ラウドナイト・ホーリーナイト・イン・サンディエゴ




 今年も山間部は雪がちらついているらしいがサンディエゴ市内は過ごしやすいほどで、街中の浮かれ具合もテレビで見る他の都市と比べると少し違うのかもしれなかった。通りをゆく人々の多くはコート姿でオーバーはほとんどなく、若いゲイのカップルが半袖で歩いているのを見てマジェントがくしゃみを連発し、くどくどと話しかけられうんざりしていたウェカピポはその隙に妹の待つ家へと逃げ帰った。後に残されたマジェントはウェカピポの背中にしつこく大声を投げかけたが途中から涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃに汚し、たまたま通りかかったディ・ス・コがハンカチを貸してくれるまで鼻水を流れるまま凍らせる。
 結局マジェントはハンカチをディ・ス・コの分、自分の分と二枚駄目にした。クリスマス・イヴなのだ、そのへんで勘弁してやらなければならない。例えばそれは議員としてパーティーに出席していたディエゴと普段通りシスターの勤めを果たして普段通りアパートに帰ったホット・パンツもそうだった。
 どうして電話を寄越さないと怒ったのはディエゴで、お前は仕事だろうと冷めた態度で返したのがホット・パンツだった。ディエゴはホテルを飛び出すと愛車のロールス・ロイスを自ら運転し速度違反を追いかけるパトカーを何台も引き連れてホット・パンツのアパートに突っ込み、はしなかったものの似たような勢いで彼女を部屋から連れ出すと今度はパトカーの警官に露払いをさせ閉店直後のブティックを無理矢理開けさせ呆然とする女にドレスを着せて再びパーティー会場に戻った。二人は万雷の拍手によって迎えられホット・パンツは得意満面のディエゴにビンタを食らわせ、ディエゴはそんな彼女に衆人の前でキスをした。ビンタというより昨年プロポーズの際先んじられたキスのお返しだろう。
 狂騒の痕跡の残る大通りからジャイロにメールを寄越したのは後始末に追われるマウンテン・ティムで、警察は二十四時間年中無休でご苦労なこったとモバイルの画面をこちらに向けたジャイロに、忙しいのは君もだろ、とジョニィは返した。
「医者なんだから」
「医者だって人の子だ」
「だから?」
「チキンもシャンペンも必要だ」
「ケーキもね」
 ホールケーキの中央で砂糖菓子のサンタと戯れているのはチョコレートのクマだ。勿論ジャイロはクマの側。ジョニィはサンタを頭から囓る。
「容赦ねーな」
「最後の最後に食べるのも現実に考えれば相当残酷じゃない?」
「こいつは最後から二番目」
 ジャイロは口の中にチョコレートのクマを放り込む。
「ぼくはデザート扱いなんだ」
「メインディッシュに決まってるだろ」
「チキンもケーキも前菜?」
 笑い声を上げ、ジョニィはケーキにかぶりつく。頬についた生クリームをジャイロが手を伸ばしてすくい取った。
 テレビはクリスマスに挑むようなメタル音楽を流し、テーブルの上に立てかけたジャイロのタブレットはNORADのサンタ追跡を生中継している。入ってくるメールはマジェントの泣き言、現場でひん曲がった街灯とボンネットの大きくへこんだロールス・ロイスを写メしたマウンテン・ティムの彼にしては高すぎるテンションの報告、ルーシーからパーティー会場の騒動と喝采について。ウェカピポの妹からは祈るようなメールが。きっと兄の方は明日律儀に堅苦しいメールをくれるだろう。
「あ」
 再び受信。ジョニィが液晶に指を滑らせるとエージェントのポコロコから今日出会ったばかりの美女とのツーショット写真が送られてきた。
「クリスマス・イヴってさ」
