ジョイ・アンド・ライド







 ジャイロは時々ふとした瞬間にぼくを恐がっているらしくて、ぼくらのコンビネーションは時々一心同体なんじゃないかと思うくらいなのに、それでもぼくら二人の男で別々の肉体と別々の魂で生きてるんだなあと思うと、この人生でジャイロに出会えたことを感謝せずにはいられない。大事なものに気づくのはそれを失った時が多いけど、ジャイロに関してはそうでなかったことをぼくは本気で神に感謝している。
 で、ぼくが神様に感謝している間にジャイロはぼくに不気味な何かを感じ取っているらしくて、浴室のタイルの床にぐったりと腰を下ろしたり、黙ってビールを飲んだり、じっとぼくを見つめたりする。キス待ちみたいな顔だ。一度なんか――その時ぼくはもう寝ぼけていたんだけど――ジャイロはこんなことを言ったんだ。
「いいぜ。抱けよ」
 ウケるってレベルじゃない。笑い出しはしなかったけどぼくはすっかり目が覚めた。
 結局、寝てはいない。彼のことを抱いてはね。だってぼくのぼくったらいまだに役立たずなんだ。立ちションできるだけありがたいんだ。でもジャイロはそんなぼくの身体に触ってくれて――ぼくはまだ約束を果たしていないのに、まだベッドの上で服を脱いでいないのに――それを掴んでくれた。
 腰の骨が痺れた。ああ、サンクス・ゴッド。ジャイロとジャイロの掌をありがとう。あの夜のことを翌朝には忘れた態度でいたけれど、ぼくはひっそりと覚えていて、一人の時間には何度も思い返す。抱けよ、だって。ぼくは心底嬉しくなる。で、本当に抱きたいなあ君のこと、と思う。
 ミシシッピー川の手前は曇り空だった。セントルイスに着いたのは午前中だった。シカゴへの道を急ぎたかったんだけど、河の手前で遅い朝食を摂りながらだらだらしていたら、コーヒーのおかわりが重なって、昼になって、それでもぼくらは他愛もない下らないことをだらだら喋っていて、ジャイロが「傑作が浮かんだ。ヤバイぜ。これはやべえ」って言い出すから車に戻ってちょっとギターを練習し、夕方そのままストリートライブをすることにした。結局、この街で一泊だ。
 年内にニューヨークまで辿り着きたくて最近ちょっと急いでいたから、久しぶりにだらだらしたり歌ったりするとスケジュールがどうのっていうのも気にならなくなり、随分軽くなった。ぼくはホテルで久しぶりに湯を張ったバスタブでリラックスする。
 あったまった身体が眠気を誘いふらふらしながら浴室を出ると、ベッドの上では全裸のジャイロが脚を組んでテレビを観ていた。リモコンで次から次へと番組を変える。
「つまんねえなあ。もう一曲歌いに行くか」
「もういい」
 ぼくは佇んだままタオルで髪を拭うふりをしてジャイロの裸を見る。
 初めて見る訳じゃない。でもいつの間にか髪を拭くふりも忘れてぼくはじっと見つめている。何度もぼくを抱えてくれた腕。腹は旅行を始める前より少し痩せた?運転運転の毎日でアルコールの量は減ったけど、今までだって別に太ってた訳じゃない。それにそこは今そんなに重要じゃない。組んだ脚の内股と内股の間。縮れ毛の暗い陰り。言い訳っぽく聞こえるかもしれないけど、エロい興奮とか性的興味から眺めた訳じゃなかった。うーん、やっぱり言い訳かな。だって、見えたら気になるだろ。
 ジャイロはぼくの視線に最初から気づいていて、際どいところで足を揺らしてみせる。ストリッパーじゃないんだからさ。ぼくはわざとテレビの前を横切り、荷物の中から彼の服を取り出して投げつけた。
「風邪引く」
「医者の不養生ってやつだな」
