クロック・アップ・イン・サンディエゴ




 もう出掛けなければならないという時に限って呼び鈴がなる。電話とか、メールとか、この忙しい時に限って。メールは誰からか分からない。電話はエージェントからだ。呼び鈴? 誰だろう。返事をしてレンズから覗く。紫色の帽子、紫色の制服。宅配だ。ちゃっちゃと受け取った。箱に印刷されているのは通販会社のロゴだ。カタログ通販? ジョニィ・ジョースター宛。注文した記憶がない。とにかくぼく宛てなら問題ないだろう。箱を抱えたままアパートを出た。
 道路に停まった車から黒い腕がにゅっと突き出て、YO!YO!YO!と声を上げる。
「すっかりブルって逃げちまったのかと思ったぜぇ?」
「はぁ? ぼくが?」
 ぼくは助手席に乗り込み、思い切り運転席の男を睨みつける。ポコロコ。陽気な黒人。ぼくのエージェント。
 拗ねるなよ、ジョニィ坊ちゃんよぉ、とポコロコは車を発進させた。
「ほんのジョークだろ。ジョーク」
「あのさ復帰レースその日のジョッキーにそういうこと言うか。これから勝負しに行くって時に。ぼくが負けたらおまえだって大損だろ」
「なぁに、オレは心配しちゃいねぇのさ」
 ポコロコは快調に車を走らせる。サンディエゴの景色がビュンビュンと流れてゆく。目の前の信号はオール・グリーンだ。ぼくはちょっとムッとしつつもポコロコの運の良さは認めなければならない。ヤツは自称五十億人に一人の幸運の持ち主で、ぱっと見にはその辺を歩いているプー太郎かMTVに出てるラッパーみたいだけど、実は医者のジャイロよりも稼いでいる、らしい。詳しくは知らない。凄腕のエージェントという噂は出会った後で聞いた。
 ぼくがジョッキーとしての再起をかけて活動し始めた時、確かにエージェントは必要だからと乗馬クラブやスティール氏の幅広い人脈に声かけをしてもらった。でもポコロコは向こうから来た。ぼくのことはネットか何かで知ったらしいけど、埃まみれの銀色のスカイラインで乗馬クラブに乗り付けてぼくの手を握った。ジョージアからここまで走ってきたらしい。
「YO! YO! ジョニィ・ジョースター。あんたジョジョって呼ばれてるらしいな。いっちょオレと組んで一儲けしないか?」
 この時点で明らかに胡散臭いんだけど、毎日顔を合わせて美味しい料理なんかを奢ってもらううちに――別に餌付けされた訳じゃない、餌付けじゃない――そんなに悪いヤツじゃないのは分かってきたし、実際ポコロコの運の良さっていうのを目の当たりにして賭けてみる気になった。そもそも競馬そのものがギャンブルなんだ。ケンタッキーから身一つで出てきたぼくだ。今更守りに入るだけのものも持たない。
 で、今日だ。
 ジャイロは昨夜が夜勤だったから、昨日の朝からずっと会ってない。だからさっきの電話だったんだろうなと着信履歴を見たらディエゴの番号からだった。ぼくは履歴を削除する。メールはルーシーのアドレスからで、ルーシーとスティール氏、ホットパンツ、病院のナース達の投げキッスの写真が添付されていた。
 ぼくはモバイルをポケットに仕舞って座席にもたれかかる。
「おいおい溜息なんか止めなよ、ジョーキッド」
「溜息なんかついてない」
「ママのキスがなきゃ学校に行けないって齢でもねえだろ?」
「ぼくはガキじゃないし童貞卒業はおまえより早いしジャイロはママじゃない」
「どっかな。童貞卒業が何だって?」
「十六」
 ポコロコはニヤッと笑って片手を広げた。クソッ、一年負けた。
「ところでそりゃ何だ?」
「何」
「後生大事に手に持ってるFedexの箱は?」
 ぼくはガムテープの封を破る。小脇に抱えてきたダンボールだけど、その中にはまた小さな箱が入っていて動かないように接着剤で留めてある。ぼくはその箱も破いた。
 っていうかその箱に箔押しされたロゴで中身はもう分かってたんだけど。
 ぼくは黙って腕時計をはめる。
 ひょおっ!と運転しながら片手で箱の残骸を取り上げたポコロコが声を上げた。
「ブレゲかよ」
「ブレゲだよ」
「前祝いにしちゃ豪華すぎねえかぁ?」
「ぼくじゃないよ」
「ママか」
「ママじゃない」
 ふひひ、とポコロコは笑い更にアクセルを踏み込む。
 ぼくが使ってた腕時計のガラスがとうとう割れたのは先週のことだ。ヒビが入ってるのをぼくはしつこく使ってたけど、ジャイロが危ないって言ってとうとう取り上げた。その時、ちょっと言い争いになってシンクの角にぶつけた。
「あーあ」
 ぼくはジャイロを睨んだ。
「お気に入りを取り上げようとしたのは謝るけどよ」
「別に気に入ってるからじゃない」
「だから危ないっつったろ」
 兄さんの時間を計った時計だったからだ。
 ぼくにない才能を持っていた兄さんの時間を、確かに計った時計。
 過去を全部捨てる必要はない。持っていたくたって手からこぼれ落ちるものもある。ぼくはそろそろ新しい時間を刻まなきゃいけない時だったんだ。そう言い聞かせたけど、その日一日はニコラスのことを思い出しぶすくれてた。
 お詫びがブレゲ? カタログ通販で? ジャイロ?
