私の美しい馬




「痛みがあるということが、どうしようもなく生きている証だ」
 救急車の後部に腰掛けた城字は目の前の大男を見上げた。毛布は頼りなく肩に引っかかっていた。もう片手で押さえた包帯の下、血がいまだ滲み出し、どくどくと脈打つのにあわせて痛みが響く。それでも城字は笑った。大男は笑わなかった。
「カーズ」
 城字は苦笑する。
「君がそんな顔するなんて」
「何故、俺を呼ばなかったジョージ・ジョースター」
「呼んだら来るの?」
 いつのまにか花が風に誘われるように消えて、いなくなったと思ったらまた季節が巡るようにふらりと顔を出す。でもその間に城字は確実に歳を取る。三年、五年、十年と。そろそろアラサーと呼ぶにも厳しい齢になった。しかし目の前に彼が現れただけで、心は少年時代に戻る。出血し続ける傷の痛みは苛むものではなく、興奮のような脈動に変わる。
 あの日、声を限りに呼んだカーズは目の前のカーズではない。平行世界の似て非なる存在。しかし、喉の限りに呼んだあの声がどこか知らない次元に消えた《カーズ》に届いたかもしれないように、自分が呼べば目の前のこのカーズも世界中のどこだろうと駆けつける。それが信じられた。いいや、自分もそれなりの齢だ。渡り歩くのは殺人現場だ。叫んで助けに来てもらうだなんて、ハリウッド映画的展開ではなく、例えばそこの角の公衆電話の受話器を取り上げればいつだってスイスのサンモリッツに繋がるような、そんなスマートなやり方を。
 城字は立ち上がった。肩から毛布が滑り落ちる。死体の増えた殺人現場を警官が右往左往する。
「行こう」
 歩き出すと、すぐ隣をカーズは並んだ。
「もうそのコート暑くない?」
「貴様はその服、子供すぎるのではないか」
「だってジョジョやし。ジョジョと言えば星は外せないし」
「何度繰り返そうが変わらんな」
「それがジョースター一族やで」
 隣を見ると、その瞬間には大男の姿はなく隣を歩くのは毛並みの美しい犬で、犬は犬なのだろうが真っ黒の毛並みがちょっと長いのと大型犬と呼ぶにしてもちょっと大きいのと額から角が生えているのは色々誤魔化すのが大変そうだ。犬は城字の手を甘噛みした。傷ついた手だ。傷がわずかに癒えるのが分かった。多分脳を触られたら一瞬だ。しかし往来に人が多すぎる。それとも。
 がじがじと囓る音。
「カーズ」
 怒っているのだろうか。
「実行犯は一網打尽にしたんやけどなあ。なるべく殺さない方向でと思ったけど、組織っぽいの噛んでるなあ。口封じの手際がよすぎる」
「行くのか」
 犬が言う。
「ちょっと今無敵モードやで、行かない手はない」
 大きく裂けた口を更に吊り上げ犬が笑う。立ち入り禁止のテープをくぐった先にいたのは黒毛の馬だった。
「奮発しすぎじゃない?」
「乗らんのか」
「乗る」
 かくして古きローマの街並みを馬は駆ける。名探偵を背中に乗せて。






たずのこさん、手の具合はいかがですか。 2014.6.9