おいで、甘い時間をあげる
居残り練習の帰りにすれ違ったコーチから「トリック・オア・トリート」と言われた。不動は、ああ、と合点してポケットから取り出したキャンディをコーチの掌に落とす。 「おい、フドー、そつがなさ過ぎて面白くないぞ」 「何期待してんだよ」 「しかしお前も隅に置けんなあ、キャンディの用意があるなんて」 「偶々っすよ、偶々。家族がしょっちゅうポケットに入れてるのをくれたんで」 「ああ、お前のフィジコ」 不動今朝同じ事をしたのだ。冬花は、ふふ、と笑ってポケットからキャンディをくれた。肩すかしをくらったようで、食べる気もしなかった。 ロンドンの街もハロウィン一色だ。日本でも商戦の一つとして定着しているようだが、子ども達が心底楽しそうに仮装をしてお菓子をもらってまわる光景を初めて見たのはこの街に来てから。今日お菓子をあげる側の大人達も、かつて仮装してドアをノックしてまわった子ども達なのだ。そして生粋の日本生まれ日本育ち、しかも堅物の道也はそんな記憶もないはずだが、先日いそいそと大量のチョコバーを買い込み、一つ一つにリボンをつけていた。いつも仏頂面のくせに、まるで本当に親の顔だ。あんな顔のお父さん見たことないわ、と冬花も言った。 ――そのチョコバーはまず冬花にやれよな。 思い出しながら頭の中で道也を叱る。 衣装は近頃では既製品も多いらしい。ウィンドーに飾られているのは狼男か…と思ったらスターウォーズのチューバッカだ。最近リメイクされたとかでまた流行っているのか。それは思いつきで、悪戯心がもたげた衝動だった。不動は店に入りチューバッカのマスクを買った。 フラットの玄関前で買ったばかりのマスクを被り、音を立てないようにドアを開ける。奥の台所からだろう、聞こえてくるのは冬花の鼻歌だ。不動は足音を忍ばせて近づく。今度こそ王道だ。胸を張って決まり文句を言おうとした不動は、しかし冬花の後頭部に違和感を感じて声をかけるのを一瞬躊躇った。 その隙に振り返ったのはフランケンシュタインで、白いワンピースに花柄のエプロンをつけたフランケンは「トリック・オア・トリート!」と両手を広げた。 不動は腰を抜かすのは何とかこらえたが、よろよろっと足をもつれさせ壁にぶつかる。そしてそれを見たフランケンシュタインは女の悲鳴を上げる。 悲鳴が消えるとそれは少しずつ笑い声になって、冬花はフランケンシュタインのマスクを取ると腹を抱え苦しそうに笑う。 「びっくり…したじゃない…!」 「お前こそ…!」 「だって…明王くんが…そ…そんなに驚く…なんて!」 あーあ、サプライズ成功だけど失敗、と冬花は溢れた涙を拭う。 「じゃ、次は明王くんの番」 「茶番か」 「いいから、ほら」 不動は今朝は照れもせず言った台詞を繰り返す。 「…トリック・オア・トリート」 「おいで、狼男さん」 冬花は広げた両手を前に差し出した。不動はその腕の中に収まる。キスがプラスチックの鼻の上に降った。 「…狼男じゃねーし」 「そうなの?」 「チューバッカだよ」 お菓子を配り終えたら、今夜の映画はスターウォーズで決まりだ。
2012.11.2 ハロウィンのドーナツの御礼、ゆうひさん。
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