6 ウニカ・イン・サンディエゴ







「ジャイロ、テレビにファニー・ヴァレンタインが出てる」
「何だって?」
 キッチンに向かって声をかける。尋ね返すジャイロの返事。スクランブルエッグを作る音で聞こえないみたいだ。ぼくはヴァレンタインの名前を繰り返しテレビの音量をちょっと上げた。
 フライパンや皿の賑やかな音が止んで、彼はトレーの上にぼくらの朝食、もう片手にコーヒーのカップを二つ掴んで姿を現す。ぼくは手を伸ばしてコーヒーカップを受け取った。
「ヴァレンタインだよ」
 ぼくはリモコンでテレビを指す。
「体重戻ったなあ」
 朝食の皿をテーブルに並べながらジャイロが言った。
「任期中は激ヤセしてたもんね」
 コーヒーに一口つけると、いい香りが口いっぱいに広がって一日の目覚めを宣言する。ぼくらは朝食を摂りながらテレビを眺めた。下院選が迫り、このところ朝のニュースはこれ一色だ。
 ファニー・ヴァレンタイン前大統領がサンディエゴを訪れたのは応援演説のためだった。しかもディエゴ・ブランドーの。
 ディエゴは無党派層や若年層からの支持率が高い。保守派の多いサンディエゴでは今のところ現職支持の層と五分五分って感じだったけど、ここにきて前大統領の登場だから流れは一気に傾くかもしれない。
 たくさんの群集に囲まれ演説するヴァレンタインは、もう大統領の職を辞しているのに――今は何をしてるんだろう。この前テレビで放送してた何かの記念コンサートでマンドリンを弾いているのを見た――現職現役の大統領みたいな貫禄があった。久しぶりに見る顔は二年前よりふっくらしてるし体格もむちむちしてるけど、その分落ち着きがある。見た目だけじゃなくて、ちょっと丸くなった雰囲気だ。
「見ろよ、スカーレット・ヴァレンタインもいる」
 ジャイロが指差す。確かに夫に寄り添うようにして元ファーストレディが佇んでいる。傍らで演説する夫に信頼に満ちた熱っぽい視線を送っている。ぼくは黙ってジャイロを振り向いた。
「…なんだ?」
「君…黒髪の女性、好きだよね」
 ジャイロは一瞬図星を指された表情をしたけど、すぐにそれも笑みに溶ける。
「お前には敵わないって言ってほしいのか?」
「言ってよ」
 するとジャイロはテーブル越しに手を伸ばしてぼくの髪に触れた。
「誰もおまえには敵わねーよ、ジョニィ」
 自分で言わせたんだけどちょっと恥ずかしい。ぼくが俯くと、おまえさんが照れてどうすんのよ、とジャイロの手が調子に乗る。髪の中に潜り込んだ指が耳の後ろを撫でる。ぼくはテーブルの下で彼の脛を蹴り、また玄関を出るまで喧嘩した。
 でもドアをくぐる前に合鍵の確認。ちゃんと持ってるよ、と朝日に光るそれを見せる。
「今日は?」
「ぼくの方が帰りは早いかもね」
「じゃあ晩飯まかせた」
「何がいい?」
「魚」
「じゃあ肉で」
「ジョニィ!」
 乱暴に肩を組まれてばたばたいいながらアパートの階段を下りる。
 朝日の射す歩道を歩いていると後ろからクラクションが鳴らされてジャイロの車が追い抜いていった。擦れ違いざまにちらりと見えたぼくに向かって振る手。ぼくも遠ざかってゆく車に向かって手を振る。十月になって長袖を着るようになったけど、まだ上着はいらないかな。

 午後、
「ジョニィ。いるのね?」
