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SOCCOR GOES ON







 LIFE GOES ON。本当に?
 時間が緩やかに停滞してしまったかのようだ。空気も、春の熱気の残る夕暮れの空も、ゼリーのようにじわじわと固まって、いつの間にかベンチに腰掛けたまま閉じ込められたような気がする。いや、それでも南沢は構わない。今更、もがく痛みはほしくない。もういらないのだ。あの人さえいなくなってしまった。
 久遠監督の解任を知ったのは、それが決まった夕、すぐのこと。学校に戻ろうと刹那的に思い、結局携帯電話を閉じて顔を上げただけだった。昨日の夕焼けも綺麗だった。皮肉なほどに。
 入部してすぐに始まった管理サッカー。しかし雷門の内部でなら、その技術を磨くことができた。ソニックショットは南沢の得意とする必殺技。あの頃の三国にも、一学年上の先輩ゴールキーパーも止めることができなかった。三国はその後、自分の技に磨きをかけて「見たか!」という顔で止めて見せたけれども。ドヤ顔がムカついて、ボールをご自慢のブロッコリー頭にぶつけてやった。
 あの時は本当に悔しかった。悔しくて悔しくて、練習して、もっと上手くなろうと…。
 ベンチから見るピッチは広い。広く見えた。この広い芝生の上を、ボールを追いかけて何時間だって走り回った。監督の厳しい声が背中を押した。初めてソニックショットがゴールに突き刺さった時、久遠は言った。
「よくやった」
 厚い掌が肩に乗せられた。
「これがゴール地点ではない。さあ、行け」
 背中を押され、ピッチに戻る。部内の紅白戦だったが、あんなに心が興奮した試合もなかった。あの時、自分は本気だった。
 あの時。あの時。あの時。あの時。どれも今ではない。
 今、足下にボールはない。今、仲間達はピッチにいない。今、監督はここにはいない。
 もう、いない。
 10番をつけた初めての試合。あの雨の日。管理サッカーがどういうことか、まざまざと思い知らされたあの日、南沢は自分の心を一つ殺した。サッカーをしたい。サッカーを続けたいから、このピッチに立っていたいから、雷門の10番としてボールを蹴ることの喜びを捨てきれないから。だから、殺した。痛みに、つらさに、苦しさに目をつむればサッカーをすることはできる。対外試合であんな目に遭ったって、ここには監督がいるから。
 しかし今や、その監督の考えていることも分からなくなった。真意を知る前に彼は雷門を去ってしまった。
 松風天馬とかいう一年のせいだ、と南沢も一応思う。しかしあの一年が入ってこなくとも久遠は理事長と校長から煙たがられていた。永くはなかっただろう。生徒の自分にだって、あの旗色の悪さは分かる。
 俺達に自由なサッカーをさせたりするから。
 人生は続く。本当だろうか。もうここで全てが停まってしまったかのようだ。終わりもないが始まりもない。ただの停滞。道もない。荒れた広野でさえない。味けもない、人工芝の下のコンクリートが剥き出しになり、どこまでも広がっているかのようだ。広いのに、閉じ込められている。息ができない。
 南沢は雷門の10番なのだ。ここ以外の一体どこでサッカーをすればいいというのだろう。

          *

 鉄塔広場から見下ろす雷門町は明かりに輝いている。すっぽりと明かりの消えている場所が雷門中だと、久遠には分かった。かつてはこの時間までも練習が行われていた。屋外練習場のライトが、雷門中をこうこうと照らし出していた。
 夜風が強い。この風では、学校の桜も散ってしまうだろう。
 円堂はまだ現れない。既に雷門サッカー部は自分の手を離れた。これからのことは円堂に任せてある。引き継げるものは雷門中サッカー部と、その選手達だけだ。練習法に口を出すつもりはない。円堂は河川敷に行くと言っていた。じっくりと見極めればいい。待たされるのは、もう久遠にとって苦ではない。
 電話が鳴った。円堂だ。今、向かっているという。
『来ましたよ、あいつら』
 松風。西園。それから三国をはじめとして残った部員のほとんどが顔を出したらしい。来なかったのはキャプテンの神童と霧野、それから三年の南沢。
 あいつは来なかったのか。
 クールなように見せて、なかなかに見込みのある選手だった。先までのファーストで10番を与えるのに、悩みはしなかった。10番のユニフォームを与えられた時は、流石に表情が違った。誇らしげだった。
 しかしそれを着ての最初の試合、初のスタメンは酷い結果だったが。
 最初から結末の決められていた、あの試合。
 選手達は悔し涙一つ見せなかった。そんなものを流す心さえ磨り減らしてしまったのだろう、あの60分で。
 ちょうど一年前のことだった。春先の雨は冷たかった。
 冷たい風が吹き抜ける。流される雲が時々月を覆い隠す。
 神童も霧野も顔を出すだろう。特に神童には責任がある。キャプテンとしての、そして英都との試合でシュートを打ってしまったという自責も。
 あのシュートは良かった。
 久遠は素直にそう思う。
 だから神童は必ず戻ってくるはずだ。神童が戻ってくるならば、霧野も。ただ…。
 南沢だけは分からない。
 しかし久遠にはもうどうすることもできない。あとは円堂と、南沢自身にサッカーをする意志があるかどうかだ。選手達を守る。そして雷門中サッカー部の名前を守り、円堂の手に託す。それが久遠の役目だった。今や未来は彼らの手に託されている。
 これが終わりではない。スタートラインに立てたか、南沢。
 風が吹く。広場へ上ってくる足音が聞こえる。円堂だ。
 久遠はベンチの上で、彼の力強い足音が近づいてくるのを待った。



2011.6.19