ヴェノムの雨
彼岸、である。 既に自分たちのいる場所は此の岸ではない。渡る川は暗く、深い。降る雨は押し寄せる濁流となり、既にホテルの一室はそればかりで孤立したかのような閉塞の中にあった。 豪雨はホテルに叩きつけ屋内にいて五月蠅いほどの雨音だ。外圧のように押し寄せるそれを内側から押し返す内圧は不動の嬌声で、それの満ちるこの部屋は久遠にとって水底ともつかない。 溺れている。この世の果ての、見捨てられた場所で。故に、ここは彼岸だった。 音を拾えば彼岸は悲願か。飢え、餓え、望んだものである。交わり、重なり、仕舞いには若い身体を気遣うことさえ忘れて貪った。 乾き、飢えていたのである。久遠はこの身体ともう一ト月離れていたのが信じられない。 一ト月も離れて正気を保っていられたのか、自分は。と。 不動は再びあの制服を身にまとって現れた。 着たまま、やった。 女を擬態する不動を後ろから犯し、全てを剥ぎ取られ笑う不動を正面から抱いた。 「なに、興奮してるじゃん」 「お前は」 どうなのか、と尋ねるよりも身体に訊くが答えは早い。素直な少年の身体に対して、己の行為に混じるものが情欲のみかそれとも他の情を抱いてしまったのか。しかし久遠にとってもう区別はなく、名を呼び唇を奪い、欲望で不動の身体を満たせば溶ける先は不動の嬌声と白濁だった。 どれほど交わったのか。何度目か、いかばかりの時間が過ぎたのか。 時計を見ることは、不動を目の前にした瞬間から止めていた。ただ、不動の身体はとうとうぐったりと動かず、自分にも互いの汗にまみれた身体を動かす億劫さが生まれていた。 不動はうつぶせになり、ぴくりとも動かなかった。もしや眠っているのかと仰向けにさせると、それを嫌がるように腕が動く。手の甲が力なく頬を打った。 唾液に濡れた唇がかすかに動く。それは言葉にはならない。久遠もそれを見下ろし口づけをするまではできたが、また背中を叩かれるので渋々身体を起こした。 シャワールームで熱湯に打たれると、そのまま身体が溶け出すようだった。久遠は熱すぎるほどの湯で身体の汗を流し、俯いて息をした。 不動がいつか褒めた自分のそれ。今日はセーラー服姿の不動が口に含み舐め回したそれに自分で触れる。 不動の身体の中は狭く熱い。 ぎゅっと掌の中に握り込むと、ベッドの方から笑い声が聞こえた。 シャワーから出ると、不動はベッドの上に胡座をかき遊んでいた。使い終えたコンドームをゴミ箱に向けて放っている。二、三がぺちゃりと床に落ちていた。 「やめろ」 「もう、ねえよ」 拾い上げ、ゴミに捨てる。命を生み出し得なかったそれらは、プラスチックの筒の底で湿った音を立てた。 不動はテレビをつけ、はっ、と小さく笑う。 「もう日付変わったんだぜ」 「そうか」 「気にしねえの?」 ベッドにのし上がると、不動が笑みを消して見つめてくる。 「シャワーを浴びる気になったか」 「別に」 口元だけが嫣然と笑う。 「あんたがしたきゃ、今からやってもいい」 掌を滑らせる。汗にべたついた身体。股間のそれはすっかり萎えているが、今までの行為の残滓に今もぬめっている。指を形に沿わせると、若いそれは反応した。 「足を開け」 何度も関係を持ちながら、自分が不動のそこを舌で扱うのは初めてだった。久遠は自分のしていることに軽く驚きを感じる。 不動もまた息を飲み戸惑ったような視線を泳がせたが、やがてじわじわと足を広げた。 果てるのもまた早い。不動は何故か必死に声を殺そうとし、唇をわななかせながら達した。久遠は口の中に吐き出されたそれに、不動はこれをよく躊躇いもなく飲むと思いながら口を閉じている。 「…いいって」 震えながら不動が言った。 「吐けよ」 結局、ゴミ箱の中に吐き捨てた。 「なに…突然、なに」 「お前が、したければやってもいいと」 「こういう意味じゃねえだろ…」 久遠は、またくたりと首を垂れた不動の性器を手でいじりながら、笑いを隠す為に耳にかじりつく。不動の手は弱々しい抵抗を少しだけ見せ、すぐに縋りついた。 それ以上は進まず、久遠は不動の身体を抱えて今一度シャワールームに入った。 不動はもう倒れそうだったが、どうにか風呂椅子に座らせ湯で身体を流してやる。洗ってやる際にまた股間に触れると、今度は反射的に膝が閉じた。膝を閉じた不動は睨みつけるように久遠を見上げた。久遠は太腿に挟まれたままの手で軽く掴む。負けたのは不動だった。 シャワーを浴びた後も、何するでなくベッドに座り込んでいた。 つけっぱなしになっていたテレビを、不動はぼんやりと見ていた。何も考えていないのであろう無表情を、不動の中に見るのは珍しい。彼には常に自分を守るため顔に張り付かせた感情、皮肉、冷淡さがあるし、それらさえ消している時はたいてい何かを考え込んでいるのだ。かつてであればベンチの上、然り。 久遠は不動の細い首に背後から手をかけ、囁いた。 「私がしたいと言ったら」 「する」 不動の手がするりと後ろに向けて伸びてきて、指先で久遠の顔に触れる。 雨の音はなお強かった。テレビでは連続して暴風雨のニュースを流している。関東の各所に設けられたカメラが波濤や冠水した道路を映し出す。テレビからも流れ出す雨音が、とうとうこの狭い部屋を侵食する。 「あと、一回」 囁くと、不動が喉の奥で小さな音を立てた。 コンドームに手を伸ばすのを、不動は遮った。 「いらね」 短く、不動は言った。 久遠が、遮られた手を動かさないままでいると、続けた。 「さっきもすげえ洗ったし、別に、俺、あんたに出されてもいいし」 「心配じゃないのか」 「何が」 「自分の身体」 不動は、ぐいと久遠の顔を引き寄せ命令した。 「出せよ」 そして、彼岸に溺れるのである。
2011.3.4
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