ユード・ビー・ソー・ナイス
トゥ・カム・サンディエゴ・トゥ 3 教会に到着した時には日も暮れ、ついでに騒動も収まっていた。隅ではスティール氏ら病院関係者と、ディオの部下だろうかスーツ姿のネイティブアメリカンが話している。話はそうこじれている訳でもないみたいだけど、立ち話を続ける彼らの向こうに座るディエゴは顔をしかめて不満そうだ。よしいいぞ、今なら油断してる、と思ってぼくは腰に手をやるけどリヴォルヴァーは持って来ていないんだった。クソッ、ミスった! ホット・パンツはと言うと、並んだ椅子のディエゴから一番離れた席に座っている。隣にはルーシー・スティールがいて、彼女の肩を抱いていた。もしかしてホット・パンツは泣いているのか? 駆けつけたはいいけど役に立たないっていうか、この時点では既に部外者な感じのするぼくらは入口に佇むしかない。 「っていうか帰る?」 ジャイロを振り返ると、 「そうだな」 彼も頭を掻きながらそう答えたのだが、 「ジョニィ…!」 「ジョニィ!ジャイロ!」 ディエゴとルーシーが同時にぼくらに気づく。ディエゴの視線を感じた瞬間、ぼくはついさっきディエゴのことなんかもうどうでもいいってジャイロに言ったはずなのに堪えようのない殺意が湧き起こり、目が暗くなる。手には星型の痣が浮かぶ。 うっかり視線だけでディエゴを殺せそうになるぼくを止めたのはルーシーだった。 「来てくれてありがとう」 ルーシーはディエゴの姿を視界から隠すように立ち、そしてぼくの手をぎゅっと握った。 「どうしたの、ボロボロの格好…」 「ぼくらのことはいいよ。それより何があったんだ?」 「何をしに来たんだ、ジョニィ・ジョースター。…ふん、彼女が呼んだのか」 「ええ、あなた方がこの神聖な教会で恐ろしいことをするものだから」 向こうの方でホット・パンツが項垂れている。泣いてはいないみたいだけど、結構しょんぼりしてる感じだ。目の前のディエゴは当たり前のことながら反省の色は微塵もない。いや、まだ何をしたか詳しく知らないんだけど。(碌でもないことに決まってる。) 「Dio」 ネイティブアメリカンに呼ばれ、ディエゴが振り返る。その時。こちらを向いた右の頬。真新しい絆創膏を貼られた下の傷が、ぼくの目にもはっきり見える。ヤツと乗馬クラブで出会った時も絆創膏を貼っていた。やたら大きな絆創膏だ。ご自慢の美男子面なんだから怪我が治ればさっさと剥がせばいいのにと思ったが、格好をつけている訳じゃない、怪我のアピールじゃない、むしろこれはどうしようもない亀裂を隠していたのだ。 絆創膏の下にあるのはただの傷じゃなかった。それは耳の近くまで裂けた、口だったのだ。はみ出した部分の傷を見ただけならただの怪我かと思ったかもしれない。しかし今目の前で見る真新しい絆創膏には血が滲んで、唇から赤い延長線を引いていた。 ひとまず病院で治療を受けてくれというネイティブアメリカンの言葉にディエゴはおとなしく頷き、スティール氏と連れだって歩いて行く。すれ違いざまに何か言われるかと身構えたけど、何も言われなかった。その目は教会の奥に座るホット・パンツを一瞥しただけだ。 「スティール夫人」 残ったネイティブアメリカンはルーシーに声を掛ける。ルーシーは振り返って「ホット・パンツ」と呼びかけたが、ホット・パンツは手を振って「話すことは何もない」と言ったまま俯いてしまった。 「どうする?」 「話を聞いてもらえるまで待つ。それがオレの仕事だから」 ルーシーはホット・パンツのもとに行ってしまって、入口の前にはぼくたち二人とネイティブアメリカンだけが残される。 「あんたのこと新聞で読んだ」 ぼくが言うと、ネイティブアメリカンはこちらを向く。 「サウンドマンって言うんだろ」 「新聞?」 隣でジャイロが疑問符を投げる。 「こんなヤツいたか?」 「この前ヤツの陣営を取材してた記事にプロフィールも載ってたじゃないか。君、意外と新聞読んでないんだな」 「おめーがディエゴディエゴうっせえから読む気なくすんだろーが」 うっかり口喧嘩を始めそうになるぼくらを見てもネイティブアメリカン――サウンドマンは表情を変えない。 「確かにオレはサウンドマンだが?」 「あ、ごめん。うん、あんた凄く頭良さそうなのにどうしてあんな男の部下になってるのかと思って」 「ジョーニィー」 部下の前で堂々とアレをあんな男呼ばわりするぼくをジャイロはたしなめるが、それでもなおサウンドマンの顔色は変わらない。 