ライク・ア・デイ







「イベントごとなんて」
 ゴミ箱の前にしゃがみこみ、呟く。
「今更でしょう」
「どうして?」
「記念日だって関係ないのに」
「あったかな、記念日」
「あなたと初めて寝た日を覚えている」
「いつ?」
「クリスマス」
「イブじゃなかったっけ」
 そんな下らない会話を続けながら身体の中に残る余韻をゆるゆると鎮めてゆく。男の性欲だ。まして齢も齢である。一度ことがすめばそれなりに落ち着いたものだが、ここ一年の内、中学サッカー界のみならず吹き荒れた嵐に完全に忙殺されていたから、久しぶりの逢い引きはそれなりに燃え上がった。
「だから」
 使用済みのコンドームを捨てて久遠は二階堂を振り返る。
「今更でしょう、という話です」
「キスが? 今更とかそりゃあ寂しいんじゃないの?」
「もうしたでしょう」
「しましたけどね」
「足りませんか」
「それらしいやつをしておきたいじゃないか」
「キスの日だからという理由で?」
「それ以外にどんな理由があるかな、久遠先生」
「随分なセンチメンタリストだ」
「ロマンチストと言って欲しい」
 齢も齢、そう言ったとおり自分の身体も、そして相手の身体も相応の年齢を感じさせる肉体になった。目元に刻まれた皺、一回戦に消費する体力、皮膚のはりも体臭も挙げればキリがないが、しかし二階堂の目は変わらない。相変わらずの少年の目だ。付き合い始めた頃から自分より老けて見える男だったのに、その瞳の輝きだけは変わらない。確かにロマンチストの方が似合うだろう。しかし、
「感傷的ですよ」
 と久遠は言った。
 記念日を作るのは関係を長続きさせる秘訣らしいが、いっそ欲しくないと今では思っている。今日一日で構わない。今日一日の恋人。次に会った時、また恋人であればそれは僥倖だ。今では特別な日よりも日常がほしい。彼と自分が同じ空の下で同じ空気を吸い、地続きの人生を交わらせることができれば。
「今日はしません」
 久遠は宣言した。
 シャワーを浴びてもう一度考え直す。方向転換した訳ではない。湯に打たれながら、ドアの向こう、襖の向こうに彼がいることを考える。それは幸福だと思った。
 タオルを引っかけて部屋に戻ると二階堂は布団の上に伏している。
「…寝ましたか?」
「においかいでる」
 久遠が背中を踏むと、あ、そこそこ、そこがいい、とマッサージがわりだ。溜息をつきつつも、戯れに踏んでやった。時計は日付を越えている。こうなったらロマンチックも感傷もあるものか、戯れの延長だ。久遠は俯せた二階堂の腰の上にどしんと座った。ぐえ、と潰れた声。
「なに、なに?」
「今日はキスの日じゃありませんから」
 ぐい、と両手で相手の首を反らさせ
「………」
 唇には届かなかったので額にキスをした。
「…普通にしようよ」
 二階堂も言った。
「明日ですね」
 照れを隠しながら応える。
「もう今日なんだろう」
「朝になったら」
「じゃあ今日は昨日の延長?」
「あなたが何を言っているのか理解できない」
 久遠はニヤニヤ笑う二階堂に背を向けて布団にもぐりこんだ。相変わらず二人で寝るには布団は狭く、二階堂の喉で笑うのがすぐそばに感じられた。久遠は聞こえよがしに溜息をつき、目を閉じた。



いつか、ついったでダカダカ打ったもの。多分、キスの日の夜に。