サイバーカウボーイ・ミッドナイト・ラン
真夜中を報せるアラームが奏でる音楽。午前零時が丸い地球の表面を移動する、その奏でにぼくらは耳をすませる。 「目を瞑って」 ぼくが言うとジャイロは素直にそれに従う。 瞼の裏の闇はぼくらが生きていた時の記憶だ。その闇の色に世界を合わせる。真夜中の空の色だ。 「そして瞼を開くんだ」 暗闇にぼんやりと光の地図が浮かび上がる。通信量を示す白い光が夜景のように各都市の形を露わにし地図を描き出すのだ。 「…妙な地図だな」 「これが今の地球らしいよ」 「アメリカは…あのあたりか?」 「君の故郷は分かり易いよ」 ぼくらは地図の上を歩き、拡大する。色んな国の形が変わったけど長靴型の半島は今も健在だ。そのやや南寄りの海辺の都市。ネアポリス。 地図の上を踏むと、ぼくらはその上空に立っている。もちろん電脳の海に建つ街だ。しかしこれがお国柄なのだろう。視覚化されたそれは歴史ある古い街並みを再現するように凝ったものだった。攻性防壁特有の艶を消し、石造りの壁のように見せかけたそれ。そういうエフェクトに凝ってしまうと防壁そのものの強度はちょっと疑問の残るものになってしまうけれど、隣に佇むジャイロが懐かしそうな顔をしているから別にいいか、と思う。きっとこの国の人々、ネアポリスに今も暮らす人々も同じように感じ、電脳世界のこの街を築き上げたのだ。 墓石のビル群とを隔てる鏡面はマリンブルーの美しい海。きっと同じイタリアでも名に聞くベニスはそもそもの水上都市だ、更に美しいだろう。せっかくだから観光でもしようか、と持ちかけると、ヴェネツィア、と正された。ぼくは片手を上げる。 「ヴェネツィア。アメリカは横断したから、今度は君の国を一周するのも悪くない」 「まあ、期待できそうだな。この街を見ても」 「あの……」 後ろから声をかけられ振り向くとスロー・ダンサーに跨がった城字がいる。 「どうしたんだ、城字」 「いや、お二人さん完ッ全に僕のこと忘れてましたよね」 「忘れちゃあいねえぜ」 「そうそう」 「忘れねばこそ思い出さず候って言葉がありましてね?」 「いいじゃないか、約束どおり馬に乗せてやってるんだ。ぼくがスロー・ダンサーのことを放っておくはずがないだろ」 「結局馬じゃん!」 「相棒だ、ぼくの」 ぼくとジャイロが再会したのはいいものの、喜んでばかりもいられず、何故ジャイロはキャピトルヒルにアタックをかけていたのかとか、ジャイロを目覚めさせたのは誰なのかとか、ぼくらの今後についても話し合う必要があり、せっかくなら落ち着ける場所で誰にも邪魔されずゆっくり話そうということになって、どこがいいかなあ、と地図を見ながら探していたのだった。 勿論、スロー・ダンサーに乗ってついてくるこの城字は現代のジョジョとして、またぼくを目覚めさせた責任もあってぼくらに随伴している。でも半分くらいは謎があればそれに引き寄せられる名探偵の習性みたいなもんなんだろう。 「いいや、ここからは本当に君の力を借りないと、城字。ぼくらはここの地理に詳しくないんだ」 「オレの家も残ってねえだろうしな」 ぼくはちらりとジャイロを見る。ジャイロはまだ真夜中のネアポリスを見下ろしている。艶消しのされた防壁、まるで石畳の道、その下に眠る黒いビル群。 ジャイロは目覚めてからまだこの街を訪れていなかったのだろうか。 「イタリアかぁ…」 城字がキーを叩くように指先を動かすとぼくらの目の前には仄かに発光する何枚かの写真と地図が浮かび上がる。 「ネーロネーロ島の友達に連絡とっても…あーいやヤバイなあ、これ機密やし、ナランチャは口軽そうだし…、あ、ヴェネツィア」 「君も観光する気なんじゃないか」 「じゃないですよ!そうや、ジョセフが作ったエアサプレーナ島」 「作った?」 「ヴェネツィアの北にある小島です」 城字がキーを叩いたのだろう。目の前でエアサプレーナ島という文字が瞬き、視界が転じる。 ヴェネツィアの光を背にぼくらは海の上に立っている。真っ黒な海だ。 「暗いな」 ジャイロが言った。スロー・ダンサーの鼻息が聞こえる。足下が見えないせいで不安から興奮しかけている。 電脳世界には月がない。というかぼくらがこの視覚化された世界でそれをイメージしていない。ジャイロが急にぼくの腕を取った。 「まだこのボロをつけてるのか?」 「ぼくの記憶にあるのはこれだからね」 ジャイロが覗き込んだのはぼくの腕時計。