晩秋のサンディエゴと隣人たちのこと







 リンゴォ・ロードアゲインはぼくがリヴォルヴァーを買ったガンショップの店主だ。ぱっと見になよなよしてるし昔病弱だったせいか肌が真っ白っていうか色素自体薄くて気弱そうに見えるが、事実怖がりな男だ。しかしそれだけじゃない。リンゴォ・ロードアゲインは恐怖しながら恐怖に打ち克つ術を知っている男で、どこまでも冷静でありどこまでも冷徹なことができる男であり、多分このサンディエゴで一二を争う恐い男に違いない。ぼくの友達のジャイロが有名人であるように、リンゴォも一部では有名な男であり、彼の名前を知っているものならとにかく彼を怒らせない。まあリンゴォはそんなに怒りっぽい男じゃなくって、寧ろ静かで穏やかな感じだけどその静けさが逆に恐いところがあり、巷では子どもの頃に人を殺しているとか店をやるまえは殺し屋だったとか色んな噂が立てられているけど、ぼくが言える確かなことはこの男は確実に人を殺したことがあるということ。おそらく、彼の商売道具の銃で。
 ぼくが彼の店に初めて行ったのは十月の終わりのこと、サンディエゴに来たのが九月だったから大体一ヶ月後だろうか。ぼくはまだその頃ジャイロと一緒に住んでなくてモーテルも利用したけど、コーヒーショップで引っかけた女の子の部屋に泊まったり、店のカウンターで寝たり自堕落な日々を過ごしていた。ある朝早く、まだ暗い通りを二日酔の頭でふらふらしていたら早番のジャイロにまた轢かれそうになって目が覚め、車道の真ん中で喧嘩をして別れた後、もう絶対にあいつの歌なんか聴くもんか、手伝いでもコーラスなんかしてやるもんかって思ったら貯金を全部下ろしてその金でガンショップの扉を開けていた。
 別にジャイロのことを殺してやろうとか、そういうんじゃない。そういうんじゃないけど…けどぼくの中には明確な殺意があった。誰に向けられたものでもない、多分、向かうとすればジャイロに轢かれそうになるまでの自分のことで、カウンターで震えているぼくや、女の子が仕事に出た後もベッドでダラダラしているぼく……、溯ればケンタッキーでいい気になってたぼくも、脚が動かなくなって虫みたいな生活していたぼくも、全部、撃ち抜いてやりたかった。
 まずはこの眉間だ。ドアに嵌まったガラスが明るくなった通りの光を反射してぼくの顔を映した。ぼくは狭いガラスの中にぼくの目を見た。ドアベルの音が静かな店内に鳴り響き、リンゴォ・ロードアゲインは穏やかな目でぼくを見た。
「銃をくれ」
 ぼくはショーケースの中身を指さして言った。リンゴォは握りしめてくしゃくしゃになったドル札を丁寧に数え、それからショーケースの中身をぼくに差し出した。
「ようこそ『男の世界』へ……」
 聞けばリンゴォが初対面の人間に銃を売るのは珍しいらしい。直接本人に尋ねてみると、ぼくには資格があるという答えだった。
 リンゴォの言う資格が何なのか。それは多分こっちの話題と繋がっている。何かって言うと、なんと――と大袈裟に言うこともないがリンゴォはジャイロのことが好きじゃない。
 ぼくはたびたびリンゴォの店に遊びに行って、何をするって訳じゃないんだけど喋ったり、時々は銃を手入れしてもらったり、その内自分でも手入れ出来るようにリンゴォから教えてもらう。
 十一月も終わりだったかな、ぼくとジャイロは一緒に暮らすようになって…と言うか、週末ごとのストリートライブの後ジャイロの部屋でコーヒーを一服するのが当たり前になっていたから、そのまま一泊しちゃうとぼくの生活の拠点はそこになってしまった。ジャイロの部屋は一人暮らしにしては広かったし、ベッドも大きかった。ぼくら二人が寝ても余裕で、ぼくらはコーヒーで乾杯した後カフェインの効果も虚しくそこで寝る。朝ご飯はぼくが作る。パスタを茹でたりハーブティーを淹れたりしている内にジャイロが起き出して一緒に朝食を摂る。ジャイロが出勤するのを見送り、ぼくはコーヒーショップのバイト。