「金になるからだ」 お、意外な答え。 「それにDioには力がある。今のところ、名声も、栄光の後押しも。オレが望みを叶えようとした時、オレ一人がちまちま事を起こすよりもずっと効率的だ」 ディエゴは人のことを散々利用してオレンジの絞り滓みたいになるまで使いきって捨てるタイプだけど、そのディエゴを利用しようってヤツが、しかも上からじゃなくて何だか下克上を狙う感じで利用しようってヤツもいるんだなあって思うとぼくは少しサウンドマンに興味が湧く。ルーシーがホット・パンツをなだめてくれるまで、ぼくらは座って話をすることにした。 「しかしいいマッスルしてんな」 ディエゴが下院選に出ることに興味のないジャイロは目の前のサウンドマンを見たままの感想を言う。確かに凄い筋肉だ。スーツの上からも鍛えられた身体が分かる。 サウンドマンはディエゴの秘書になるまでは大学の学生で陸上選手だった。脚の速いイイ選手ってだけじゃなくて成績もよかったんだけどなかなか評価されず燻っていたところをどういう情報網からかディエゴに拾われたんだそうだ。 サウンドマンっていう名前の響きから広報が似合う感じがするけど、むしろ政策を考える方が得意らしい。 「この国ではどんな肌の色の人間がものを言えば通じるか、いまだにどうしようもない差がある。オレよりもフェルディナンドが出た方が説得力は強いし、更にDioならなおのこといい」 「ヤツが碌でもない男だって知ってる人間は多いぜ。それでも?」 「汚い人間だと知らない人間の方が多い。それにオレたち陣営は化粧の術も心得ている」 「うーわ、心強い言葉だな。あんたがいるとヤツが当選しそうだ」 「当選させるさ」 ディエゴへの憎悪と殺意は消えないが、ぼくはちょっとずつ目の前のサウンドマンが気に入り始める。彼は騒動の顛末も話してくれた。ホット・パンツの名誉にも関わるかもしれないけど、面白いから書き留めておく。 慰問ではなく、ディエゴは教会に現れた。ディエゴが訪れるのはいつものことだからホット・パンツも警戒はしない。話の始まりがどういうものだったのかは分からないが、早々にディエゴはこう言った。『おまえの過去も未来も、このDioが喰らい尽くして骨までしゃぶってやる』 「おいおいおいおいそれマジかよ」 ジャイロは呆れているし、ぼくも半笑いになる。いくらなんでもこのプロポーズはない。通じない。っていうか女の子なら身の危険を感じるのが普通だ。 「おたくはどう思うのよ。自分の上司のセンス」 自身の歌とギャグのセンスについては疑ったことがないのだろうジャイロが尋ねる。 サウンドマンはちょっと考えたが、軽く斜め上を見上げ、お姉ちゃんに言ったら殺されるだろうな、と呟いた。へえ、姉弟がいるんだ。っていうか『お姉ちゃん』…。 ちなみにこの時のシチュエーション、まだホット・パンツの証言を聞いていないけど、どうやら床の上だったらしい。ぼくならとっくに鉄拳を食らっている。 で、押し倒されることまでは受容していたホット・パンツだけど、ディエゴがさっきの科白を吐いて、はだけた肩の、あの手形の上にディエゴが噛みつこうとした瞬間キレた。 「いや普通だろ」 「そうだろうな」 「普通に考えて分かるぜ。おたくの上司もどうしてそんな馬鹿…」 「これを」 サウンドマンは指を唇の端から耳まで走らせた。 「見ても引かない女を目の前にしてテンションが上がったんだろう」 上がりすぎだろ。 ホット・パンツは隠し持っていた銃で――いつも隠し持ってたんだ…――ディエゴを撃ったが、ディエゴの動体視力は尋常じゃなくヤツはそれを避けてしまう。弾は壁にめり込んだ。銃声を聞きつけた病院の人間が駆けつける間にも更なる発砲と死闘は続き、ルーシーたちが入口の扉を開けた時、二人は窒息しかけていたということだ。 「窒息?」 「手は使っていないらしい」 「へえ……」 声をひそめて話していたつもりだけど、気づけばホット・パンツが顔を上げてこちらを睨んでいる。ぼくとジャイロは気まずいなあって顔になったけど、サウンドマンはこれでも表情が変わらない。 ホット・パンツはルーシーに手で制せられながらも立ち上がり、ぎろりとサウンドマンを睨んだ。 「おまえの上司に伝えろ。答えは『ノー』だ」 「それはDioに直接伝えるといい。