受胎月間







 雨上がりの陽炎が街中に漂い、うだるような暑さと湿気の中で誰もが俯き足下の影を見つめている。
 ハレーションを起こして真っ白になったビル街の歩道脇に少年は立っている。短く詰めたスカートと真っ黒なオーバーニーソックスの間で白い太腿がちらちらと光る。セーラー服の白が陽炎と混じり合い景色に溶け合うかとなっているが、本人はこの世の全てを睥睨してなお久遠を迎え入れるように顔を上げて真っ直ぐとこちらを見ているのだった。
 車に招き入れると、するりと猫のような仕草で助手席に座った。
「暑い。溶ける」
 クーラーの送風口に額をつけ、呟く。
「シートベルト」
 叱ると、しっとり濡れた目でちらりと振り向く。
「怖ぁい」
 女の声ではない。しかしその声は恐ろしいほどに久遠の喉をざらりと舐め上げ、背筋が震えた。
 クーラーの温度を上げると文句を垂れる、それはいつもの不動の声だった。
 陽炎の街を駆け抜け、滴るような緑の中を車は走る。アスファルトは所々破れ、そこからも草が顔を出している。木漏れ日の射すところだけ白く輝いて眩しいほどだった。緑と光線の白は交互に明滅し、視界が狂いそうになる。
 相変わらずシートベルトをしない不動は靴を脱いで足を持ち上げ、送風口に足の裏を押しつけている。スカートがめくれ、太腿があらわになる。
「やめろ」
 言っても、にやにやと笑うだけだ。
 舗装された道の終わりに車を止め、そこから林の奥に向けて伸びる錆びた線路に沿い、歩く。
 不動は器用にバランスよく線路の上を歩く。久遠は一歩後ろを、朽ちた枕木を踏みながら歩いた。木漏れ日の下を歩くたび、左右にのばしたしなやかな腕や、スカートの下の白い太腿が光る。それを眺めている。セーラー服はすっかり不動の身体に馴染んでしまっている。
 廃線の駅舎は木造で、半分は窓が潰れ崩れかけていた。不動は割れたコンクリートのホームに立ち、強い夏の陽と四方から降る蝉の声を浴びている。
 蝉の声はじわじわとやかましい。街中で陽光が白くハレーションを起こしたように、ここでは声が木々に反響し駅舎のぽっかり空いた空間に向けて一斉に降り注いでいるかのようだった。遠近さえも失い、響く。
 セーラー服が汗に濡れ、背中に張りついている。ブラジャーの線が浮き立つ。不動は手をかざし、空を見た。
「すげ、遠い」
 暑さに掠れた声が呟いた。
 雨に洗われた空は芯から夏の青さに染まっていた。そのまま色が落ちてくるか、さもなくば爪先を蹴ればセーラー服姿の不動はそのまま空に吸われるかのようだ。
 急に携帯電話が鳴った。蝉の声さえ裂いて響いた電子音に、目が覚めたかのように不動が振り向いた。
 久遠は取り出したそれの電源を切った。液晶画面に映った名前さえ見なかった。
「いいの」
 不動が尋ねる。
「…よくも電波が入ったものだ」
 携帯電話を仕舞うと、不動が近寄りするりと腕を伸ばして久遠を抱いた。
「せ、ん、せ」
 中身のないブラジャーのふくらみが押しつけられる。
「電源切らなきゃ、壊してやるところだった」
「構わん」
 そう答えてやると、疑わしそうな目で見上げ、眉を寄せて笑う。
「嘘、つけ」
 駅舎の中に入ると急な涼しさと共に、蝉の声がふわりと遮られる。いつかの雨音のように屋根の上を叩いている。
 キスをしながらブラジャーのホックを外す。もとよりふくらみのない胸の上を偽のふくらみが滑る。レース仕様のそれを掴み、尋ねる。
「何の真似だ?」
「今更…」
 不動は嘲笑し、胸をいじる久遠の指にくぐもった声を上げた。
「今日、あんたに言わなきゃいけないことがあるんだけど」
 キスと吐息の間に不動は言う。
 唇を離してやると、濡れたそこを舌がぺろりと舐める。
 不動は指を下に向け掌を自分の腹に押し当て、滑らせた。
「デキちゃった」
「………は?」
「コ、ド、モ」
 腹を撫でていた手を不動は伸ばし、久遠の股間をつついた。
「百パーあんたの子」
 不動の唇は吊り上がり、ひゃは、と高い笑い声が耳をつんざく。
「嘘、と思ってんだろ」
 確かめてみろよ、と手が服の上から掴む。
「すぐに、解る」
 スカートをたくし上げ女物のパンティをずり下ろすと緩く勃起した未成熟な性器が現れる。久遠は手を伸ばして、その後ろに触れる。指ではなく直接、と促された。
 煤けたベンチに腰掛け、不動はシャロン・ストーンの演技を思わせる仕草で足を上げ、目の前の久遠に全てを晒す。セーラー服もスカートも、ブラジャーも取り去って、あとに残るのは黒のニーハイソックス。それからカツラ。
 汗をかいた胸。平たい腹。
 コドモ、だと?
 妊娠をさせられるものなら、そうしていただろうか。今までコンドームと共に捨ててきた命に届かないものたちを不動の身体の奥に注ぎ込んで、自分と不動を縛りつける絶対のものを生み出していたのだろうか。
 恐怖がぞわぞわと背を撫ぜる。
「嘘を、つくな」
「信じたろ?」
 ようやく絞り出した低い声を、笑いで歪んだ不動の声が裂く。
 ベンチの上に身体を押し倒しカツラを取る。その下で不動の髪はわずかに伸びていて、モヒカンもそれに合わせて整えられていた。
 乱暴に犯すと不動は痛みに顔をしかめながら「ひでえ」と嗤った。コンドームはつけていなかった。射精の瞬間、不動は足を絡みつけ離さなかった。
「ほらな」
 自分の精液を指先に取り、濡れた手で久遠の唇に触れる。
「今、デキた」
 返事はしてやらなかった。
 空を覆うような夕日と青蜩の声に目が覚めた。少し眠っていたようだった。不動は裸で駅舎の石段に腰掛けていた。外の水道が生きていて、ホースで水をかけてやる。頭から水をかぶりながら不動は短い髪に触れて、小さく歪んだ笑みを一瞬浮かべた。
「剃る」
 なるほど、不動の場合は切るではなくて剃るなのだ。
 スカートを先にはいた不動がブラジャーをつけようとするのを、久遠は妙なものを見る目で眺める。不動は気づいて、ホックを留める手を離す。
「欲しい?」
「馬鹿を言え」
 セーラー服を身にまとい、カツラをかぶれば不動は不動であって、正体不明の少女だった。
 線路を辿って車に戻る間、不動は上機嫌で時々久遠の腕に触れた。腕を組んでやると「暑い」と言って離れた。
 車に乗り込み、発進する前にキスをした。恐らく別れ際にはできないだろうから、だ。不動は驚いた刹那目を潤ませ、それから瞼を伏せて久遠の首に腕をまわした。水と夏の匂いがする。背中を抱き寄せると、ブラジャーのラインが手に触れた。強く、抱きしめた。



2011.3.4