葦と永遠 【冒険編】




 その惑星の終焉までもを、カーズは見なかった。見るとすればそれは剥き出しになった海底にぽつんと残った足跡ほどの水たまりと、その中で微笑む城字の顔だったろう。それを予測することは易かった。
 辿り着いた小さな惑星は陸地を生むことのないまま、相変わらずひたひたと水に満たされていた。カーズはかつて帰還した地球を水の器と表したが、この星は宇宙に落とされた水滴そのものだった。そこで何万年という時間を過ごした。公転軌道の関係か、頻繁に襲ってくる氷河期は氷の大陸を作り出し、時には惑星のほぼ全てをそれで埋め尽くした。そのような星にも生命が生まれたのを、カーズは不思議には思わない。それこそが力である。カーズが最も欲した力の源である。
 透明な魚たちは明るい陽の射す下では休むことを知らず泳ぎ回り、海面が氷に閉ざされると寄り集まって化石のようにじっと耐えた。基本的に分裂によって繁殖したが、時々生まれた変異種は自らの身を仲間に食べさせ新たな進化の可能性を己の種に模索させた。
「これも貴様の仕業か?」
 よく晴れた日、溶け残った氷山に腰を下ろし薄い空気で呼吸しながら話しかけた。すると目の前の海面が盛り上がり、城字が姿を現す。
「僕はそんな偉そうなものじゃないよ」
 恒星の真昼の光は城字の体内に乱反射し、溢れる光は城字の魂の光と舞うような螺旋を描く。
「ただの名探偵やし」
「ただの、名探偵、だと?」
「謙遜しすぎたかな。じゃあ宇宙一アクティブな名探偵でよろしく」
 ふざけながらも城字にはまだ謙遜があった。この星の生命に城字の影響が全くないとは言えなかった。透明な魚、化石のような越冬、どれもカーズがこの海を泳ぎながら城字との間にあったお喋りの、他愛もない言葉の具現だった。なかなか育たないよね。命を育むって難しい。でも生きていてほしいと思う。僕の魂にはまだその感情が残っている。
「俺は最後まで付き合う気はないぞ」
「知ってる。理由を聞く必要もないけどおしゃべりが楽しいからきくよ。どうして?僕の最期には付き合ってくれたのに」
「この星は貴様ではない」
「僕さ。僕の一部だ。全てではないにしろ」
 そして君の一部でもある、と城字は口を動かさずに言った。水の中に反響する声は氷河期の星に降る雪のようにしんと響いた。
「この星は滅びるまでこのままだ。俺は旅に出る」
「そうか…。寂しくはないよ。僕はいつだって一緒だから。でも残されるこの星の声を代弁するよ。いってらっしゃい」
「貴様も来るのだ城字・ジョースター」
 宇宙に在る限りどこにいようが一緒だと、既にカーズも知っていることをわざわざ口に出してまで言った後の言葉だからそれが何を指すのか、今更躊躇う風も見せない城字だった。人間の肉体を持っていた頃、あまりにも表情豊かだったその顔の、ほんの唇の端、目の端に笑みを刷いて、ふふ、とまた雪の降るような声を漏らす。その笑いは海面のあちこちに波紋を作り明るい陽の下に虹色の波を立たせた。城字は照れているのだ。まだその感情がある。
「僕ぅ?」
 それから口を開けて、はは、とらしく笑い、僕を連れて行くのか、と改めて言葉にした。
「僕はどこでだって僕だ。なにもないような宇宙空間に見えても暗黒物質で笑顔の落書きだってして君に見せることができる。次の星で出会う僕だって僕と同じだ。どの僕だって僕さ。それでも僕を連れて行きたいんだね、カーズ」
「繰り言はいい。返事をしろ」
「もっちろん!」
 水色の城字はカーズに向かって抱きつき水になって砕け頭からカーズをびしょびしょに濡らし、またするすると形を成してカーズの首にかじりつく城字の姿となった。
「オッケーに決まっとるやんか。超超超超オッケー」
 もーカーズ先輩大好き!と頬にキスまでされる。カーズは眉一つ動かさず
「無理に人間らしく振る舞う必要はない」
 と言った。
 しかし城字はカーズを抱き締めたままムフフと笑い、
「確かに真実は一つだ。僕は僕。でも僕も移ろうよ。これだけ離れた星で、魂のほんの一欠片を水の中に入れて思い出の中の僕の形をもとに作った器だけど、君と一緒の時間を過ごしていれば遠かったような思い出もやっぱり僕のものだと実感されるんだ。僕には感情がある。でもそれは僕一人のものじゃなくて君との間に生まれたものじゃないかな」
 城字は我が子のようにこの星の生命を愛おしみ、ガラスの魚、冷たい生き物たちにさよならを告げた。
「忘れないよ。僕も、きっとカーズもね」
 水の身体の中を泳ぎ回った魚をそっと冷たい海に放ち、さあ行こうかと天を見上げた所で、はたと止まる。
「薄くても大気は大気だしなあ。僕、星から脱出する時に蒸発しない?」
「貴様も自分の身体くらい意のままの扱えるだろう」
「それもそうだ」
 城字は水面に立ち上がった一本の柱になるとするするとカーズの口の中から体内に潜り込む。ここ、なかなか快適、という声は腹の中から聞こえた。
「そのようにいつまでも無精する気ではあるまいな?」
「大丈夫。宇宙に出たらちゃんと顔を出すよ。うっかり君の口を凍らせないよう気をつけなきゃね」
「その時は噛み砕いてくれるぞ」
「カーズ先輩、ほんまいけずい」
 賑やかな出発だった。再び重力から解き放たれ無限の闇に身を投げ出すというのに、ちょっと殺人事件の見物にと城字の車の助手席に乗って出掛けたあの頃のような気軽さで宇宙に出た。腹の中の城字は昔見たSF映画を真似てロケット発射のカウントダウンをし、無事カーズの肉体が宇宙に出ると拍手と口笛を送って寄越した。
「俺が宇宙に飛ばされて喜ぶとは、貴様もジョジョだな」
「宇宙一アクティブな名探偵ジョジョだからね」
 うっかり口の中から顔を出そうとして瞬間的に凍ってしまった城字をカーズは噛み砕き、氷の塊になって再び腹に収められながら城字はまた笑った。