天使なき、雨降りチェリーブロッサム
晩飯の前にセックスしてシャワー浴びて、久遠が風呂に入っている間にパンツだけ履いて台所に立って、頭ぼんやりしてるらしい久遠がボケッと座ってるのに水をやって晩飯の麻婆豆腐でアチアチ言って、腹一杯になったところでまた別の部分が物足りなくなったから台所で服を脱いで皿を洗う久遠の尻にちょっかい出すと真面目な顔で振り向くのでキスをする。今日何回目だろう。 「今日はもう無理だ」 「体力に自信なくなるには早ぇんじゃねーの?」 「そうではない」 前髪から覗く目が時計を見上げる。 「仕事がある」 「夜中に?」 「飛行機に乗るのでな」 「どこ?」 「アメリカ」 FFI優勝監督の名前は伊達じゃなく、久遠は時々仕事と行って唐突に海外に行ったりする。土産はいつもチョコレートで、こんな安いチョコで騙されると思うなよ、と言いつつオレは一箱全部を一人で食べる。 「五分も時間ねーの?」 「それほど早くない」 久遠は真面目な顔で怒る。 「遅い方だっけ?」 からかうと肩を掴まれたので、これはいい兆候だ。遠慮無くキス。パンツも自分から脱いでやる。ついでに久遠のも脱がせようとするとテーブルの上に押し倒された。伝わる振動に棚の食器が鳴った。この音を聞くといつも悪いことをしている気分になる。いや、事実悪いこと、だ。 五分は言い過ぎで、逆に五分でイかされそうになったのはオレの方で、久遠はやっぱりちょっと怒っていたらしい。イきそうなところをすんでで止められてオレは泣くはめになる。最近はノーマルなセックスばっかりだったから、泣くほどいいのは久しぶりで、内心の内心、本心の本心は凄く燃えたが。 で、お互いの身体は出したものでベトベトになり、シャワーを浴び直している内に飛行機に乗るから今日は無理と言った時間から一時間経っている。久遠は黙ってバタバタしながら準備をする。そういえば今日は自分の車で来ていないし、荷物も多い。そういうことだったのか、と思いながらオレは用意の邪魔をしないようにテレビを点けて寛ぐ。もう夜中のニュースの時間だ。番組最初のトピックスが次から次へと切り替わる。政治の話、サッカーの話、日本全国のお花見情報。汚職がどうの、危機意識がどうのと言う割に、やっぱり日本は平和な国だ。 「何をやっている」 久遠が足を止めて尋ねる。 「テレビ見てる」 オレは当たり前のことを答えた。 久遠も画面を見ている。 「お前は…」 「何?」 「…今年の花見は行ったのか?」 「休みの日は大体あんたとヤッてるだけだけど?」 サッカー以外の時間、高校に通う以外はこの部屋にいて久遠が来るのを待ってセックスして飯食って。花見に行った記憶なんてない。 急に久遠がリモコンを奪い取り、テレビを消した。 「何すんだよ」 「お前も支度をしろ」 「は?」 「ロスに行く」 「はあ?」 ちなみにロサンゼルスをロスって略すのは日本人だけらしいぜ。知ってたか? オレは服を着て、とにかくパスポートだけを引っ掴んで久遠に引きずられるようにタクシーに乗り込む。真夜中の幹線道路を突っ走る。 深夜近いのに空港には明かりが煌々とついていて眩しいくらいだ。そしてその眩しい光に満たされたロビーには何故か久遠の娘が待っていて、久遠とオレの顔を見るなり、あら、と目を丸くする。 「予定が変わったのね、お父さん」 「冬花、荷物を頼む」 久遠はキャンセルの出たチケットを求めてカウンターに走っていく。 急に気詰まりになった。 「こんばんは、不動くん」 オレは何か言おうとするが、久遠の娘は笑顔のくせに眼の色が底知れなくて怖い。結局、ああ、だか、おう、だか判然としない返事をしてそっぽを向いた。それでも視線が横顔に刺さるのが分かる。怖い上に痛い。 ふふ、と笑い声が聞こえた。 