もう一度、サンディエゴから







 ジャイロ・ツェペリは本名は違うけどパスポートもジャイロ・ツェペリで持っててイタリア人で二十四歳の医者で父親は向こうの警察だか監獄だかのとにかくお偉いさんらしくて本人も将来有望な男のはずだけど何故かサンディエゴのERで働いていて笑うと品が無い。すっごい変顔や死にかけた患者をアケローン河に突き落とすんじゃないかってくらいのギャグセンスの持ち主で、でも人望があって外国人だけど病院からの信頼も厚く、死にかけて帰ってきた患者からも慕われていて、ちょっとした有名人で、同時にぼくの友人だがぼくは彼の患者じゃないのを、人々はぼくの松葉杖姿を見て不思議がる。
 そもそもぼくが怪我をしたのは故郷のケンタッキーでのことで、当時十七歳だったぼくは若き天才ジョッキーって呼ばれてた。実際そのとおりだったし何度も優勝したし有名人だったし女の子にもモテたしの順風満帆っぷりだったんだけど、女の子とのデート中にデリンジャーで撃たれて下半身不随になる。マスコミはこぞって騒ぎ立て、ぼくをちやほやしていた連中は波が退くように去って行き、父親からも見放されたぼくだが、十九歳の時に色々あってまあ簡単に言えば神の奇跡に触れてちょっと歩けるようになり、ぼくの主治医はあっという間に地位も名誉も失った上脚が動かなくてこれでもかって負け犬のぼくをレイプしたくせにそういうのを一切忘れたような顔をしてぼくを祭り上げようとするが、流石のぼくもそこでいい気になるほど頭は春じゃなかったから、主治医を松葉杖でぶん殴った後よろめく脚で転がるように病院を出てそのまま西海岸行きの長距離バスに乗った。
 到着したのがサンディエゴだったのはたまたまだ。ぼくは片方の松葉杖でバランス悪く歩きながら、お腹も空いてたしこれからどうしようと思っていたところを見事に横断歩道で転ぶ。そしたらそれを轢きかけたのがジャイロだった。早朝だった。
「おいおい今日の事故死者第一号になるつもりか、おたく」
 車の窓から顔を覗かせた男はにやにや笑っていていかにも馬鹿にされているようで、拾った松葉杖をフロントガラスに投げつけてやろうかと思ったが、後ろから鳴らされたクラクションに「うっせえ!こっちが喋ってんだ静かにしろ!」と叫び返している姿を見て、いや喋るって何、喋ってねえし、と心の中でツッコミを入れた瞬間に隙が生まれて空腹が激しい自己主張を始め、ぼくは一気に色んなことがどうでもよくなった。
 松葉杖に縋るように立ち上がり歩道に逃れることを考えたが、腹の虫がおさまらなかったのでそのまま横断歩道を渡った。当然だけどこっちの信号は赤。ブレーキの音。タイヤがアスファルトを擦る音。そりゃもう通り中クラクションの嵐。でもぼくは構わない。おんぼろの車もピカピカの車も、全部ぼくにぶつかる前に停まる。その中心を渡りきって、クラクションの大合唱と罵倒や雑言を背に笑いながら松葉杖を路地のゴミ箱に投げ捨てていると後ろから
「なあ、あんた」
 と呼ばれた。
「乗ってくか」
 で、このまま彼の車の助手席に乗って彼の勤務する病院の休憩室でコーヒーを飲んだとかいうんならそれはそれでドラマチックな話だけど、実際にはそうじゃなくてぼくは彼を無視してなけなしの金でコーヒーショップに入りクソ不味いコーヒーを飲む。ジャイロはぼくを追いかけずに普通に出勤してその日も何件もの手術をし人の命を助ける。
 更に数日後、勢いでゴミ箱に投げたせいか松葉杖がぽっきり折れてそれをどうにかしようとぼくは病院に行ったりするんだけどジャイロはその日非番で乗馬クラブに出掛けていてERにはいない。ぼくともすれ違わない。ちなみにぼくはお金が足りなくて新しい松葉杖を諦める。
 ぼくは最初にコーヒーを飲んだクソ不味いコーヒーショップで皿洗いの仕事を始め、厨房でひたすら皿を洗いながら漏れ聞こえる店内の喧噪に耳を傾けていたんだけど、そこである夜中にセンス疑うくらいの変な歌が聞こえて来て、その変な歌が耳について離れないもんだから、皿を落として割る。落とした皿の分は給料から天引きになる。しかもこの変な歌は毎週末の夜に必ず聞こえて来て、店主曰くコーヒーを飲む常連じゃなくて歌いに来る男らしいんだけど、正直はた迷惑以外のなにものでもない。給料の恨みもあるから、いつか歌の主を見かけたら殺してやろうと思ってたんだけど、これがギターを持ったジャイロだった。
 これがきっかけでぼくらはバンドを組むことになる。
 訳がわからない。
 けど今夜もまたぼくの隣でジャイロが歌ってて、ぼくはギターを弾いていてコーラス担当していて、地下鉄の駅には冷たい風が吹き、目の前に置いた帽子の中身は空っぽのまま、終電を下りた客がぞろぞろ階段を上って去ってゆく頃、駅員がやって来てぼくらを追い出す。
 ぼくは重たいギターケースを背負って、階段の手摺りにつかまりゆっくりと上る。前を歩くジャイロもぼくに歩調を合わせてくれている。
「先行けよ」
 ぼくは言い、
「ああ、先行ってるぜ。おまえの先をな」
 と返事をするジャイロは距離を一歩だけ離すが一歩だけだ。
 地上に出たぼくらは、ぼくのバイトするクソ不味いコーヒーショップの前を通り過ぎてジャイロのアパートに行き、彼の淹れてくれたイタリアンコーヒーで一息つく。
 本当は間に色々エピソードがあるんだけど、簡単に話せばこんな感じだ。




2013.2.12