 と声をかけて店に入ってきた女の子がいる。胸元にはお気に入りのブドウのブローチ、手には白い杖。シュガー・マウンテンだ。農場の娘で、時々街中に出てくると必ずこのコーヒーショップに立ち寄る。
 杖でこつこつと床を叩きながらシュガーはカウンターに近づいた。視力がほとんどないとは思えないくらい足元がしっかりしてる。バスを降りてからコーヒーショップまでの道のりや、この店の中など、馴染みの場所の地図はみんな彼女の頭の中に入っている。
「でもどうしてぼくがいるって分かるんだ。いらっしゃいも言ってない」
「分かるわジョニィ、あなたのことなら。ジャイロと同じ空気がするもの」
「今日は病院だったんだ」
 ぼくは彼女のために砂糖たっぷりのコーヒーを淹れ、差し出す。
「ジャイロも楽しそうだった。でもそれは構わない。別のニュースがあるの」
「なに?」
 昼休みの時間帯も終わったから客はほとんどいなくてヒマだ。隅っこのテーブルに無精ひげの優男が座ってぼんやり窓の外を眺めてるだけ。店主も休憩に入ってしまったからぼくは心置きなくシュガーと喋った。
「ウェカピポの妹。彼女は盲導犬の訓練に出た」
「………」
「きっと上手くいくでしょう」
「…ウェカピポ、警察を辞めたんだよ」
「少しだけ聞いたわ。妹ともっと長く一緒にいるために。新しい仕事を知っている?」
「スティール夫妻の護衛…っていうかルーシーのお抱え運転手だよ」
「素敵。ボディガードっていう映画、あたし、観たわ」
「見えるの?」
「見えるように聞くし、音を聞くように見える。でも歌はもっと好き。歌っていい?」
「今度ね。お父さんとお母さんに頼んでライブにおいでよ」
「歌わせてくれるの?」
「ジャイロがいいって言うなら。ぼくは大歓迎だけど」
 シュガーは嬉しそうに笑い、ポケットから人形を取り出してカウンターにのせた。あたしの週末は歌姫よ。何を歌おうかしら…。
 ふと彼女は頬を膨らませる。
「…ジャイロの作った歌でなければ、ダメかしら」
「どうだろうね」
 やっぱり難易度高いよな。っていうか、気持ちは分かるよ。
 シュガーは人形用にもカップを所望する。ぼくは空のカップを一つ出してやる。時々シュガーはこうやってままごとをする。ぼくはだいたい彼女の子ども役だ。夫の役はジャイロだって。ジャイロはシュガーの主治医じゃないから彼女が病院に行ったからって必ず会える訳じゃないと思うんだけど、彼女が病院にいく時間とジャイロの休憩時間はぴたりと重なる。シュガーはジャイロを中庭に連れ出して昼ごはんを食べながらままごとに付き合わせるのだ。
「そうそう、ジョニィ、あたし次からはジャイロを夫とすることをやめます」
「え、どうして?」
「人のものを盗ってはならないと教わったから」
 ぼくは黙って赤くなるけれども、何も言わなくてもシュガーはそれに気づく。くすくす笑いながらぼくに手を伸ばし、ぼくの額にひんやりと冷たい手を触れさせた。
「あなたがちゃんと幸せになって、あたしがそれを祝福できる日を、あたしはずっと待っていた」
「なんだよ、大人ぶった言い方してさ」
「あらジョニィ、あなたはあたしの可愛い息子じゃない」
 ままごとの続きなんだか真剣なんだか。でもシュガーの手は彼女の口にした祝福っていう言葉のとおり、綺麗で、ひんやりと心地よくて、そこから冷たい水で洗われるような気がした。