彼はそれを取り上げると暗闇の中に落とした。 暗闇に姿を現したのはブレゲの文字盤、歯車仕掛けの月だ。平べったい月はぼくらの足下、中空に海面と平行に浮かぶ。ジャイロはゆっくりと動く長針の上に下り立ち、ぼくに手を伸ばす。ぼくは彼の手をとって針の上に足をつける。スロー・ダンサーは歯車の上に下りて、カポカポと蹄の音を立てながらゆっくりと歩く。そこに跨がる城字はちょっとニヤニヤした笑いを浮かべてぼくらを見る。 ぼくとジャイロはブレゲの月の縁に並んで電脳の水面を見下ろした。 「どこにも島なんかないぜ?」 「防壁…?ステルス…?」 「ジョセフ…ジョニィさんの孫もジョセフって名前でしょ。エアサプレーナ島はジョニィさんたちの一巡前の宇宙に生まれたジョセフが若い頃修行した島なんです。この宇宙には存在しないんやけど、ここの海になら作れるってジョセフめっちゃ張り切って、ぼくが生まれる前には勝手に島を作っちゃったんですよ」 「…お前の孫の先祖もなかなかやるな」 「まあね。で、どうして見えないんだ」 「隠れ家が見えちゃしょーがないやろ?」 確かにそうだ。ぼくが指を鳴らすとブレゲの月はばらばらに分解して海に向かって落ちる。どれも海面に届く前にマトリクスの破片になって淡い雨のように降り注ぐ。 「ジョニィ」 いつの間にかジャイロはヴァルキリーを呼んでいて、片腕でぼくを引き寄せ自分の前に乗せる。ぼくはヴァルキリーと勝利の女神の話を思い出して一瞬ヒヤッとするけど、そういえばぼくは男だった。それにしたって二人乗りはしたことがないから――しがみついたことはある――なんだかドキドキする。 馬は海面を音もなく歩き、城字が何もないかのように見える空間に手を伸ばし鍵穴を見つける。 大きな門が開いた。その瞬間、扉の形が分かったが、ぼくらはすぐに島の内部に踏み込んでいた。そこは中央に大きな柱の立つ円形の島で、中庭には清らかな満月の光が射している。 「月が…?」 「ここから見る空は防壁の内側ですから」 「ああ…天球に見せかけているのか」 ぼくらは馬を下りると外周の建物のうち、南向きの、ヴェネツィアの夜景を眺めることのできる二階のテラスに腰を落ち着けることにした。 「絶好のロケーションにワインもないのは寂しいがな」 ジャイロは海の向こうの電脳の灯を見つめている。ぼくは大理石のテーブルの上にワインと、それをなみなみと注いだグラスを作り上げた。ジャイロはちらっとぼくを見る。ぼくは素知らぬ顔で肩を竦めてみせる。単なるギミックだけど気分って大事だろ。 こほん、と城字が咳払いをする。 「大丈夫だよ、忘れてないって」 「それは重畳です…」 ぼくはジャイロに向き直り、単刀直入に言った。 「ヴァレンタイン大統領だったらぼくが爪弾を撃ち込んだじゃないか」 「ああ。見てたぜ。黄金の回転…」 「君の教えだよ…」 「もうあの時は胸がスッとするとか、そういうことはどうでもよくなっていた。オレは納得してたんだ、オレの行動にも、お前のやったことにも。ただな……目が覚めてみてよぉ、世界を見渡してみてよぉ、あの下ぶくれの顔を見ちまったらよぉぉ、一発殴りたくもなるってもんだろーが!」 うーん…確かに。時間的にはあれから何百兆年という歳月が流れているんだけど、目覚めたぼくらにとってあの時の感情や感覚は地続きのリアルだ。思い返せばジャイロはファーストステージでペナルティの順位降格をくらった時もスティール氏に対する怒りを隠さなかった。あれと似ている。 「と言うことは君の狙いは隣の公文書館」 「似たような顔がいくつもちらちらしてたぜ」 「大体どの宇宙でも大統領になってるらしいからね」 「孫のファニエストってのもいますよ」 と城字。 「まとめて殴っていいか」 「やめてください。立場的な話だけじゃなくて、結構親しいんです」 「だってさ。もうやめとけよ」 「オレだけじゃない。ついでにフィラデルフィアでのお前の分も利子付けて返してやろうと思ってよ。おまえだってあのツラ見たらどうだよ」 ジャイロがぼくの目の前で手を振ると、残像の中にボール・ブレイカーの力で薄くなったICEを透かして見えるファニー・ヴァレンタインの引き攣った顔。 「…まあ、軽くタスクで殴るくらいは」 「軽く、な。ACT4だろ」 「当然」 ぼくらは笑いながら額を付き合わせる。ようやくぼくもジャイロも本気で、まあいいか、って気分になってきた。