答を出す夜にも雪は降るのだろうか




 立て続けの仕事のミスは、勿論なければない方がよい。ミスは死を招く、そういう世界だ。イルーゾォ本人にとっても、そして組んで仕事をする自分にも。
 だが人間であるからミスをすることも当たり前で、その点死んだソルベとジェラートはその最後の失敗までは、現状のメンバーではリゾットとプロシュートあたりがそれと無縁の世界にいる。が、プロシュートはあのペッシを連れているから、連れて回るからには人間はミスを犯すもので、では無事な者がそれをフォローすればいいのだと分かっている。ホルマジオも同じ考えだった。イルーゾォが性格の難でミスを招いてしまうことは組む前から分かっていた。だから自分がフォローすればいい。仕事を成功させれば結果オーライなのだ。反省は各自できっちりと。報告書の提出は忘れずに。
 だが盛大に返り血を浴びた仕事の後、珍しく愚痴も言わず無言で報告書を仕上げたイルーゾォは事務所を出る際もホルマジオを一顧だにしなかった。
「イル」
 追いかけても振り向きもしない。通りに出るとホルマジオの部屋でも自分のヤサでもない方向に足を向けた。
「何だ、気にしてるのか」
 ホルマジオは隣に並んで少し追い越し気味に歩きながら、飲もうぜ、と誘った。
「珍しくへこんでるようだがよぉ、まあ今夜は飲んで忘れろや」
 生きてるだけでも儲けものだ…、と言葉の途中で隣からイルーゾォの気配が消えた。また鏡の中に逃げ込まれたかと思ったがそうではなかった。イルーゾォは歩道に佇み軽く俯いていた。黒い瞳だけぎょろりとこちらを睨めつけていた。
「珍しく、見えるのか、てめえには」
「…お前の性格くらい知ってるぜ」
 性格くらい知っている。だから今イルーゾォがどんなことを考えているのか想像はついたし、自分の次の言葉次第でどんな行動を取るのかも予想がついた。
 だから、何だと言うのだ。イルーゾォとて男だし、大人だ。いつまでもおしめの世話が必要なガキではない。
「俺は飲むぜ」
「オレは帰る」
 好きにしろよ、と言葉には出さず背を向けた。ここでついてくる展開もこれまでなくはなかったが、今夜の背中は寒いままだった。まだ女と住んでいた頃、よく通っていたバールに顔を出した。一人かと笑われた。
「一人だ」
 ホルマジオも苦笑した。だが明日にはまたどちらからか会いに行くのだろうと思っていた。否、イルーゾォが寂しさに耐えられるはずがないと高をくくっていた。しばらく会わないことに驚くことになったのは、結局ホルマジオだった。
 ある朝、起きてみると窓が凍りついていた。ベッドの上に自分以外の重みがあったがそれは人間の体重にはほど遠く、いつもは薄情者の猫が媚を売るように擦り寄ってきた。今度はホルマジオがそれを外に追い出す番だった。しかし猫を追い出しても別のぬくもりは訪れない。最近は仕事もバラバラだったらしいが、一体どれだけ顔を合わせていないのだ。愕然としつつ朝からワインを干しイルーゾォに電話をかけたが繋がらなかった。コール音さえ鳴らない。多分、電話線は部屋の中で切れているのだろう。本体は鏡の中に持ち込んで凍えさせたか、壊した。そんなところだ。
 出会う前に戻ったと思えば気楽なもので、バールで一人の女に話しかけ、その夜は女の部屋で寝た。議員の愛人だったという女は昔話を暴露し、その議員を殺したのは仲間内の誰かだったなと思い出すうちにそれがまたイルーゾォに行き着き世間の狭さに驚く。関係を持つ前の話だ。返り血を浴びても、それが誇らしいものであるかのようにイルーゾォは嗤いを浮かべていた。死体を見下ろし嘲笑する様は図の乗りすぎのきらいもあったが確かに暗殺稼業の人間だと頷けた。自分と寝るようになってイルーゾォは弱くなったのだろうか。この関係がミスを招いたのか。
 セックスの後の女はいびきをかいて眠り、ホルマジオはこんなでも愛人が務まるものだと苦笑して耳にティッシュを詰めて一眠りし、夜の明ける前には部屋を出た。 答を出す必要があった。街角の電話からかけた先は事務所で、暗号の遣り取りの後、不機嫌丸出しのギアッチョが何の用だよと噛みつく。
「クソッ、五時前だ」
「イルーゾォ、いるか?」
「知るか。いねーよ。お前の方が知ってることをオレに訊くなボケッ」
「いるんだな。あいつと組む仕事は面倒だろ」
 電話は切れてホルマジオは耳に残る金属音を指で掻き出しながら事務所に向かった。ビルの前には珍しくコートを羽織ったイルーゾォが立っていた。
「追い出された」
「俺が追い出させたんだ」
 イルーゾォは顔を歪めたがどんな雑言も吐こうとしなかった。
「生きてなきゃあ話にならねえ」
 ホルマジオは煙草に火を点けイルーゾォにも一本勧めた。イルーゾォは意外にも素直に手を出し、差し出されたライターの火を吸いつけた。
「死んで一緒になるのはあいつらだけで充分だ。お前に死んでほしくねえってのも俺の本心だぜ?」
 冷たいビルの石壁にもたれたままイルーゾォはコートのポケットに両手を突っ込み軽く俯いたまま煙草をのむ。時々細い溜息のような煙が吐かれる。
「別れるのか?」
 その言葉も、感情なく吐かれた。
「今みたいな状況も面白ぇんじゃねえか? お前と組んだギアッチョがイライラしたり」
「アイツはいつもだ」
「だな。あと俺とメローネが一緒に仕事して、仕事の半分はエロ話聞いてるとかよ」
「聞くだけなのかよ、てめえが」
「お前のことを話してよけりゃそうするぜ」
 足が繰り出されたがよける。
「自慢するんだって」
「馬鹿。馬鹿だな、死ね」
 罵りも久しぶりに聞く。
「帰れよ」
 口から離した煙草を足下で踏みつけ、イルーゾォが呟いた。
「でないと殺す」
 いつも以上に過激だと思ったが。
「三秒以内に消えなきゃあ女の名前と居場所を吐かせてから殺す。女も殺す」
 ぞっとするほど鼻がいい。こんな時のイルーゾォは本気だから、ホルマジオは煙草の煙だけを残してそそくさとイルーゾォの視界から消えた。その煙を吸い込んでくしゃみをする声を背中で聞いた。