 あのジャイロ・ツェペリが男の子と一緒に暮らし始めたっていうからそれなりに噂になっていて、それはリンゴォの耳にも入るところだった訳だ。
「何で嫌いなの。ジャイロは人の命を助けるから?」
 暗にリンゴォのアブナイ過去をほのめかしつつ尋ねると、リンゴォはそのことには怒らず、むしろ話題に上ったジャイロ本人について眉間に皺を寄せた。
「医者が人の命を救うというのは素晴らしい使命だ。それは否定しない。使命も…仕事も…。だがあの男の話をしよう。アレにはオレたちの持っているものがない。オレがあの男を嫌うのは、アレが『対応者』に過ぎないからだ」
 リンゴォは銃を売る。それは彼が認めた人間だけだ。リンゴォの売っている銃は護身用であるとかそういうものではない。彼は人を殺すための道具として銃を撃っている。
 つまりリンゴォはぼくの中にも人を殺し得る意志を見出したってことで――彼はこれを『漆黒の意志』と呼んだ――しかもさっきの会話の中でも自分とぼくのことを『オレたち』ってさりげに一緒にしたんだけど…。誓ってぼくはまだ人を殺していない。いや…。
 言い淀んだぼくの過去話については話が脱線するからここでは気にしないとして、ジャイロはいいヤツに違いないんだけどリンゴォはアレ呼びするくらいジャイロが嫌いで、ジャイロもぼくがリンゴォの店に遊びに行くのを快く思わない。
「今度おめーがあのリンゴ野郎の店に行ったらなぁ、ジョニィ?この部屋から出て行ってもらうぜ。バンドも解散だ、覚悟しろ」
 バンドはいつ解散してもいいけど。

「ゲイの三角関係の話か」
 とHP(ホット・パンツ)は言う。
「違うよ」
 ぼくはうんざりする。
 これもよく受ける誤解なんだけど、ぼくとジャイロは別にゲイのカップルだから一緒に住んでいるとかじゃない。そりゃジャイロんちのベッドは広いし、ぼくらはそこで一緒に寝るけど、夜勤も入って勤務時間が不規則なジャイロとは何日も顔を合わせない時もあるし、そんな毎晩毎晩って訳じゃない。いや、回数の問題じゃなくて、そういう気持ちはないってこと。ぼく女の子のこと普通に好きだし。
 ちなみに病院に併設された教会の、ホット・パンツはれっきとしたシスターで、この時代に本物の修道女でローマ法王庁から来たマジモンで身持ちがめちゃめちゃ堅い。うっかり教会の中で口説いたぼくは鉄拳制裁を食らったが、教会の外だったら外だったで多分縛り首にされていたんじゃないかと思う。聖職者のくせにホット・パンツは縛り首とかそういう言葉が好きだ。
 口説いた――教会の床の上に押し倒した――ぼくをボッコボコにしたホット・パンツだけど、その割りにぼくとは仲良くしてくれる。今日もバイトが早くひけてついでに病院に立ち寄ったら姿を見かけたから、教会で人生相談をした。
「リンゴォに乗り換える話じゃないのか」
「違う」
「なるほど、リンゴォが先か。ジャイロに乗り換えるのか」
「違うってホット・パンツ。人の話聞いてたか?」
「おまえの話が要領を得ないんだ。ジャイロの部屋から出て行きたければ出て行けばいいだろう」
「別にそんなこと言ってない」
「じゃあ何だ。ジャイロのことを大切にしたいのか?リンゴォ・ロードアゲインがジャイロ・ツェペリを悪し様に言うのが許せないのか?」
「そこまで深刻な話じゃないってば。ただ愚痴りたいだけ…」
「ジョニィ、銃は?」
 唐突にホット・パンツが尋ねる。ぼくはベルトに挟んでいたリヴォルヴァーを取り出して見せる。