「怖がらないで、不動くん」 「…は、何が」 「お父さんとのことは隠さなくてもいいわ、大丈夫」 何が大丈夫だ、目が怖ぇぞ。 「私のことはお義母さんって呼んでいいから」 微笑みが底知れない目が近づく。いや、お前絶対怒ってるだろ。 しかし言い逃れのしようはなく、そもそも娘も連れて行くところにオレまで連れてきた久遠が悪いと思うが、この娘が自分の父親を責めようはずもなく、いづれえ、これから半日くらい飛行機の中に閉じ込められんのにこの空気マジ辛い、と早速嫌な汗が滲んできたところでチケットをゲットした久遠が戻ってきて、また引きずられるように搭乗ゲートへ向かう。 久遠の娘はオレの隣を小走りになりながら、冗談よ、と微笑んだ。 「冗談。だけど仕返し。私のお父さんをとっちゃった仕返し」 存じております、娘さん。オレはこくこくと頷く。 「これで仕返し終了」 目の色に表情が戻る。ようやくFFIの時も見た普通っぽい久遠の娘の顔になる。正直ホッとした。 「でも気が向いたらお義母さんって呼んでいいんですよ」 それは遠慮する。 真夜中過ぎに東京を出発した飛行機はあっという間に海の上で、一人だけ席の離れたオレはちょっと安心しながら、飛行機に乗った以上もうどうしようもない、と目を瞑る。 起きた時、目の前の景色は夕方で、オレそんなに寝たっけか、と呟いたら「これは昨日の夕方よ」と久遠の娘――冬花――が言った。 「不動くんったら飛行機の中でもぐっすり寝てたのに。また、夜が来ますね」 科白の最後が思わせぶりなのは気のせいだと思うことにしてホテルに向かった。 久遠の仕事は流石に明日からで、父親が仕事の二日間、冬花は例のネズミのマスコットが出迎える夢の国に行くと言った。 「守くんがアメリカのマークさんとディランさんに連絡してくれたんです。二日間遊び倒さなきゃ」 「へー」 「不動くんも一緒に来ますか?」 「オレはいいわ」 「きっと暇ですよ。お父さんもいないし」 おー、チクチク刺さるなあ。 「ボールがあれば」 オレは今回唯一の持ち物らしい持ち物を見せた。 「暇することはないんでね」 すると冬花は笑う。 「何だよ」 「不動くんも結構なサッカー馬鹿ですよね」 「あのキャプテンには負けるぜ」 「どうでしょう」 で、翌日からの二日間、久遠は仕事で、冬花はマークとディランの二人にエスコートされて夢の王国を遊び倒し、オレはボールを持ってホテル近くの公園に行く。っつっても日本の、狭い面積にジャングルジムやシーソーの犇めく公園じゃなくて、本格的に森みたいになったどでかい公園だ。これが街中に幾つもある。 アメリカはサッカー後進国とか言いながらも芝生では普通にサッカーしてる光景が広がっていて、オレはボールを持ってるってだけで普通にその中に入り込み、ボールを蹴って一日が過ぎる。わざわざアメリカに来てる気もしないか、と思ったが、そういや日本だったらこんな風に仲間に入ったりしねえよな。オレの顔は知られてるし、半分は悪評だ。その点、すんなり入っちまったのは、ここにいる誰もオレのことなどロクに知らないからだろう。勿論、オレだってFFI優勝のイナズマジャパンメンバーだった訳だが、こいつら自分の国の選手にしか興味ないらしい。 海外って、有りだよな。そう思った。 ボールを蹴りながら公園内の湖の畔を歩く。池じゃない。本当に湖のスケールで、湖畔には何故か桜が植わっていた。ソメイヨシノとは違う、もっと濃いピンク色の花。アメリカの桜は色も違うのか? よく知らない。日本でも桜なんかじっくり見たことがなかった。両親の仲が良かった頃は、花見に行ったような気もするが…。 「忘れたぜ」 ボリュームのあるピンク色の花が湖の水面まで張り出していて、本当に日本だかアメリカだか区別がつかなくなる。しばらく行くとホットドッグの屋台が出ていて、そのカラーリングに、あ、アメリカだな、と思った。昼飯はそれで済ませた。 