「キスをして、ジョニィ」
 シュガーが顔を仰向ける。ぼくは彼女の黒くつやつやした前髪をどかして、綺麗な白い額にキスを落とした。そこからはコーヒーの香りがした。
「ふふ」
 訳知り顔などせず、シュガーは無邪気に笑う。ぼくはジャイロもキスをしたんだろうその額をまた前髪で隠して、赤くなった自分の頬を掻いた。

 次の週のストリートライブは地下鉄の駅だった。同じ夜サンディエゴの別の場所では、またヴァレンタイン前大統領が応援に訪れて投票日を目前にした演説を行っていた。ぼくらが歌っている間も凄い数の人が流れてくる。演説が終わって、みなぞろぞろ帰る途中なのだ。
「ジョニィ。ジャイロ。来たわ」
 群集の中から抜け出してきたのはいつもよりおめかしをしたシュガー・マウンテン。後ろには彼女の両親もいる。
 シュガーはぼくとジャイロの間に立ち、花で飾った杖をマイクのように持つ。
「おいおい本気で歌うのか?」
「当然よ。あなた」
 曲は『ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ』。ジャズじゃねーか弾けねーぞ、とジャイロが言う。
「ぼく弾けるよ」
「おまえ、ジョニィ、いつの間に」
「こっそり練習したからね」
 ぼくは素知らぬ顔で笑った。
 ちょっと哀愁がかったイントロ。隣のシュガーが呼吸でタイミングを計る。
 あなたがいる家に帰れたら幸せでしょう。冬の凍てつく星の下でも、八月の灼けた月の下でも、あなたといれば素敵、あなたといれば楽園だわ。
 シュガーの歌声は真冬の泉のように澄んで美しく、ぼくらが歌うよりもずっと多くの人間が足を止めて聞き入った。その中にはホット・パンツの姿もあった。ギターを弾きながらぼくは彼女がシュガーの歌に合わせて小さく歌っているのを見た。あなたのいる家に帰れたら幸せでしょう…。ホット・パンツはディエゴの演説を聞きに行ったのだろうか。あの最低なプロポーズには『ノー』を叩きつけたのだろうか。
「気に食わねーなあ」
 シュガーの歌の後、あんまり拍手が鳴り続けるもんだからジャイロが唇を尖らせる。
「どうする?シュガーもメンバーに入れようか」
「やだね」
 即答かよ。
 するとジャイロはシュガーを挟んでぐいとぼくの肩を引き寄せた。
「おめーが秘密で練習したってんなら、オレにだって切り札があるんだぜ」
「なんだよ切り札って」
「おめーは聞いてろ、ジョニィ」
 急に始まった軽快なメロディ。観客が自然とリズムを取る。え、待って、この曲って。
 今までぼくはジャイロって歌が上手いのか下手なのかよく分からなかった。だって彼の作詞作曲の歌って変なのばかりだし、上手い下手が判断できない。それに彼はカヴァーをやらなかった。今まで、一度もだ。
 絶対ずるい。曲が『ジョニー・B・グッド』なのもずるいし、真面目に歌ったらこんなに格好いいのもずるい。人の真似なんて面白くないとかいいながらめちゃくちゃノリノリで歌ってるのもずるい。観客もみんなノッている。GO!ジョニィ、GO!って絶対ぼくだろ?だからこの選曲だろ?自惚れだとは思わないね。ジャイロは歌いながらにやにや笑ってぼくを横目に見るんだ。クッソ、嬉しそうにしやがって。ぼくが赤面してるのが面白いか?スッゲー嬉しいけど最高すぎて最悪だよジャイロ!