 どちらからそう決めたということもなかったがクリスマスがその日だろうということになった。チームの面々もそれぞれ過ごすのだろうと思っていたが、自分たちとメローネ以外のメンツは晩飯を一緒に食うらしい。メローネは勿論女を漁りに行った。空っぽの事務所でホルマジオはイルーゾォを待った。
 鏡を背に、もたれかかる。待つ必要はあるようでなかった。もう背中合わせにイルーゾォは存在している。あとは鏡の中から出てくる気があるのかどうかだ。
「どうする」
 ホルマジオは煙草を取り出したが口には持っていかず、トントンと吸い口で箱を叩いた。坊主頭に触れる鏡もまた冷たかった。きっと触れているはずの肩も背も。こりゃしばらくすれば風邪を引くなと思いつつ、しょうがねぇなぁと一人で笑う。鏡の向こうに世界があるなら、自分たちを隔てるのはきっと厚みのない面一枚だ。それなのにイルーゾォが許可しない限り、世界の果てより遠い。
「どう」
 声は何かを震わせたものというより、モノのように冷たく落ちた。ピンやネジを床に落としたような味気なさだった。
「したいんだよ」
「俺が出て来いって言やぁ出てくるか?」
 溜息まじりにホルマジオは問う。
「抱かせろと言ったら服を脱ぐかよ」
 沈黙の中で煙草に火をつけた。煙は熱く、苦かった。
 いつまで経ってもイルーゾォの言葉はなく、よもや消えたかと煙草のついえる頃には思った。鏡から背を離しドアに向かって歩きかけ、振り向く時ホルマジオは自分を嘲笑うつもりだったのだが、笑いは口元に浮かんですぐ消えた。鏡に映っているのは、生っ白い痩せた男の背中だった。違う笑いが浮かんで、またすぐ消えた。鏡までとってかえし触れ得るはずもないと思いながら裸の肩に掌をのせイルーゾォと囁くと鏡は溶けるようにホルマジオの存在を受け入れた。
 左右反対の事務所の床でイルーゾォが頭をぶつけたのにも構わずキスを続けた。鏡の中は外以上に寒かったが、こらえがきかなかった。いじらしいことしやがって、と頭を撫でてやりたい思いもあったのだが、触れた先から熱情が他の感情を侵蝕し、いつの間にかイルーゾォしか見えていない。
「…どうだった」
「え?」
「俺のいない生活」
「…よかった」
「嘘つけ」
 イルーゾォはあっと言う間に消耗し、鏡の世界も保てなくなる。弾き出されるように本物の事務所の床に転がった時、ホルマジオは正直このままと欲望に引き摺られかけたが――それにこの事務所でコトに及ぶのは自分たちが最初ではない――鼻のいい人間は他にもいるし、イルーゾォは許可しないと言い出しそうだし、何よりもっと心置きなくやりたいことをやるには自分の部屋が一番だった。あのベッドはこれまで寒すぎた!
 ぐったりしたイルーゾォをタクシーに押し込むと、後部座席にだらしなくもたれながらイルーゾォは少し笑った。コートの襟を少し指で下げてみせる。素裸を辛うじてコートで包んでここまで出てきたのだ。白い喉元が露わになり、ホルマジオはそれで誘ってるつもりかと囁いたがキスを惜しみはしない。運転手がちらちら覗き見るのを座席を殴って前を向かせ、色をなくした唇へ再びキスを降らせた。



2013.12.25