 ぼくはモバイルを取り出しジャイロに電話する。慌てたせいでうっかりディエゴに電話しそうになって切る。そもそもなんでディエゴの番号を登録してるんだろう。後で消してやる。
「ジャイロ!」
「おう」
 眠そうな声がスピーカーの向こうで反響する。水音もする。バスルームだろうか。
「ブレゲ」
「前祝いだ」
「欲しいなんて言ってない」
「怒るこたねーだろ」
「百倍返しにしてやるからな!」
 電話を切ると、運転席のポコロコがむっふっふっと笑っていた。
「素直じゃねーなー、オタクも」
 ぼくはアドレス帳からディエゴを削除しながら中指を立てる。
「でもな、ジョニィ、そんなオタクからラッキーの気配がムンムンしてくるんだ」
「こないだまでアンラッキーのどん底にいたんだけどね」
 投げキッスの写真を自撮りしてルーシーに送り返し――ちょうど赤信号につかまったのをいいことにポコロコもちゃっかり写り込んだ――自虐気味に言い返すと、オレもそうだったぜ、とポコロコが急に真剣な口調になる。
「何やっても駄目だった。ジョージアの農場で痩せた土地耕して何になるってんだっつって、日がな雲の数を数えてたんだぜ。でもある日変わったんだよ」
 ぼくはその横顔を見る。
 信号が青になり銀色のスカイラインは走り出す。ポコロコはにまっと笑ってアクセルを更に踏み込んだ。
「占いババアに言われたんだ。オレは何やっても上手くいくってな!」
「占いかよ!」
「安心しろジョニィ。五十億分の一のラッキーガイ、ポコロコ様がついてるんだからなぁ! 今日の優勝はお前のもんだぜ!」
「それぼくの実力だからな!」
 イィィィハァ!といななきポコロコは両手をハンドルから離したままアクセルを踏んだ。もう本当に馬鹿みたいだけど車は事故らず一直線に交差点を通過し競馬場に到着し、ぼくらはハイテンションのまま殴り込む。
 不審人物と間違えられ入口でめちゃめちゃ注意された。もうちょっとで警察呼ばれたり対テロ部隊とか出てきそうになった。ヤバかった。
 でもぼくは宣言どおり――ポコロコの予言どおり――一着でゴールする。
 当然だ。
 両腕を挙げ続けるぼくの手首にブレゲが光る。歯車の噛み合ってるのが透けて見える、いかにもブレゲってやつ。似合う。超似合う、ぼく。込み上げる笑いを堪えられない。見てるか? ジャイロ。この手首に光ってるやつ、見えるか? 腕時計なんて無駄な重石をって皆思ってるだろうな。この時計の意味が分かるのは君だけだ。見えるだろ?
 アパートに凱旋するぼくが手にしたのは白い箱いっぱいの赤いバラ。百倍返しにはまだ届かないけど、まずは一勝目、まずは第一歩。
「行け! 色男!」
 ポコロコの声援を背に、ぼくはアパートの階段を上る。






跳ね箸さん、ハッピーバースデー! 2014.6.10