神様がのりくんって呼ぶ男の子の話







 きょろり、と大きな目がこちらを見た。前髪をピンで留めているからその視線はダイレクトにこちらを向いた。ペンを持つ手は直前の所作から次の所作へのちょうど途中で静止している。ポーズボタンでも押したよう光景の中、視線に含まれた意志。気づきと、一瞬だけ跳ね上がった意識の針。
 倉間は不意に、顔を上げたのだ。
 誰かに呼ばれた気がして。

 頬杖をついた。肘がテキストを押さえつけている。ろくに見てもいない。目は軽く伏せられ、ペンの走る先を眺めている。自然現象のような神様のオートメーションで展開される光景をぼんやり眺めているような何気なさだった。雨が降ったり、木の葉が揺れるのを眺めるように、何の気もなく。
 マックに寄ればよかった、と思った。
 ハッピーセットの。あのジャンプ漫画のキャラクターの。ぐるぐる動くやつ。
 別にくだらないと思いつつ――一年が凄く騒いでた――こうなると気になって気になって。あれをぐるぐる踊らせながら、宿題やる、とか馬鹿らしい、よ、な?
 思い出される午後の風景。放課後の部室。散漫になる意識。
 あ、やっぱないわ。ない。顔怖いっていうか、目が死んでるっていうか。落ち着かない。でもすごく気になる。部室で先に見ていたからよかったんだ。マックに行っていきなりこれ見たら絶対に引いた。買おうなんて思うはずがない。
 しかもあいつら一体じゃないんだ、影分身とか言って何体も並べて。違う、あそこにいたのは一年だけじゃなかった。
 それを思い出すと、不意に身体が消えるような虚脱感に襲われた。
 神童だ。
 神童が眺めていた。自分のだらしない頬杖とは違う、育ちのイイ、ちょっと可愛らしい所作で並んだサスケを見ていた。
 ――何考えてたんだろ、あいつ。
 いけないものを見た気分。いいのはどんどん一年に持ってかれて、一番顔の造りのいい加減なのが残されてたけど、あいつは持って帰るつもりだったんだろうか。つうか、マックに行けば好きなだけ買えるんじゃね?なんで一年のを見てんの?
 つっこんだら…負けだ…と思った。
 なのに。
「倉間」
 うきうきした声が呼ぶんだ?
「…何だよ」
 と、振り返ったことを一瞬後悔しそうになる。手の中に一杯の、サスケ。一杯というのはぱっと見に数が分からない訳で、しかも抱えた腕からこぼれたのか幾つも落ちている。ですよね?だよな?好きなだけ買えるもんな?買ったんだな?
 何を言われるのかドキドキしていたら、こうきた。
「これ一つどうかな?サッカー部のみんなにあげようと思って!」
 イノセンスな笑みを浮かべて言うんじゃねーよ。布教かよ。いらねーよ!
 落ちたやつを後ろから一生懸命霧野が拾ってんじゃねーかよ!気づけ!ぽろぽろこぼしてるの気づけ!っつかマジで幾つあんの!?
「オレは部長として平等に…」
 全員にかよ…!
「ちゃんと数えてもらってきたぞ!」
 うわー凄く達成感に溢れる輝いたお顔。流石オレらのキャプテンだわー。棒読みの心情の傍ら、店員への同情の念が湧く。
 すると突然神童の手が動いた。掴んでいたサスケが消えたかと思うと、急に視界の大半を占める。
 投げやがったよキャプテン!
 ドヤ顔のサスケが机の上に華麗な滑走着地を決める。襲われそうな気がして、思わず頭を庇った。
 ヤバイ。サスケこわい。っていうか神童のキャプテンとして、いや人間としての奥深さを初めて知った気分だ。たかがハッピーセットのぐるぐる踊るおもちゃ一つで…。顔のこわいおもちゃ一つで…。
 いつの間にか隣にいる神童は寛容で慈しみを含んだ表情をしていて、なんだか仏像みたいな穏やかさで、おとぎ話の女神みたいなことを言った。
「倉間は頑張り屋だもんな。もう一つ、やるよ」
「いや…」
 いらねーって言ったよな?言ったよな、オレ?
 すると神童はオレのことは解ってる的な顔。
「なんだ二つじゃ足りないのか。結構欲張りなんだな、いいぞ、倉間!」
 よくねえし。いらねえし。そう思ったのに、どこにそんなユーモアセンスを持っていたのか神童はあのバランス悪そうに見えるサスケで三連タワーを見事に作り上げていた。マジで!?
 入口から振り返り、爽やかな挨拶。
「じゃ。部活遅れるなよ」
 とうとう叫んでしまった。
「人の話きけよ持って帰れ!」
 叫んだせいかシルク・ド・ソレイユみたいな真似をしたサスケがぐらぐら揺れ出す。何が悔しいって、神童の勘違いと、サスケの顔がむかつくのと、これが神童と意見を戦わせたサッカー以外初めての事っていう。
 神童が閉めていかなかったドアから、剣城が見ていた。
 あの生意気なほどクールなヤツが、青ざめている。あいつ、絶対オレのこと誤解したろ。したよな。間違いない。ぐらぐら揺れるサスケの向こうの剣城。オレはどっちもフォローできない。
 思考停止直前の沈黙が部室に落ちた。
 あ、冷や汗まで流してるや。しかも一人増えた。狩屋…狩屋かよ!なんか一番口軽い上に尾ひれ背びれをつけて言いふらしそうなヤツがどうしてこんなタイミングでそこにいるんだよ。
 わー、冷や汗垂らしてる。狩屋まで笑う以前にドン引きか、オレのこと。ここまでくるとサスケの無表情が力強い。
 剣城が気を遣うような笑みを浮かべた。ああ、事態がこじれてきたな…。オレ誰にも言いませんよ的な?趣味は人それぞれだから見られても恥ずかしいことありませんよみたいな?
 でも現実は斜め上をかっとぶ。
「今度、オレと勝負しましょうね…!」
 何の!?何そのグッって感じ台詞!あ…あれか…CMでやってたやつか!ナルトとぐるぐる踊らせながら戦わせるのを…ええ、オレとやれっての?つか、お前持ってんのかよ意外だな。というのを0コンマ2秒の間に考え、思わず冷めた声が出る。
「いや、やらねーよ?」
 気の遣い方間違えてるぜ、剣城…。狩屋もハラハラしている。
 そこで閃いた。あまりにも唐突に浮かんだので、頭の上に電球がピコン!と灯った気分だった。
「…つーかさあ、お前らこれいらね?」
 ナイスアイデアじゃねえの、この窮地から。一気に問題解決。さあ、どう出る。気を遣えるお前だ、空気読めよ、剣城。
 でも現実に仕掛けられた罠、まじトラップ。いきなり二人の表情が変わった。
 こう、お前もらえよー、いやお前こそもらえよ言い出しっぺだろ、みたいな。
 いや、気持ちは分かるぜ?オレだってやだもん。こそこそ喋ってるのが、静かな部室ではよく聞こえた。つうか表情を見れば何言ってるか分かる。マジ先輩思いの後輩でオレ嬉しいわ畜生。
 そこで先輩らしく提案。
「全部じゃなくていいから、せめて一コずつ持ってってくれよ」
 暴れん坊将軍じゃなくて、大岡越前だっけ。なんか三方一両損とかそういう話あるじゃん。と言うわけで、剣城と狩屋は青ざめるというより、ちょっと暗黒の舞い降りたような表情でサスケを一体ずつ手にする。
「ありがとうゴザイマス」
 実に棒読みだった。いいよ、こちらこそありがとう。オレの科白は多分聞こえていない。
 机の上では中国雑伎団の土台になってたサスケが全てから解放され自由にキュインキュインと音を立てて踊っている。
 キュインキュイン。
 キュインキュイン。
 アイムフリーダムってか。アイキャンサヴァイヴ。生き残れて嬉しいってか。
「はー…」
 どっと疲れた。
 取り敢えず、あとで神童、いっぱつなぐる。
 キュインキュイン。
 お前のことは…しょうがないから持って帰ってやる、しかない。
 オレの机の上でも踊るんだろうか。アイムホーム、ウェルカムニューホーム、キュインキュイン。