 ジョニィは、指先では凄い美人だね羨ましいなやるじゃん色男めと顔文字を駆使したメールを返信しながら言った。
「こんな、だったかな」
「こんなってどんなよ」
「わーっとお祭り騒ぎがあってでもみんな幸せなキスをして幸せに暮らしました的な」
「いいんじゃねえか。あのお方の誕生日前夜だ。奇跡くらい起きたってよ」
 ジョニィは液晶画面から顔を上げ、ふ、と鼻から小さな息を吐いた。
「素直だね」
「おまえさんがひねくれてんだよ」
「そのひねくれ者を好きになったのは誰さ」
「そのひねくれ者が」
 ジャイロはジョニィの手をとり、薬指に光る指輪を、自分と揃いの指輪を満足そうに眺め軽く唇を触れさせた。
「オレの前では素直になるっつーのは、なかなかの奇跡だろ?」
 その科白に対抗するようにジョニィは頭を高く上げてつんとすましてみたものの、指輪の上に軽く触れただけの接吻は去ってしまえは暖房にぬくめられた空気さえひやりとする。ジャイロはニヤリと笑う。ジョニィは唇を歪めて、まだだ、と言う。
「君から来てくれなきゃ」
「どうだかな、ジョニィ」
「だってクリスマスプレゼントがまだだ」
「そりゃ明日の朝だろ」
「君、仕事じゃないか」
「だから、ま、ちょっと早起きしてな」
「はあ? 朝から?」
「おまえがクリスマスプレゼントって言うから」
「最初からその気だったんじゃないの?」
「勿論、今夜のメインディッシュもまだだ」
 そこに異論はない。
「片付けは?」
「後で」
「後?」
「明日」
 とうとうジョニィからジャイロの襟首を両手で掴んで引き寄せる。すると大好きなクマのチョコレートをぺろりと一口で食べた男は容赦なく抱え上げた身体をベッドに放り投げた。ジョニィは広いベッドの上でバウンドしながら笑い、ボタンを外す。
「待て、オレが脱がす」
「なにそれ」
「おまえを全部見たい」
「いつも見てる」
「全部だ」
 ジョニィはボタンを外す手を止めて、ああ、と返事をし伸ばされる柔らかな掌に全てを委ねた。
 汗ばんだジャイロの胸の上に顔を伏せ心臓の音を聞き、いたずらに髪をいじられるのを心地良く感じながら、今頃マウンテン・ティムはどうしているだろうか後片付けは終わったろうか、明日の新聞の一面は何になるのだろうかとだらだらと喋っていると、また着信の音。
 が。
「………」
「ジャイロ」
「………」
「ジャイロ。鳴ってる。君のPHSだ」
 勿論、病院支給の、だ。
 ああもう!とジャイロは胸の上のジョニィを脇に転がし床の上で脱いだ服に埋もれるようにして鳴っているPHSを取り上げた。ジョニィは片肘をついてジャイロが話すのを眺める。
「今度は誰のハッピーな報せ?」
「アホのポーク・パイ・ハット小僧がクレーンの飾り付けで足を滑らせやがった」
「え、大丈夫なのそれ」
「今から行ってやるよ」
「ぼくも行く」
「は? なんだって?」
「イブの夜に一人は寂しいだろ」
「来たって楽しいこたぁねえぞ」
「不味いコーヒーで我慢するよ」
「…勝手にしろ」
 支度をするとなるとジャイロはてきぱきと動き、ジョニィも片方あらぬ方向に落ちていた靴下を足に引っかけながら後を追った。
「そういえばさ」
 ジョニィは助手席からジャイロを振り向いた。クリスマス・イヴの華やかな明かりに、まだほんのり赤みを残した頬が時々照らされる。
「こうやって君の病院に行くのは初めてじゃないか」
「そうか」
「勿論、どうってことはないさ。ただそれだけのことだよ」
 赤信号に車が停まる。ジャイロの身体が傾いた。最後の数インチはジョニィがジャイロの眼差しに引き寄せられた。二人は小さく笑いながら病院までもう少しの距離を走った。