「おまえはそれを捨ててもジャイロと一緒にいたいか、ジョニィ」
「は?…何の話…」
「週日は味覚障害になったかと思うほど不味いコーヒーショップでバイトをしジャイロ・ツェペリの部屋に帰り、週末ごとに一緒にギターを弾き変な歌を歌う生活を捨てるためのものなのか、リンゴォの店で買った銃は」
 ぼくは手の中で銀色に光るリヴォルヴァーを見下ろす。
「本当は…」
 指先でつまんだ銃口をそっと自分に向けた。
「ぼくは……」
「ジョニィ、苦しんでいるのにどうして神に身を捧げないの。赦してもらいたがっているのに、何から赦してもらいたいのか目を逸らしてばかりだ、おまえは」
 夕方の光がステンドグラスから射し込んで教会の雰囲気はよく、ホット・パンツの言葉はしみじみちくちくぼくの心を刺す。
 教会での会話っていうのは答えを出すためにあるんじゃなくて、聞いてもらうためにある。一緒に外に出たホット・パンツはあっという間にシスターの顔じゃなくなり、いきなり凄い顔になって――結構美人なのにむちゃくちゃ顔を歪めて「腹が減った…」とか言う。ぼくはローストビーフサンドイッチをおごってもらう。
「さっさと帰れ」
 日の暮れた通りでホットドッグ屋台の明かりに照らされ、ホット・パンツは犬でも追い払うように手を振る。
 帰れって、どこにだよ。
 ぼくはサンドイッチをすぐには食べずに包みを抱えたままジャイロのアパートに戻る。ポケットの中には合鍵が入っていて、鍵を開けると中はまだ真っ暗だった。まだ帰っていないらしい。サンドイッチを半分食べて残りはラップをして冷蔵庫に入れた。
 いつも歯を磨いてから寝ろとか言う五月蠅いジャイロがいないから、ぼくはそのままベッドに横になる。まだテレビだって絶賛ゴールデンタイムだし、通りも明るいけどベッドで眠りたくなる。でも瞼は閉じない。だんだん暗闇に呑まれて輪郭も分からなくなる寝室を眺めている。
 どれくらい時間が経ったのか玄関の鍵が開く音。自分の鍵で帰ってきたジャイロだ。電気が点く。足音。キッチンまで行った。冷蔵庫の扉を開ける音。
「ジョニィ?」
 ぼくは返事をしない。しばらく静かになる。突然音楽が流れ出す。テレビをつけたんだろう。毎週見る歌番組だ。すっかり忘れていた。ジャイロは一人で観てる。聞いてるだけかもしれない。合わせて聞こえてくる歌声は別に音痴って訳じゃない。自作の歌がめちゃめちゃ変なだけなんだ。
 ジャイロの歌声が消えてテレビの音だけになる。遠くで水音。皿を洗う音かな。ああ、シャワーだ。ぼくは歯磨きをしてないのを思い出す。別にいいだろ。
 思いの外早くテレビの音が消える。ドアの向こうで電気の消えた気配がする。ドアが開く。近づいてくる足音は聞き覚えがある。隣に潜り込んでくるあたたかな気配。シャワーの湯の匂いがまだする。彼の長い髪が乾ききってないんだ。
 何か言われるかと思ったけど、ジャイロは黙って腕を伸ばしぼくを抱きしめる。別に特別な意味合いはない。でかいぬいぐるみと同じ扱いだ。ジャイロはもうぼろっぼろになったクマちゃんのぬいぐるみとか持っているのだ。
 ぼくが眠っていないのをジャイロは知っている。でも話しかけない。ぼくは彼の身体との間に挟まれた自分の手をぎゅっと握りしめる。嫌じゃないんだ。信頼する人間からの抱擁は、その肉体にかかる心地良い負荷が心地良い。肉体に引き摺られて心も落ち着く。ただ、手を伸ばすのは恐い。
「ジョニィ」
 ぼそっとジャイロが言った。
「おめー、歯。歯磨いてねーだろ」
 ぼくとジャイロ・ツェペリはゲイのカップルではない。ぼくが一方的に彼を好きなだけなのだ。




2013.2.13