サンド・アンド・サッドネス







 これは孤独なのだろうか。孤独の寂しさだろうか。宇宙の茫漠としてなにもない暗闇に、星の光から何億年と離れた何もない場所にぽんと放り出されるよりも、きっと今の方が心許なく、全ての人、全ての存在と離れていると感じた。砂漠の真ん中で、容赦なく照りつける太陽に照らされて、そう思った。
 目を焼く太陽の光。このまま身体中の水分が逃げていってからからに干涸らびて死ぬ。このまま何もせず佇んでいたならばそうだろう。でも想像できない。ぼくは永遠に砂漠に佇んでいる。死からも生からも遠く離れて、永遠に。どこにも辿り着かない魂が空転し続ける虚しさ。永遠に眩しく、永遠に虚しい、永遠にどこにも辿り着かない。
「ジョニィ!」
 嗄れた大声で呼ばれて振り向くとジャイロが怒鳴っている。
「自殺願望がねーんだったら日陰に入れ」
 ぼくは頷くのも億劫で首を垂れる。汗が目に入ってすごく痛かった。
 ハイウェイ脇に止まったままの車は、天井もボンネットもフライパンみたいに焼けている。それをしばし見捨ててぼくとジャイロは岩陰に座り込む。誰かが車を盗むかもって?ボンネットで目玉焼きが作れそうな上にエンストした車でよければね。
「ったく、おめーはよぉ」
 ジャイロが隣に座り込んだぼくにペットボトルの水を私ながら呆れる。
「泣くほどのこたねえだろ」
「は?」
「エンストくらい日が沈めば何とでもしてやる」
「誰が?」
「オレが」
「じゃなくて誰が泣いてるって?」
 ジャイロは心底驚いたようにまじまじとぼくの顔を見、黙ってペットボトルを取り上げると頭から水を振りかけた。
 ぼくは怒らなかった。濡れた顔を拭う。汗か、水か、それとも涙なのか。
 ずぶ濡れになればもう分からない。
「汗が、目にしみて」
「そうかよ」
「痛い」
 ジャイロの服を引っ張って顔を拭く。
「やめろ」
「ありがと」
 ジャイロが押し返そうとした時にはもう拭い終えた後だ。
「こんなところで死ぬかよ。ハイウェイのど真ん中だぜ?」
「違うよ。こわかったんじゃない。死ぬのがこわくて泣くとか、そんな子どもみたいなこと、今更ないよ」
「死ぬ事はこわくない…?そう言えるのか?ジョニィ」
「死ぬよりもこわいことがあるとは思う。でも、そうだな」
 ぼくは目元を拭ってまだ痛む目を閉じ、瞼の上から指で揉んだ。
「分かった。泣いたのは認めてもいい。でも涙をこぼしたのは恐怖からじゃない。むしろ逆のものだよ。ぼくは孤独を思った。冷たい宇宙に一人放り出されるのと今とどちらが孤独だろうって。ぼくには今ここに佇んでいる方が寂しかった。宇宙よりも、ここに佇んでいる方が全てから遠く離れている…離されているように感じたんだ。全ての生きた人々、賑やかな街、咲く花からも、雨からも水からも。そしてこのまま干涸らびるのかもしれないと思ったけど、君がいるなあって思ったら特にこわいと思えることもなくて、君を思えば強くなれる自分に感動した」
「いや、そこはオレという存在に感動しろよ」
「してるから泣いたんだろ」
 溜息をつきペットボトルの底に残ったぬるい水を飲み干す。
「ああ。やっと落ち着いた」
「そりゃお疲れさん」
 ジャイロはぼくの頭につばの広い自分の帽子を被せ、彼自身溜息をつくように少し笑った。
「ちなみに死ぬよりもこわいことってのは何よ」
「何」
「教えてくれないのか?」
「教えてほしいの?」
 じっとぼくを見つめる目。表情そのものはからかうように笑った印象だけど、その目はぼくの心のどこまでも見通すような不思議な色をしていて、彼の吐いた科白以上に雄弁だ。でもぼくは首を振る。
「言わないよ」
「おい。期待させといてそりゃねえだろ」
「言わない」
 頑なになるつもりはない。意地とかじゃなくて、これは、このことはぼくらの間で言葉にされるべきことじゃないんだ。
 ケチ、しみったれ、と言いながら迫るジャイロを拳で押し返しながら、ぼくは笑う。口元の歪むにやりとした笑い。ジャイロ、君を失うことがこわいと思うなら、ぼくは君と共にある未来を紡ぐだけなんだ。そのためにこの脚を動かし、行為し、決断し、歩くだけなんだよ。ぼくはずっと考えているんだ。君とバンドを組んでいるだけじゃない、君と一緒に暮らしているだけじゃない、君に相応しい男になるってことをね。
 ハイウェイを砂埃を巻き上げてトラックが走ってゆく。砂煙の向こうに蜃気楼を見る。幻のような蹄の音を聞く。ああ、とぼくは溜息をついた。
「スロー・ダンサーに会いたい」
「もうホームシックか」
「なあ、君は考えなかったか。車じゃなくて馬でこの砂漠を渡ること。馬に乗ってこの大陸を駆けることを」
 するとジャイロは今度は正真正銘、その目も口元も真剣そのものの表情になり言った。
「オレは何度も夢に見たぜ」

 日が暮れかけて、ぼくらはようやく一台の車に停まってもらいガソリンを分けてもらう。ここで出会ったのがブンブーン一家で、この後車を盗まれそうになったりやり返したりと色々あったんだけどそれを手紙に書くには疲れ切ってしまった。
 結局手紙は写真を一枚だけ、砂漠のど真ん中のミセス・ロビンスンのカフェで撮ったのの上に一言書き殴る。
 ――エンストしました!



2013.4.20