 待合室には何故かディ・ス・コがいて、どうしたのか尋ねると。
「マジェントが熱を出して点滴を受けてる。それだけ」
 という返事。他にもポーク・パイ・ハット小僧の現場の仲間や、イヴの独り身は寂しくて眠れなかったのか起き出した患者もまじって待合室は存外賑やかだった。壁には恒例のサンディエゴ独身男協会定例会のポスター。ジャイロは明日これでギターを弾くつもりだ。ジョニィは特別ゲスト、見事復活を果たした天才ジョッキー、ジョニィ・ジョースターとして招かれている。このことはオフレコだが、ジャイロがギターを弾くならジョニィも来るだろうと大半の参加者は踏んでいる。別に特別ゲストでも何でもない。
 廊下の向こうから泣き声が聞こえてきた。
「小僧のヤツ、泣いてやがんのか」
 現場の仲間が振り返る。
「足が折れてんだぞ」
 他の一人が言う。
「マジェント」
 ディ・ス・コがぽつりと言った。全員がディ・ス・コを振り向いた。続いて聞こえてきた泣き声はしきりにウェカピポの名前を呼んでいた。
「女々しいヤツだなあ!」
 待合室はマジェントの泣きを肴に自動販売機のナッツを囓り不味いコーヒーで夜が更けた。
「ウェカピポってあれか、いつも犬つれて歩いてるお嬢ちゃんの兄貴か」
「彼女は目が見えないんだよ」
「知ってるぜ。盲導犬だな。道端で見かけてもエサをやっちゃいけねえんだ」
「兄貴って」
「ほれミスター・スティールのお抱え運転手の」
「ウェカピポ」
 ディ・ス・コが椅子の背にもたれてぐっと反り、ポスターを見た。
「新会長」
「マジ?」
 だったらサンディエゴ独身男協会もしばらく安泰だ。妹以外に関心がなく、まかり間違っても折角点滴で得た水分を鼻水にして垂れ流しているような男にはなびかないだろうし。
 手術を無事終え、ぐったりと疲れて眠っているポーク・パイ・ハット小僧の顔を一目見て、車の前でジャイロがやって来るのを待った。コンクリート剥き出しの地下駐車場は路上より寒く、ともる蛍光灯の白い光がよけいに寒々としている。ジョニィは俯き、吐き出される息が白いのを眺めていた。
 足音は怖いほど響いた。顔を上げると、ジャイロが真面目なような驚いたような顔をしていた。
「探してもいねーからよ。マジェントのつれに聞いたぜ」
「ここ」
 ジョニィは白い息を吐く。
「寂しいね。寒いし」
「駐車場だからな」
 ジョニィは腕を広げ、頭を高く上げて笑顔を浮かべてみせた。
「おかえり」
「ちょっと早いんじゃね」
「いいから来いよ」
 ジャイロはコツコツと足音を響かせ、最後の数歩は大股になってジョニィの腕の中に飛び込んだ。うおお、と耳元で唸る声がした。
「帰るぞ、ジョニィ」
「もうクリスマスだ」
 手術の間に日付は越えてしまった。
 しかし帰る前に、駐車場でもキスを一度。運転するジャイロの横顔を眺めながらジョニィは、今度から仕事を終えたジャイロが車に乗り込む直前、冷たい剥き出しのコンクリートの上を足音を立てて歩きながらさっきのキスを何度も思い出すんだろうと思った。左手を伸ばす。指輪で、ハンドルを握るジャイロの指の背に触れる。ジャイロはちらりともこちらを見なかったが、ジョニィの指の離れた後、タタッタタッと指でハンドルを叩いた。アパートに戻りドアを閉めてからは更に、もう何も言わなかった。なので。
「メリークリスマス」
 ようやく顔を出した朝陽がシーツの海をあたたかく白く照らす。その中でジョニィは繰り返す。
「メリークリスマス、ジャイロ」
 ジャイロはまだ眠気の残るそのわずかな時間、目を細め手を伸ばした。二人は手を握り、笑みを交わした。
「メリークリスマス、ジョニィ」



2013.12.25