オレの仕事はこの事件を丸く収めること…、できれば事件などなかったことにすることだ。そのための準備がこちら側にはある」 「金など要らない。そんなの心配ならこっちから言ってやる。ここでは何もなかった。何も!」 と言ってホット・パンツは手の甲でぐいっと唇を拭う。あー、やっぱりそういうことなのか…。ほんとディエゴ死ね。 仕事は終えたとばかりにサウンドマンが立ち去るとホット・パンツはまたぐったりしてルーシーに抱えられる。結局、病院のすぐ近くの部屋までルーシーとぼくら三人とで送っていくことになった。後は女同士にまかせることにする。 ネオン看板も眩しい夜の通りに出てぼくらは溜息をつき、顔を見合わせる。 「帰ろう」 ジャイロが言った。 「うん」 ぼくは素直に頷いた。 さっきは喧嘩したけどシャワーの順番はジャイロに譲った。椅子に腰掛けると、腰から下が一気に脱力し、痺れと共に動かなくなる。ぼくはテーブルの上にぐでんと伏して背後から聞こえるシャワーの音に耳を傾けた。 少しうとうとしていたのかもしれない。ジョニィと呼ばれた時には瞼が閉じていた。 「おいジョニィ、おまえもとっとと浴びてこい」 「もういい…」 「駄目だ。どろどろだろうが」 「眠い。疲れた。動きたくない」 溜息と共にジョニィ…と言ったジャイロは、せめて目を開けろと命令した。瞼を開くと、ジャイロがしゃがみこんで両手を差し出している。 「ほれ」 ぼくはその腕の中に転がり落ちる。楽ちん。人間タクシーだ。両腕に抱えられたまま、ぼくはバスルームまで運ばれる。 「ありがとう、下ろして…」 でもジャイロの脚は脱衣場では止まらず、ぼくが慌てて抗議する前にたっぷりと湯のはられた浴槽にぼくの身体を落とした。 「……ジャイロ!」 「自分で起きないおまえが悪い」 ぼくは手をばしゃばしゃさせてジャイロにお湯を引っかけたけど、Tシャツ姿のジャイロは平気な顔だ。 「あー、もう…」 ぼくは両手ですくった湯で顔をざぶざぶ洗った。大きく息を吐く。落ち着いたけど濡れた帽子を脱いで湯の中に叩きつけて駄目押し。濡れた服が重い。でも湯は心地良い。あたたかくて、すごくホッとする温度だ。 「ジョニィ」 ジャイロが浴槽の横に跪き、呼んだ。 「さっきの続き、するか?」 「え?」 ぼくが振り向くと手が頬を撫でる。濡れた髪を。柔らかな掌。え?今なんだって? ジャイロは微笑んでいるけれども、目は優しいけれども、その芯が物凄く真面目で真剣なのを感じる。 続き…っていうか、そう、うん、そう言えばおかしかった。さっき電話が鳴った時、ぼくが残念そうな声を上げるのは分かる。ぼくは密かにジャイロが好きなんだ。ああやって抱き寄せられて良い雰囲気になったところを邪魔されれば、そりゃあ大声も上げるだろう。でもどうしてジャイロまであんな声を上げたんだ?電話に向かって怒鳴ったんだ? いやいやまさか。だって、ジャイロ、君、部屋に女の子は入れないけど、結構モテるじゃないか。そういう話、したことあるよな?女の子がどういうって話をしたよな、ぼくら。だからぼくは君はノーマルだと思って…え、まさか。 ちょっと待て、落ち着け、ぼく。都合のいい方に考えすぎだ。宿命がどんなものかをぼくは知っている。ちょっとだけ良い気分にさせて突き落とすのがヤツの手口だ。ここで乗せられるな。ぼくは今日ようやく本当の気持ちをジャイロに伝えられたんだ。ジャイロから大切な秘密をもらったんだ。ここで何もかもぶち壊すようなことは…。 「また泣く」 ジャイロの親指がぼくの目尻を拭う。やさしい仕草。ちょっと待って、引き摺られる…。 「ジョニィ、オレが言ったこと忘れてねーよな」 ちょっとムッとした顔が近づく。 「わす、れて、ない、けど」 「無理にとは言わねーぜ。ディエゴじゃないんだからな。おまえがしたくなきゃしない」 でも、と表情がほどける。 「オレはしたいぜ、おまえと。ジョニィ」 穏やかな眼差しが強くなり、ぼくをしっかりと引き寄せる。抱き寄せる視線となる。 「ジャイロ…」 ぼくの声はまた震える。喉の奥から震えている。 両手が添えられた。礼儀正しく目を伏せた彼の顔を、ぼくは間近で見た。すると、ジョニィ、と促す声。ぼくも目を閉じる。震えている。でも、こわくはない。 初めてするみたいに息を止めていたら、ジャイロに笑われた。ぼくは泣きながら、また彼の頭にざぶざぶとお湯をかけた。
2013.2.22
|