ストレイライン
ダニーの夢を見た。 いつものことだけど気分が悪い。降り積もった雪を口の中に突っ込み無理矢理噛み砕いて吐き出す。口の中に残った雪はじゃりじゃりと細かな氷の塊になって、更にもぐもぐ口を動かしている内に冷たい水に溶けて喉の奥へと滑り落ちた。 白い雪。 白い鼠。 目を瞑ると夜明け前の白い景色が青い残像になって瞼の中に残る。その中に一際濃い影があって、それがジャイロだった。眠っている。雪に埋もれるように。 瞼を開くと朝の近づく気配が森の向こうからじわじわと近づいてくる。それはぼくの眼球に心地良く馴染んだ。これから日が昇るまで、ぼくはしばらく夢のことを忘れるだろう。火を熾して、朝食を支度し、出発に向けて動き出す間。 雪の上で手を握りしめると小さな雪の塊ができる。 白い、小さな塊。 ぼくはそれを遠くへ放り、新しい雪をまた口に入れた。 「…何やってんだ」 「おはよう、ジャイロ」 視界の端でもぞもぞと雪が動く。青い影が払われて、帽子を脱いだジャイロが目を細めこっちを見ている。 「美味いか?」 「普通」 「腹壊すなよ」 口の中に残った雪を吐き出し、ぼくはのそのそと動き出した。 ダニーの夢を見る。 今でも見る。 うなされてはいないと思う。ぼくにそう指摘した人は誰もいない。一緒に寝た女の子も、もう二ヶ月も一緒にいるジャイロも。ジャイロが指摘しないってことはうなされてないってことなんだろう。大体…もう十年くらい見てる夢なのにさ、いちいちうなされてたら身体がもたないじゃないか。 「さみ…」 ジャイロが焚き火に手をかざす。湯はまだ沸いていない。 「寒いね」 ぼくも当たり前のことを言う。すると大して感情の籠もっていない科白を吐いたぼくをじっと見つめ、ジャイロが手招きをする。雪の上を這うように近づくと軽く抱き寄せられ、 「おはようさん」 と囁かれた。 目を伏せる。嬉しいのは半分、以上。当たり前の言葉を返してくれるのも嬉しい。ただ、ふっと浮き上がるような心がいつも動かない足下を気にしていて、そこにぽっかり大きな黒い口が開いてやしないかと恐れている。ほら、足下を白い鼠が横切ったりしていないか?雪が白いから、近づかれても見分けがつかないんじゃないのか?気づけば…。 冷たいままのジャイロの手がぼくの頬を抓み、強く引っ張る。 「何だよ」 ただでさえ気分が悪かったんだ。心底不機嫌を隠さず言ってやると、朝っぱらから辛気くさい面してると幸運も逃げるぜ、と笑いの絶えない男は言う。口元から覗く金色の歯。GO!GO!だもんね、君。 噛みつかれたくなった。でも歯磨き前のキスは御法度だ。こんな雪の森の中でも。 口の中に雪の塊を突っ込んでやると思ったよりジャイロは怒って、あ、結構本気かもと危機感を覚えたぼくは砂漠でやったみたいに久しぶりに爪で雪の中に潜りながら逃げる。どーしてくれよーか!とジャイロが追いかけてくる。馬鹿みたいだ。まだ朝食も摂っていないのに。 ある夜、ジャイロの夢を見る。 本当に眠って見た夢なのか分からない。焚き火の向こうに彼の背中がある。ぼくは全てを剥かれた裸の上に白い毛皮を着せられている。それがにちゃにちゃと音を立てながら皮膚に同化する。ぼくは小さな声でジャイロの名前を呼ぶ。助けてほしいけど、どうしてぼくが毛皮を着なきゃいけないのか、それを説明する勇気がなくて。 僕は白い野鼠になる。ジャイロの目の前を走ろうとすると鉄球を軽くぶつけられて昏倒し、皮を剥かれて焼いて食べられる。 目が覚めると小屋の中で、荒れ狂う吹雪がみしみしと梁を軋ませていた。 火は絶えていなかった。ぼくは追加の小枝を放り込み、しばらく炎に向かって凍えた瞼や頬を溶かしていた。 振り返るとジャイロが眠っていた。多分、眠る前に見た姿のままだった。ぼくは身体を傾け、そっと顔を寄せた。寝息が頬にかかる。よかった、生きてる。 小枝に火がついて炎が大きくなる。橙色の明かりに照らされてぼくは、眠るジャイロを眺め続ける。ジャイロって耳の裏まで綺麗なんだなとか、思って触れない。
2013.1.31
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