確かにこの下ぶくれを見ていると思い出すものがたくさんあるけど、ぼくは遺体を奪われても自分の脚で立ち上がることができるようになった。ヴァレンタインを殺して他の世界のジャイロを連れて来る可能性を潰したけど、こうしてジャイロとまた会えた。借りはぼくの爪弾でとっくに返している。 「あのー、お二人さん」 「どうしたんだい、城字。まだ何か疑問が?」 「いや、大事な話がまだだってのもあるんですけど、二人とも近づきすぎじゃないですか…?」 ぼくとジャイロは間近で顔を見合わせ、さて、と疑問の表情を浮かべる。 「テーブルに並ぶくらいするさ」 「おまえだってあの究極生命体とやらを隣に置いてんじゃねーか、ジョージ・ジョースター」 カーズはね…と返事をしつつ、でも、と城字は指先でテーブルを叩く。 「この下でさっきから何やってんですか」 こつ、こつ、と音。 「ほら、ジャイロ、怒られた」 「おまえが先にソレを当ててきたんだろうが、ジョニィ」 「卑猥な言い方はやめろよ。爪先でつついただけだろ?」 「じゃあオレだって爪先でつつき返しただけだぜ」 さっきから触れ合わせていた爪先で今度こそお互いの脚を軽く蹴りながら、ぼくらはお互いにおまえのせいだと言い合い笑う。 「くっそリア充め!!」 城字が爆発しテーブルを引っ繰り返す。大理石のテーブルはマトリクスの緑色に砕け散った。ぼくらは肩を並べて笑う。城字が指さした手をぶんぶん振り回すのもおかまいなし。 「そーじゃなくて!ジャイロさん!あんたどうして目覚めてるんですか?」 確かにそこは大事な問題だった。ぼくも歴代ジョジョをとおして少しは情報を共有していたから一巡前の宇宙にもツェペリの名を持つ男たちがいたことは知っている。ぼくではないジョナサン・ジョースターの波紋の師、ウィル・A・ツェペリ。自分の青春時代を親友と過ごした島を電脳の海に再現したジョセフのその親友、シーザー・アントニオ・ツェペリ。…この名前については色々ジャイロと話したい――というかからかってやりたい――こともあるんだけど、ここでおかしいのは城字がジャイロの復活について情報を持っていないことだ。 もしツェペリ家の彼らがジャイロを目覚めさせたのだとしたら、おそらく現役のジョジョである城字もそれを把握しているだろう。しかしそうではない。城字はジャイロが何故目覚めたのかを知りたがっている。 ジャイロは膝を組み、挑発的に城字を見た。 「それを突き止めるのが名探偵の仕事じゃねーのか?」 「言ってくれますね。確かに証拠を集め推理をし真実に到達するのは僕の仕事ですけど」 城字もジャイロの視線に若干ひるみつつ、退かない。 「ログを辿っても出て来ない。あなたは突然この電脳世界に現れた。マトリクスの裂け目からあなたのボール・ブレイカーと、黄金の軌跡と一緒に」 ぼくはジャイロを見つめる。城字もじっとジャイロを見つめている。 「あなたは、誰ですか?」 ジャイロは、ふ、と笑うとぼくを振り返った。 「……ジョニィ、オレは誰に見える?」 「ジャイロだ…。ジャイロ・ツェペリだよ」 「その証明が必要らしい」 「Q.E.D.と言わせてほしいですね」 城字の疑いの眼差しは真実を求める真摯な眼差しだ。ジャイロは、分かった、と頷いた。 「ジョニィ、あれ、いくぞ」 「まさか…ジャイロ?」 「覚えてるな」 「覚えてる。が…」 ジャイロの眼差しも真剣だ。 「分かったよ」 ぼくもとうとう頷いた。 「城字、この世にぼくとジャイロしか知らないことがある。でも君はぼくの記憶を覗いて、それを知っているはずだ」 「ええ。証拠は何度も再生しました」 「ぼくの自閉空間で、だね」 「ジョニィさんの中でだけ」 「いいだろう」 そしてジャイロは歌い出す。ぼくはコーラスをする。 チーズの歌。 一番はピザ・モッツァレラで、レラレラの繰り返し。二番はゴルゴンゾーラだ。 ジャイロは実に気分良さそうに歌い、ぼくは真顔でコーラスを続ける。目の前の城字はぽかんとしている。 中庭からヴァルキリーのいななきが聞こえた。ジャイロの歌声に反応しているんだ。スロー・ダンサーは草でも食べているのかな、静かだ。 月光の落ちる照らす、ヴェネツィアの夜景を海の向こうに眺める素晴らしい舞台で何百兆年ぶりのチーズの歌は高らかに響いた。
2013.5.8
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