ダイヴ・ディーパー・ニュー・ワールド




 カーズの濡れた髪に包まれるとこのまま溺れてしまいそうな気分になりぞぉっとする。腹の底のもうちょっと下あたりから肉体が冷えていって、これから冷たくなるあたりが、あっ、もうすぐ恐怖が来るぞと感知しゾゾゾと鳥肌を立てる。その鳥肌が溶けて、一瞬熱くなる。熱が外側に逃げる。肉には冷えた血だけが残る。
 実際にはこの湖水地方の殺人事件――そう、観光名所オブ観光名所、休暇たる休暇、レッツバカンス!とばかりにやってきたこの湖水地方に辿り着いた初日にでくわした殺人事件のせいで、城字は自殺を試みた犯人を生け捕りにしようと(まあ助けたかったのも半分、まだ若くて涙目の似合う美少年が犯人だったし)湖畔のホテルのバルコニーから湖に飛び込み、犯人を水面までつれて浮上したまではよかったが今度は自分が溺れた。カーズの髪の毛は城字を助けるために身体に巻きついたものだったけれど「あ、カーズはこの力でいつでも僕を殺せるんだ」という実感が急に湧いてきたのだった。
 だが同時に水の中で肺の空気も全部吐き出した自分を静かに見つめる目があった。僕は今までも死ぬような目に遭ってきたし、これからも遭う。心は何度も器の中で壊れる。死。この濡れた髪の毛は僕の可能性の一つだ。予言の一つであり、未来からの遺言だ。僕は、僕が愛するこの美しい生命に殺されるかもしれない。いつか。遠い未来のことかもしれない。だが遠くても確実に存在する可能性。その透明で美しい可能性を、自分は今抱いているのだと。
 カーズの髪の毛はもうすぐ城字を水面まで持ち上げる。必ず城字の命を助ける。何故ならバカンスだってまだ堪能していない。約束は守られていない。そして無事に二人で西暁の家に帰るのが約束だから。確実な生を目の前に、今ではない、だが確かないつかの死という可能性を見て、城字の瞳は湖水の中できらきらと輝いた。次の瞬間、ずるりと身体が沈んだ。
 髪の毛が解ける。力を失った手足はもう掻くことができない。あれ、と思う間に身体は沈んでゆく。あれ、僕、死ぬの?
 のんきにも思えたが、心臓が酸素を求めて強く鼓動を打った瞬間マジかよ!と真剣に慌てた。カーズ!と叫ぶ。しかしもう口から泡も出ない。死ぬ!うおおマジで死ぬ!火星の裏でも死ななかったのに、地球上の、大陸一の観光地の湖の底で死ぬ。名探偵城字・ジョースターここに眠る…。あ、これはこれでロマンチックや。
 いやいやいやそれどころじゃないからな?と目玉が飛び出そうなほどの面相で足掻いていると、水面から射す輝く光の柱を深い影が遮った。塗りつぶされた黒の中に一対の輝きが見えた。水底の美しい宝石…。見とれる間に唇が塞がれ、肺腑を満たしていた水が吸い込まれる、かわりに空気が押し込まれる。あまりの苦しさに込み上げてきたものをぶはっと吐くと空気の泡が頭上に立ち昇った。あ、息だ、と思うと呼吸ができた。城字は相手の髪の毛にしがみつき、より深く唇を重ね合わせる。時々、漏れた空気がぷつりと小さな銀色の泡になって水面に上った。
 湖畔では名探偵とその助手らしい男がいつまでも上がってこないので大変な騒ぎになっているのが予想ついたし、カーズの耳にはそれも聞こえていたが、二人は構わなかった。なんならこのまま、と城字が視線を送ると、カーズは目を細めて笑った。






2014.2.25