ミッドナイトティー
セックスの後の布団を一人抜け出して台所に行き、もらいものの羊羹を食べた。アパートの大家からもらったもので、辛党の氏は甘いものが手元に来るとそのたび二階奥の部屋に住むしがない中学教師へ斡旋する。 まるごと囓った後、あ、と布団の中の存在を思い出し、ようやく包丁を手に取る。 これで何度目のセックスだろう、などとは数えていない。大学在学時のあやまちは挿入がない分セーフだとして、しかし二十代の半ばにはもうすっかりそういう相手として定着してしまったのだ久遠は。久遠と身体を重ねてから、あまり男漁りをしなくなった。誰でもいい訳ではなくなった。 運命の相手はいるものだと思う。たとえ相手が人生の荒波にもまれまくって、よくできた娘もいて、現時点ではこの日本で同性婚が認められる望みが薄いとしても、自分は久遠を思い続けるだろう。久遠とこそセックスをしたいと思うだろう。四十を見た久遠がまっとうな人生に軌道修正をしたとしても、逆に自分が長く連れ添えそうなパートナーを見つけてしまったとしても。 その運命の恋の相手と一緒の布団を抜け出して、一人で羊羹を食べている訳だが。 例えばもし、夢のような話だが、二人寄り添って年を取ることができたら、セックスの後二人で起き出してだらしなくビールとつまみを楽しむようなこともあるだろうか。 もしそんな日が、そんな夜が来たら楽しいだろうと思う。きっとセックス以上に満足するに違いない。五十になっても六十になっても、サッカーの試合を見て、自分が一方的に馬鹿な話をしてそれに久遠が少しだけ笑って、体力があればそれなりに、なければ二人一つの布団で大人しく眠り、夜中に目が覚めればだらしない晩酌につきあう。夢見がちなのは分かっていたから、二階堂も苦々しく笑うだけだった。 羊羹の味は濃く、熱い茶が欲しくなる。ポットの中が空だったので、やかんを火にかけた。 「修吾」 低い声だった。二階堂は思わずやかんを取り落としかけた。服どころか下着さえ着けていないのだ、火傷でもしたら大惨事だ。 やかんをしっかりコンロの上に載せ、振り返ると久遠が立っている。こちらは下着にシャツさえひっかけている。 「何してるんだ」 「あなたこそ…」 久遠は眠そうな目をしてはいるが、口調はしっかりしている。 「腹が減って」 二階堂が視線で示すと、羊羹ですか?夜中なのに?と久遠が彼にしては驚く。 「とらやだぜ?」 「羊羹というチョイスが問題です」 なら何ならよかったんだと唇を尖らせると、久遠は勝手知ったる狭い台所で茶を淹れる準備をする。 「…食うか?」 二階堂は包丁で羊羹を指した。 「お茶だけ」 久遠は答えた。 ちゃぶ台の前に二人ぐったりと座り込み熱い茶をすする。渋いものを飲むとまた少し甘いものが欲しくなり、二階堂は羊羹を切る。久遠はたしなめない。黙って茶をすすっている。澄ました顔して、と二階堂は口の中に羊羹が残ったまま無理矢理久遠にキスをした。久遠の手が嫌そうに二階堂の身体を押し返す。甘い舌をねじ込めば応じない訳でもないが、手が髪をひどく引っ張っていた。 解放してやると、久遠は真っ先に急須から熱い茶を足して口に含む。 「それは傷つくじゃない」 「甘いんですよ」 「苦手だっけ?」 久遠は黙って茶を飲み干し、空になった二階堂の急須にも注いだ。 「例えば」 ありがとうとぼそっと呟いて茶に口をつけた二階堂に、久遠は問わず語りのような言葉をかける。 「あなたが朝からしたいと言う、私はそれが嫌いではない」 「……朝からウェルカムってこと?」 「あなたのせいだ、ということです」 夜中に食べる習慣も飲む習慣もないのに、今のところ、と久遠は溜息をついた。 「俺だって…」 二階堂は少し笑った。こんな習慣なかったさ。でもお前とセックスすると張り切っちゃうもんだから大量の消耗がそりゃあもう…。 久遠は聞かないふりをして茶を飲んでいる。二階堂は言葉を止めて、羊羹を薄く切った。 「一口」 差し出す。 久遠は躊躇った末に唇を開いた。二階堂はそこに薄い羊羹をそっと押し込み、もう一度唇で塞いだ。
2011.9.30
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