 絶好調にキュインキュイン。
 帰宅後の机の上でサスケは腕を振り足を振る。
 全員分って言ってたけど、神童は先輩にも配ったのか、こいつを。三国さんにも?
 あー、でもあの人ならもらってくれるだろうな、嫌な顔一つせず。実際、神童がみんなを思って買ってきたんだからって、嫌な気持ちにならないんだろう。
 窓の外に真夜中のブロッコリーの面影が浮かぶ。怖かった。
 練習行くの、完全に忘れてたな…。
 オレの悩みは尽きず、窓に映る三国先輩の面影は目を開けたまますやすやモードに入り、サスケはこのままどこまでも突っ走るぜ!と言わんばかりにキュインキュインと踊る。欠けた満月が見下ろす静かな夜11時…。
 ふと、音が消えた。
 サスケの姿が消えていた。
 忍者だから消えるんだっけ?瞬間移動とかそういうのあったっけ。写輪眼で、なんか、そういう…ねえよ!
 ねえよとは思ったけど実際影も形もない。たぶん、オレに同情した神様が今度こそ消してくれたんだと思うことに、した。下手すると神様の机の上で今もキュインキュイン踊ってんじゃねえの?

 ふと、意識が振れる。ペンが止まる。誰かに呼ばれたような気がして、振り向く。
 前髪をピンで留めたせいで、真っ直ぐに伸びた視線。の先に、神様っているんだろうか。
 倉間はまたノートに向き直る。ペンを走らせ、神様にプレゼントしたサスケのことは忘れ宿題の続きに取りかかった。



2012.3.9