いつもの仕事




 女の胸には肋骨が浮いていた。痩せていた。苦労してきたのだろう。
 だから、どうした。
 不幸な女を殺す自分の稼業を不幸とも思わないし人が命の潰える間際に見せる怯えや醜い命乞いには優越感を抱き自尊心さえ復活した気になるからイルーゾォは自分にはこの稼業がいると思う。思っている。思い込んでいると医者の分析みたいに言うよりは隠微な優越は胸の奥から抑えようなく溢れてくるから、愉悦即ち分析不要の本能の悦びであるとすればやはり自分は人を殺すのが好きなのだろう。人を閉じ込め、無力な脚を断ち、縋る腕を折り、この骨の折れる人殺しという作業に没頭し、涙と悲鳴を糧とする。ああ、オレは目の前のこいつより強く(当然だ)賢く(当然だ)優れている(当然だ)。美しくさえある(何てことだ!)。この顔を見てみろ、穴という穴からあらゆるものを垂れ流してやがる。醜く愚かな人間はオレに殺されて当然だ。人殺しさえ正しい。
 シャワーの音の向こうで夕立が止もうとしていた。背後が明るくなる。白いタイルが光を反射し淡く光る。女は泣いている。黙って涙を流している。鼻水は…流れていない。ゲロもだ。そもそも涙を流しているのかも、その表情から判断しただけのことだ。シャワーは絶えず浴室を叩き続けている。その水滴なのかもしれない。イルーゾォは女の胸に刺さったナイフを靴の裏で更に押し込んだ。女の目が見開かれる。結んだ唇が解け、血が溢れ出す。シャワーはそれを洗い流す。肋骨の浮いた胸に薄められた赤が広がる。白く、血の気を失う胸の上に。
 あまり苦労をしない殺しなら、それでもいい。汚れなかった服なら捨てずに済む。後は息絶えるまでこの女がどれだけ我慢をできるか見物するだけだ。イルーゾォは女の目の前にしゃがみ込み、手を伸ばす。痩せた乳房に触れれば冷たい肌と冷たい脂肪の向こうにまだ心臓の鼓動が残っている。そのまま鷲掴みにし、にやりと笑ってみせた。胸を触れられた女は死の間際でも一瞬身体を硬直させ、胸を掴む男の手に震えた。敢えて言葉で脅すこともない。行為は何より雄弁だ。女の内側には死による苦痛からの解放を目の前にそれが打ち砕かれた恐怖が生まれ育っているはずだ。死ぬ瞬間まで犯されるかもしれない。いいや、死んでからも終わらないのかも。そんな恐怖がだ。
 女の瞼が半分伏せられた。重たく瞬きをした、目の縁から流れ落ちたのは確かに涙だった。
「神様」
 女は囁いた。
「お赦しください」
 命乞い、ではない。
「私に降りかかる痛苦をお赦しください。私の呼び寄せた罪をお赦しください。目の前の…この哀れな人を…」
 手はその口を覆った。女の首はがくんと反り、頭がタイルの壁にぶつかる硬い音が響いた。イルーゾォの背後には異形が姿を現す。マン・イン・ザ・ミラーの破壊力はさして高くない。人間と同程度、イルーゾォの力と同じだ。だからこそ女の骨を砕き、柔らかな肌を切り裂く拳はイルーゾォのものだった。
「女…」
 名前はクララ、だったか?
「お前に許してもらう必要などない。お前ごとき、貧乏くさい女の許しなど、オレは、必要、ない」
 しかし女の目から命の光はほとんど失せ、皮膚の下のかすかな脈動も消えていた。イルーゾォは女の口から手を離した。また溢れ出した血がシャワーの雨に流された。真っ白な唇が震えていた。もう死ぬ。今すぐにも。しかし女の唇は綻び、見えない目は目の前のイルーゾォではない誰かを追うように細められた。
「シーラ…」
 最後の一言を呟いた唇は半開きのまま閉じることはなく、また息が通うこともない。瞼は完全に閉じられて、睫毛の先から涙のようなシャワーの雫が次から次へとこぼれ落ちた。イルーゾォは立ち上がり浴室を出た。太陽は東側に沈もうとしていた。時計の文字盤が逆だ。舌打ちをしながら浴室にとって返し鏡に触れる。
 結局、濡れた服を捨てた。半裸に上着だけ羽織ってホルマジオの部屋に行くと猫に出迎えられた。鍵を壊して中に入った。酒はわずかにぬるかった。瓶から口づけに飲んだ。テーブルの上に放置しておくのが悪い。猫を追い出しベッドに横になる。ホルマジオが帰って来たのは夜になってからだが、それにも気づかないほど眠りこけていた。乱暴に肩を揺さぶられる。成り行きで――いつものことだが――セックスになだれ込む。
「冷て」
 イルーゾォの裸の胸に触れてホルマジオが思わず口に出す。イルーゾォはベッドに横たわったままホルマジオの手に乳首を撫で上げられ鳥肌を立てる。






2014.2〜3月