思春期の断片







 確かに練習場は屋内にある。どんな天候の時でも、サッカー部は最高の環境で練習をすることができる。だから、それが理由ではないだろうけれども。
 ――白い。
 鎖骨の上に顔を伏せ、間近に肌の白さを見る。
 ――全然違う…。
 地黒だとは昔から言われてきた。浜野もそうだ。しかし元々インドア的な趣味をした速水でさえ肌は太陽の恩恵をうけている。太陽光と、それを受けた肉体の。肌の色は彼らが光の下でどれだけサッカーをしたかの証明だ。
 ――なにも神童が怠けてる訳じゃない、知ってるさ。
 キャプテンなんだから。誰よりも試合に、誰よりもピッチの上に。
 ――だから。
 ちゃんと太陽の匂いがする。白い肌の上にも太陽の熱が残っている。自分の肌の上に残る匂いと同じだろうか。
 ――肌が白いから…。
 特別な匂いだと思った。顔を伏せた神童がかすかに速い息をして、唾を飲み込むのがすぐ耳元で聞こえた。
 はだけたシャツの隙間から左手を忍ばせる。見えなくても分かっている白い肌の表面を自分の、地黒な上に日に焼けた黒い指がなぞる。そこで不意に倉間はおののく。
 ――すべすべ、っていうか、
 躊躇いながら目を瞑り、指の腹、掌が触れる神童の背中に感覚を集中させる。
 ――なめらか、だ。
 自分の肌ががさがさだというつもりはないが、しかし自分と人とでこうも触り心地が違うのかと、そしてこんなに心地いいものかと、初めて知る感触に不意に恐ろしくなったのだった。
 自分は、自分達は何をしようとしているのだろう。
「倉間?」
 耳元で囁く声。神童の吐息が近づいて耳に触れる。
「どうした?」
「…どうも」
 左目を多う前髪がかき上げられる。わずかに眩しい。倉間は薄く瞼を開いた。
 おかしいのだ。最初からおかしかった。休日ではあるがまだウィークデーの午後で、ここは神童の部屋だが扉一枚を隔てればそこには神童の家族も住んでいる家で。
 眩しい午後の光。
 カーテンさえ引いていない部屋、で。
 先日二年で集まってわいわいとゲームをしたソファの上で一体自分達が何をしているのか、自覚した途端に倉間の脳はオーバーヒートした。
「もう…」
 腕で突っぱね離れようとしたが今度は神童が離さない。白い手がシャツの裾から滑り込み、自分がしたのと同じように背中を這う。抱き寄せようとする。
「神童…!」
「何?」
「何、じゃ、ねー、し」
 身体が傾いてゆく。背中からソファに倒れ込む。なんとか腕で支えたものの、神童の身体はすぐ上に密着し、のしかかり、ふわりと目の前で髪が揺れた。首筋に感じる吐息。
 息を飲んだ。喉がひくりと痙攣した。そこをあたたかく湿った何かが撫でた。
 倉間は瞼を伏せる。カーテンを隔てない光を瞼の向こうに追いやり、神童と二人だけの空間を更に目を閉じることで閉じ込める。
 ――恋人ってこういうことするんだっけ…?
 神童の舌があまりにも自然に触れてくるので、軽い戸惑いと焦りとを倉間は感じる。自分は知らないことを神童は知っている。自分ができないことを神童はできる。当たり前のように、自然に。倉間は欲求の赴くままに神童の肌には触れたけれども、それを舌でやるとは想像もできなかった。
 ――今日はまだ…
 キスもしていないのに。
 本当はキスだってめったにしないのだけど。
 ――大事なこと全部すっとばして…何するんだ…
「神童…」
 倉間はのしかかる身体を押し返そうとした。簡単には離れてくれないだろうと思ったが、思いの外抵抗はなかった。
「何だ?」
「お…おかしくね?」
「何が」
「こういうの…」
 そう呟くと神童がじっと見つめてきた。泣くわけでも何かを言う訳でもない。しかし目は口ほどにものを言う。違う、傷つけるつもりじゃない。
「違う…」
 倉間はアップサイドダウンを体現したかのような頭の中を漁り、何とか言葉を探し出す。
「オレも嫌じゃねーけど…早い、少し早い」
「じゃあ、いつならいい?」
 尋ね方は紳士的だから困る。倉間は舐められた首筋を掌で押さえる。
「だってこういうのは…大人が…」
「大人になるまで待つ?」
「そりゃ…長いけど」
「倉間」
 神童は囁いた。
「舌を出して」
「…べろ?」
「出すだけ」
 そう言った神童の真意さえ掴めない。たとえこの先にいやらしいことが待ち受けているのだとしても想像がつかない。
 倉間は舌を出す。素直に言葉に従うというよりも、思考がいささかもつれていた。その状態で神童に従ったということは、倉間は素の部分で相手を信じているのだな、と触れ合う体温に思った。
「触るから」
 神童が言い、顔が近づいた。
 舌と舌が触れて、離れた。
「…触るって」
 神童ががばりと倉間の胸の上に俯せる。その頭の上に、真っ赤になりながらも倉間は言う。
「触るって、お前さ」
 シャツの布地を越して神童が震えているのが分かった。笑っているのだ。皮膚の下に興奮が暴れていた。倉間は胸の上に倒れた神童をぎゅっと抱きしめ、自分の腕が震えそうなのを隠しながら無意味に繰り返した。
「お前さ」
 くすくすと、神童はいつまでも笑っている。 



2012.5.25