ジジーネとジジ千代に捧ぐ
通りの向こうの窓から娼婦が手を振る。投げキッス。メローネが愛想良く笑顔を投げ返しピースサインをすると、窓の向こうにもう何人かいるらしい売春婦たちの笑い声が路まで溢れ出し石畳の上でキャンディのように跳ねる。 「いいね」 見開いた瞳は娼婦たち一人一人の下着の色、レースの模様までも見分ける。 「ババアじゃねーか!」 視線の高さをメローネに合わせて窓から身を乗り出した娼婦を見たギアッチョが怒った。 「見えるのかい?」 「馬鹿にすんな。殺すぞ」 殺すと言った時には拳が背骨の上をごつんとやっているがメローネは視線を娼婦の半裸に据えたまま、ベネ!と呟いただけだった。最近腰痛が出てきた。歳だと言うと、メローネが腰を振れないんじゃ世界の終わりと嘆く女たち半分。あいつの真価は腰を振ることじゃないわと訳知り顔で頷く女半分。拳は鈍い痛みの上に心地良く響く。 「もっとやってくれ」 「キメーこと言うな」 女たちはもうしばらくメローネに構っていたいようだが、ギアッチョは路上に唾を吐きメローネを引き摺って歩き出した。またの来店を待つ声が背中にかけられる。 「挨拶してやれよ」 メローネはおそらく女たちに手を振りながら言っている。 「いいんだよ」 「君の馴染みが死んだのはもう何十年も昔の話だろ」 「オレがたかが娼婦の一人に操立てしてるって? ああ?」 「純な愛は彼女たちには眩しすぎる。毒だ」 「ああ。オレが殺したんだ」 「知ってたよ」 胸の大きな女。ベッドの上では眼鏡を外していたせいか顔はあまり思い出せない。 売春宿の並ぶ小さな通りを抜けてバス停に向かう。今も昔もギャングという肩書きから想像される景気の良さとは反対の貧乏暮らし。昔はバスになど乗らなかった。そのカネがあれば飯か酒。移動するには二本の脚があったし、ギアッチョは車を盗むのが得意だった。メローネはバイクを持っていた。今はバスに乗る。脚が疲れるからだ。しかしバス代の分夜の酒をケチるようにはできていない。安酒とは長い友達だ。そしてメローネとの付き合いは更に長い。 酒場のカウンターで先に待っていたソルベとジェラートが奥に詰めた。温まっていた席にはメローネが座る。ギアッチョはひやりとした席に座る。カウンターの中からペッシが酒を出す。乾杯のためのいつもの安酒。サルーテ。 「おい、接客中くらいそれやめねーか」 ギアッチョが早くも空になったグラスを振ってペッシに文句を言う。 「ガリガリガリガリうるせえんだよ」 「これが嫌なら別の店に行ってくだせえな」 ペッシはグラスの中の氷を更に口に入れ、ガリガリと噛む。 「でもそうしてると、今もそのへんにいそうだねプロシュートが」 ペッシは背後のカレンダーを叩く。来月の日付の上にバラが一輪咲いている。 「来月は命日か。早いな」 「そのことだけど」 ジェラートがグラスを置いてこちらを向いた。 「リーダーに会ってきたよ。身体は頑丈なんだけどね、脚引き摺ってるからしんどそうに見える」 「で」 「勿論ミサには来るってよ」 「当たり前だろ」 低くしゃがれた声でソルベが付け加えた。 「じゃあ全員揃いか。ちょっと待てあいつらどうした」 「あいつら?」 「あいつらだよ」 「ホルマジオなら裏でジャガイモの皮剥いてる」 ペッシが狭いドアを顎でしゃくった。 「イルーゾォは」 「猫と遊んでる」 「逆だろ」 「どっちでも似たようなもんですよ」 折しもそこへ裏口から猫の悲鳴が聞こえ、皆声を上げて笑った。引っ掻き傷を作って戻って来たのはホルマジオだった。イルーゾォはバケツいっぱいのジャガイモを置いたが、それ以上のことをペッシに止められた。 「オレだって料理くらいできる」 「トマトで味付けする前から真っ赤になったらたまらねえスよ」 ホルマジオが自分の引っ掻き傷など構わずイルーゾォの指先に包帯を巻く。カウンターはいよいよ狭くなった。一番端に座るギアッチョの隣は拳一つ分を空けて座るメローネだ。 「おいペッシ」 ギアッチョは身を乗り出し、空のグラスを振った。 「酒。気が利かねえな、テメエは」 「安酒控えた方がいいんじゃないか」 「口の利き方もなってねえな」 「たまにはいい酒飲んでってくださいよ」 「奢りか」 「何言ってんスか」 耳の上でギアッチョが怒鳴るのを、メローネは視線はカウンターの下で手指を遊ばせるジェラートとソルベに据えたまま、心地良く聞く。 「なあギアッチョ」 「なんだよ」 「神はいると思うか?」 「は? いねえよ」 「そうだ。その通りだ。だが存在する」 「ボケてんのかテメエ」 ペッシが注ごうとするのを、やはり他所を見たままメローネは取り上げギアッチョのグラスに注いだ。 「サルーテ」 眼鏡の奥、目尻の皺を見上げて笑う自分の頬や目元にも皺が寄る。額にもだ。 「気持ちわりぃ顔で笑うんじゃねえよ」 ギアッチョの乾杯は直接瓶にぶつけられた。 webで拝見したスズキ様の素晴らしいジジーネとジジ千代へ。 2014.4.14 |