フレンド、マイ・スウィート・フレンド







 夜の七時も近いのに空はまだ明るくて、いっそ雲のある日の方が西日を反射して夕焼けの時間が長い。淡い鴇色と藤色の空の下、神童邸からわらわらと出てくるのは雷門中学サッカー部二年のメンツだった。
「また集まろっか。ってオレが勝手に言っていいのか分かんないけど」
 浜野が笑う。
「だってさ、初めてじゃね? オレたち二年も一緒にサッカーしてんのにさ、こんなやってキャプテンを囲む会っての」
「フィフスセクターの件がなくても、何だか気分変わりましたよね」
 テレビゲームの腕前を披露できた速水も嬉しそうに言った。
 そうだ。キャプテンとチームメイト。一軍と二軍。妙に彼らを隔てていた垣根が取り壊されてサッカー好きの十四歳として集まった時、彼らは自然と中心人物である神童のもとに集まり好きなものについて語り、好きなお菓子を食べ、サッカー以外のことをも一緒に楽しんだ。一つのソファ――といっても大きなソファ――にぎゅうぎゅう詰めに座り、溢れ出た者は床の上に座り込んで、皆でゲームに夢中になった。
「やっぱ大型テレビは迫力が違うわー。な? またこんな風に集まるのもいいっしょ?」
 浜野が言うとめいめいに携帯電話を取り出したりスケジュールを確認したり。
「いつでもいいさ」
 それを見ながら神童は言った。
「いつでも、好きな時に集まればいいんだ。オレたちは…」
 ふとそこで言葉を途切れさせる。皆の視線が一斉に集中する。
「と…」
「なに照れてんだよ」
 倉間がバシンと背中を叩いた。
「仲間、だろ?」
「あ、うん、ええと…」
「なんじゃ、てっきり友達って言いかけたのかと」
 錦がずばり言ったので、神童だけでなく、そこにいたほぼ全員が赤くなった。
「うはあ…」
 浜野が息を吐く。
「そういえば」
 霧野も少し照れた様子で最初の声を掠れさせた。
「オレたち、友達とかそういうふうに言ったことがなかったな」
「友達って言うより、やっぱ、なあ」
「オレたちは」
 一乃が口を開く。
「お前達は目標だったから。それにライバルだった」
「だからさ」
 青山も言葉を継ぐ。
「今日みたいなの、すごく楽しかったよ」
 神童、と手を上げる。ハイタッチの音が響く。
「またな」
 一乃と青山は同じ方角へ。
「また明日」
 神童も手を振る。
「また明日」
 霧野も軽くハイタッチ。
「じゃ、明日」
「どうせ毎日顔合わせますけどね」
 浜野と速水。
「グッドナイトぜよ、マイフレンド」
 錦がにっかり笑い、バチンと一際響く掌の音。
 ゆるやかに夜に移行する空。静かに藤色が深くなる。視界が青く染まり、その中に一人一人後ろ姿が消えてゆく。
「…倉間?」
 神童は隣に一人残った彼を見下ろした。
「友達?」
 右目がちらりと見上げる。
「友達、だろう?」
 神童は微笑みながらも赤くなった顔を逸らす。
「友達から始まった、関係」
「オレはチームメイトから始まったかと思ったけど」
「チームメイトから」
 そこに微かな落胆を滲ませて呟いた神童の目の前に、不意に倉間が回り込む。不意に迫った唇は一瞬の躊躇で頬にずれた。
「でも、まあ、こういう…」
 倉間本人も自分の大胆さに驚いているのだろう。もごもごと言葉を濁し、俯く。神童は一瞬唇の触れた頬を掌で包み、倉間、と小さな声で呼んだ。
「…恋人…?」
「かっ…彼氏とか…なんかおかしいだろ、男と男で彼氏と彼氏とかわけわかんなくなる…」
「恋人、なら…」
「やめろよ繰り返すなよ」
 若干声を裏返らせて倉間が顔を上げる。
「恥ずかしくないのかよ!」
 しかし神童は倉間の肩を掴み、泣きそうな瞳を近づけた。
「嬉しい…」
「は?」
 抱きしめると急に夜の色が濃くなって、世界から二人を隠したように思えた。
「恋人。オレの、恋人…」
 神童は繰り返し呟き、強く抱きしめられる腕の中で倉間は恥ずかしさにか、うう、と呻いた。
 倉間のシャツの肩が濡れた。首筋に熱い息。
「…お前、なんで泣いてんの」
「な…」
「スッゲー泣いてるし」
「よく…分からない。ただ物凄く贅沢な気分で…」
 吐く息が震え、それを感じた倉間の身体も共振したかのように震える。
「もう離せ。帰れなくなる」
 倉間が言うので腕をほどいた。割にあっさり解放された倉間が急な肌寒さに首を竦めた。
「どうせ明日も学校で会うだろ」
「でも残念だ、今日別れるのは…」
「オレは今日家に帰る」
 倉間は鞄をかけなおす。
「で、明日お前に会う」
「ああ」
「またな」
 倉間は歩きかけたが、また不意に神童に振り向きつま先を見つめながらじりじりと後ろ向きに歩いた。
「お前のさ、友達ってやつ。オレ、嬉しかったんだけど」
「えっ…」
「お前と友達っていうのスゲー…」
 倉間の足が今にも逃げ出しそうになった。
「オレも!」
 神童は慌てて言い、
「おう!」
 倉間も俯いたまま頷く。今度こそ駆け出しそうな倉間を神童は大声で呼び止め、右手を挙げた。倉間はダッシュで戻ってくるとジャンプするように自分の掌を打ち合わせた。
 パン!と心地良い音。夜がほどける。世界の中に戻ってきた気分だ。
「じゃ」
 笑顔を見せて倉間が走り去ってゆく。その後ろ姿が見えなくなるまで神童は見送る。掌に残った痺れがいつまでも心地良くて、その手を振る。



2012.5.25 わたりさんに。