 ジャイロはおどけたしぐさでパンツを穿き、ぼすんと音を立ててベッドに尻を落とした。この前はぼくのことをこわがってたくせに今夜はやけに挑発的だ。久しぶりのライブで調子が戻ったのかな。
 まだ下着姿のぼくをジャイロは手招きして自分の隣に座らせようとするけど、ぼくはそれを無視して彼の足下に腰を下ろす。組んだ脚を解かせて片脚、ぼくの膝の上に乗せる。掌で揉むと、お、いいねえ、とオジンくさいことを言った。でも実際ぼくのマッサージは上手いんだ。自分の足で慣れてるから。
 足の裏、踵や土踏まずを手指の関節で押し、ふくらはぎは掌を使って揉む。血液が流れるのを促すように何度も往復する。
「上手いな。本当に気持ちいい…」
「俯せになりなよ。もっとやってあげる」
 その言葉にジャイロは素直に甘える。ぼくは彼の上に跨がり腰から背中に掌を這わせる。それにあわせてゆっくりと息を吐きながらジャイロは動物が喉を慣らすような呻き声を上げた。
「そうやって声を上げるとマジでオジンくさい」
「おう、年長者はいたわれ」
「開き直ったな?」
 ぼくは彼の背中に手を滑らせ、そのままずるずると俯せになる。
「ねえ」
 耳の側に囁く。
「気持ちいい?」
「ああ」
 すぐそばに目を瞑った穏やかな顔。ふらふらと彷徨った手がぼくの頭に触れてくしゃくしゃと生乾きの髪を掻き回す。
 ジャイロ、とぼくは自分の腰を押しつけた。ジャイロは喉の奥で笑った。
「…こわくない?」
「今は、な」
「掘られるのがこわい?」
 ジャイロの瞼が静かに持ち上がった。彼は目を細めたままぼくを見つめ、指先でぼくの顔にかかる髪を払った。
「おまえがイイ男すぎてこわい」
「ぼくは君のこと、こわくないよ」
「ずりーな」
 鯨の背中に生えた椰子の木みたいにぼくの身体は揺れてベッドの上に落ちる。ジャイロはぼくの上に覆い被さり、言う。
「これでもか?」
 笑ってる。でも目の奥は本気。
 ぼくは手を伸ばし、長い髪が雪崩れて彼の顔を隠そうとするのを払う。
「こわくてもいい」
 キスと、抱きしめる腕。密着した腰に感じる、ジャイロの自己主張。羨ましい。手を伸ばすと彼が息を吐いた。首筋をざわつかせる、熱い息。触る。ぼくは目を瞑り、それを手の中に握り込む。
 そのままじっとしていると、あの、と声をかけられた。
「まさかの生殺しですか?」
「イヤ?」
「そりゃおまえ…」
 しかしその先は溜息と笑い声になって、ジョニィ、ジョニィ、と耳元に囁かれた。ぼくは掌にじんわりと力を込める。まだ完全に硬くはなっていないそれが切なく震えているのはジャイロ自身だろうか、それともぼくの手だろうか。
「熱い」
「おまえのせいだぜ」
「うん」
 ぼくはゆっくり眠くなる。

 朝日が昇り金色に輝くミシシッピー川をぼくらは渡る。服を着たままの朝だって気分はいい。パンツが半分脱げかけていたジャイロにごめんと謝ったら、納得しているのだからいいのだという返事だった。でも貸しのリストにまた一行書き足したんだろ?
 ミシシッピー川を渡りきったところで、ぼくは横からハンドルを掴んで無理矢理車を停めさせる。橋のたもとに急停止したぼくらを後続車がクラクションを鳴らしながら追い抜いてゆく。
「ジャイロ」
 ぼくがキスをすると、ジャイロは真面目な顔で言った。
「おまえ、本当にイイ男すぎてマジでこわいわ」
 ぼくはそう言って腰砕けのキスをしてくるジャイロの方がこわいっていうか、朝一番だからちょっと真面目なこと言うと、そういう彼のこと尊敬してます。



2013.3.14