんです?」
「別に…」
 そこへフーゴが花をいけた花瓶を抱えてやってきた。ミスタは鼻をひくつかせる。夢の中でかいだ香りだ。バラ…白いバラの香り。
 フーゴは淡々と今日の仕事について告げ、ついでのようにミスタには仕事が下る。要人と会談をするジョルノの警護だ。
 頬杖をついて唇を尖らせると、不満ですか、とジョルノが尋ねた。
「いや。気乗りはしねーがな」
「休んでも構いませんよ。フーゴと行きます」
「いい。オレが行く」
 コーヒーを掴もうとした手を取り引き寄せる。額がこつんと音を立てて触れ合う。
「…どうしたんです?」
「どうもしねーよ」
 ジョルノの唇が鼻先を掠めた。朝露の匂いがする。泣いてはいない。泣くとしたら未来だ。今日の午後か、それとももっと遅くか。襟の上からキスマークを掻くと、今度はジョルノがその手を取って、ひどく綺麗に笑った。
 泣かないのだろう。そう確信し、ミスタは昨夜の夢と現実のキスを飲み干した。



2013.5.23