明日が三日目で、滞在最後の日だ。また夜中の飛行機に乗って日本に帰らなければならない。久遠は仕事を無理矢理終わらせたらしく、目の下に隈を作ってホテルに帰ってきた。 「お父さん、大丈夫?」 冬花が心配そうに顔を覗き込む。 「心配はいらない。明日はオフだ」 「でもその顔色じゃユニバーサルスタジオに行けないわ」 最終日ギリギリまでそんなところで遊ぶつもりだったのか。 「いや、大丈夫だ」 「大丈夫じゃありません」 冬花は意外に強い声で言う。 「外国で倒れたら困るわ。明日はゆっくり休んでて。ね、不動くん」 「え?」 「不動くんが看病してくれるもの、ね?」 「ああ。え?」 「お父さんと不動くんの分のチケットは、マークさんとディランさんが責任持って楽しむから」 「おい」 オレ本気でロサンゼルスに来てからホテルと公園の往復しかしてねーんだけど。 しかし冬花は、 「ね?」 またあの底知れない色をした瞳でオレを見てきた。 「おう」 思わずそう答えてしまった。 そして翌日朝からめっちゃ雨が降っているがマークとディラン――特にディラン――がアメリカンなノリで迎えに来て、冬花は意気揚々とユニバーサルスタジオに出かける。オレと久遠はホテルの部屋に残される。 沈黙が下りる。 「…しねえよ?」 オレが言うと、ベッドに横になったままの久遠が背中を向け、ああ、と言った。 「…期待してたのかよ」 わざとからかうように言ったが沈黙で返してくるのがマジっぽくって嫌だ。 確かにオレだって久遠と二人きりならもうヤッちゃえって思うんだけど、娘のあの目を思い出すと心置きなくって訳にもいかず、セックスした後のこの部屋にまた娘が帰ってくるんだろうと思うと気まずい。 「悪かった」 ぽつりと久遠が言った。 ちょっと苛っとして、は、何が?と大声で返す。 「無理矢理連れてきてしまって」 「嫌なら飛行機に乗ってねーよ、馬鹿」 「お前と…」 久遠は言い淀み、息を吐く。 「お前と思い出のようなものを作れたらと思っていた。あの時、仕事のメールの中に、ロサンゼルスの桜の話があったのを思い出して」 「桜…」 「バルボア湖の桜並木だ。是非と勧められていたが、仕事での渡米だ、見るつもりはなかった。しかしあの時、お前の背中を見ていたら……」 「…何だよ」 「一緒に桜を見たくなった」 オレは立ち上がり、久遠の荷物の中から着替えを引っ張り出す。そしてベッドの上に投げつけた。 「着替えろ」 久遠が顔を上げる。オレは言う。 「立ち上がれねえって訳じゃねーんだろ。さっさと着ろよ。行こうぜ」 雨だ。タクシーを使った。いつも歩いた道のりをタクシーが走る。 しかし公園の入口には鍵がかかっていて、運転手の話だとこの公園は雨の時は閉園されるらしく、広大な敷地面積のお蔭でバルボア湖も桜も見えない。しかもこの雨だ。もしかしたら今散っている真っ最中かもな。 結局タクシーは公園の外周をぐるりと一周してオレ達をホテルに送り届けた。 「すまない」 久遠が呟く。 「何であんたが謝るんだよ。意味分かんねー」 「花見さえ…」 「花見くらいオレ一人でしたし」 「……?」 不思議そうな顔がオレを見下ろす。滅多に驚かないのに、やけに無防備だ。昨日までの仕事で疲れてんのか? 「可愛い顔すんなよ」 「か…」 「レストラン行こうぜ、何か美味いもん食いたい」 オレはホテルのドアを開けて上を指さす。 「そこでゆっくり話してやるよ」 「何を…?」 「思い出話ってやつさ」 オレ達は雨のロサンゼルスを見下ろしながらやたら分厚いステーキを食べ、やたらサイズのでかいジュースを飲み、今まで話したことのなかったような話をした。サッカーと飯とセックス以外の話。 飛行機の時間が迫って、両手に土産物の袋をいっぱい抱えた冬花が迎えに来るのが惜しいくらいに。
2012.5.4
|