 歌い終わってもらった拍手はたぶん今までジャイロがもらった拍手の中で一番大きかっただろう。でもジャイロはそんなのお構いなしでぼくの方を見てる。ぼくは半分怒っているような半分飛び上がってジャイロに抱きつきたいような気持を全部ギターにぶつける。かき鳴らすのは『チーズの歌』のイントロだ。ぼくらの十八番。ぼくらが一緒に歌った最初の歌。ぼくがジャイロに再会した時の歌。
 シュガーも一緒になってコーラスした――「あたしも秘密の練習をしたの」――。二番までいったらもう一度一番から繰り返し。三回目の繰り返しに入ると、なんだかもう楽しくなってきた。ホット・パンツもまだぼくらの歌を聞いてくれてる。あ、ルーシーとスティール氏もいる。騒ぎが大きくならないよう端の方から眺めてるのはマウンテン・ティムか?あ、近くに白い杖を持った女性がいる。長い黒髪の女性。隣に立つ男と軽く腕を組んでいる。ウェカピポ。あれがウェカピポの妹なんだ。
 新たにやってきた地下鉄に吐き出され出てきたのは作業着姿の労働者たちで、背の低いポーク・パイ・ハット小僧がぴょこぴょこジャンプしながらこっちを見ている。他にもコーヒーショップ常連の顔があちこちに見える。マジェント・マジェントだろ、優男のディ・ス・コ、それから…。
 ぼくはいつの間に、このサンディエゴでたくさんの顔と知り合ったんだろう。目が合えば笑い合える友達。くだらないお喋りをしながら、いつものコーヒーを飲みながら、同じ街に生きる友達。
 ぼくは理解する。ぼくはもうケンタッキーに帰る必要はない。いや、帰りたければ帰ってもいい。ぼくが行きたいと思えば行ってもいいのだ。ぼくはもうどこに行くにも恐れることはない。何故ならぼくの家はここにあるから。
 群集の中にはサウンドマンら部下を連れたディエゴの姿もあった。ぼくはそれが見えていたけど、見えてないくらいにどうでもよかった。ぼくらは『チーズの歌』を繰り返す。十回目。
 いや、流石にしつこいだろ。

 ぼくはベッドの上のリヴォルヴァーを眺めている。
 今夜のライブでは興奮しすぎて、もう脚が動かなくなっていた。シャワーの後、ジャイロがここまで抱えて運んでくれた。今朝脱いだシャツが散らばっている。手を伸ばせば届くけど、着るのもかったるい。
 真っ暗な寝室でも、リヴォルヴァーの形ははっきり分かる。手に取るとずっしりと重い。ぼくは静かに呼吸する。右手に星形の痣が浮かび上がる。撃てる。きっと撃てる。指で狙うみたいに外すことなく撃つことができる。
「もう寝たのか、ジョニィ…」
 ジャイロがリビングの明かりを消して入ってくる。ぼくはリヴォルヴァーを掴んだ手を持ち上げる。この星形の痣の浮かんだ指で狙うように、まっすぐジャイロの胸を狙う。
 彼は狼狽えなかった。暗闇の中でも真っ直ぐにぼくの目を見つめ、静かに両手を広げた。
「…撃ってもいいぜ」
 ぼくは照準を外さない。ジャイロは無防備なまま一歩一歩ぼくに近づき、ベッドの上に膝を乗せた。
 指先が銃口に触れる。その掌が驚くほど柔らかいことをぼくは知っている。その手が銃身に触れてもぼくは引き金から指を離さない。今撃ったら医者の命の、ジャイロの手が吹っ飛んでしまう。
 ジャイロの身体はまだ近づく。互いの息がかかる距離まで。とうとう額が触れ合う。ジャイロの手は銃身を滑ってぼくの手首を掴んだ。銃口が天井を向く。
 腹の底に響く音。でも乾いて、すごく明るくさえ聞こえる音。うるせえ!という怒鳴り声が天井から聞こえる。ジャイロは小さく笑っていた。そして口元には笑いを残しながら真面目な目をして囁いた。
「本当に撃つヤツがあるか」
「君がいいって言った」
「馬鹿」
 こめかみにキスをされ、抱き寄せられる。ぼくは銃を掴んで、ジャイロの首に手をまわせない。
「これ、リンゴォの店でか?」
「うん」
「いつ?」
「君と…会ったばかりのころ」
「オレを殺そうと思って?」
「分からない、多分違う…そんなはずないだろ。ぼくは君と」
「オレと?」
「生きていたいって…」
「ああ」
 額の上にキス。
「ジョニィ」
 まだ熱の残るリヴォルヴァーにジャイロの手が近づく。
「どうしてこの銃を?」
「どうしてって?」
 手を引き寄せられる。二人の間にリヴォルヴァー。弾は一発しかこめていなかった。それだけで十分だったから。それももう撃ってしまった。朝起きたら天井かどこかに弾痕が見えるだろう。記念にしようか。
 どうしてこのリヴォルヴァーにしたって?
「ショーケースの中にあったんだ」
「マテバ」
 知ってる。イタリアで作られた銃だ。
「セイウニカ」
「うん…」
「オレの国の言葉だぜ?知ってるか、ジョニィ」
 ぼくはリヴォルヴァーを掴んだままジャイロの首に手を回し、彼を抱きしめる。
「君だけのもの、だ」
「知ってたのかよ」
「ネットで調べた。買った時は知らなかったよ」
 ジャイロの手が滑る。腰の上、骨の上をなぞる。
「ジャイロ」
 腕に力を込め、ぼくは耳元に囁く。
「君を抱きたい」
「…逆じゃダメか?」
「それでもいいけど…」
 キスが首筋に落とされる。身体が震え、手からぼくのリヴォルヴァーがこぼれ落ちた。セイウニカ。君だけのもの。
「安心しろ。焦らなくてもおまえだけのものだ」
 ぐったりしたぼくの身体をジャイロはやさしくベッドに横たえる。俯せた裸の背中にシーツをかけながら、ふとジャイロの指先が肩を撫でた。何かの形をなぞるみたいに。
「ジョニィ」
「ん?」
「おまえ、知ってるのか?」
 痣がある、とジャイロが囁く。身体を傾け、指先のなぞったそこに唇を落とす。
「星型の痣だ」
「…君にやるよ」
 ぼくは横を向き、ジャイロに手を伸ばした。
「君だけにやる、ぼくの秘密だ。ジャイロ」
 ユリウス・カエサル、
「ツェペリ」
 暗闇の中で手を握る。右手に浮かんでいた痣は消えている。
 ぼくらは手を繋いだまま少し喋り、いつの間にか眠っていた。

 十一月最初の週、ディエゴ・ブランドーは見事下院議員に当選した。ぼくらはベッドに横になったまま、上の階から聞こえてくるテレビの音でそれを知った。しばらくはディエゴフィーバーで右を見ても左を見ても猫も杓子もディエゴディエゴ。右頬に絆創膏を貼るのが子どもの間で流行って、ちょっとした社会現象になった。
 ホット・パンツは結局還俗していない。でも『ノー』も叩きつけなかったらしくて、ディエゴは今も教会に通っている。それが信心深いと思われて支持率がまた上がった。
 テレビを観ても新聞を見ても、街角を歩いてもディエゴばっかりだからぼくはまた不機嫌になったりするけど、スロー・ダンサーと一緒に走っているとそんなことも忘れる。スロー・ダンサーもまだまだ元気だ。ぼくらは一緒に走り続ける。
 最近、ぼくらはそれぞれ長い休みを申請した。大陸を横断してニューヨークまでの旅を予定している。ジャイロの車でのんびり二人旅だ。
 これまでだってずっと二人だったじゃない、とルーシーが笑う。
「これからさ」
 とぼくは答える。
 ジャイロはぼくの肩を抱いてニョホホと笑う。
 荷物は少なくていい。地図と(多分ジャイロはろくに見もしない)、ギターと(『チーズの歌』を全米中に流行らせるのは無理だと思うけど)、弾倉が空っぽのリヴォルヴァー、友達みんなから渡されたお土産のリスト、ジャイロは鞄の中にしっかりクマちゃんを入れる。あとは。
「ジョニィ」
 先にドアを開けたジャイロが振り返る。
「鍵、持ったか?」
 ぼくはそれをかざして見せる。
 ジャイロも全く同じ形のそれをかざす。
 同じドアを開けるための二つの鍵。ぼくらの家の鍵。
「いってきます」
 エンジンをかけ、走り出した車の中から街を振り返る。ぼくらが出会った交差点、不味いコーヒーショップ、病院と教会、乗馬クラブ、海岸線、その先は砂漠へ伸びる道。
 今日もサンディエゴにはメキシコからの熱い風が吹いている。




2013.2.23