Near love crossing







 Near love sharpness


 愛と言うより未熟ないとしさであるようなことは成神にも解っていたけれど――中一で愛とか、笑う――しかし辺見を「先輩」と呼ぶ時、そこにはハイタッチの際の満足感や膝カックンをくわせることのできた悪戯成功の意外性や初対面の頃の印象を裏切って話し易かったことなどが含有されていて、他の先輩はさん付けで呼ぶのに何故か彼にだけ「辺見先輩」と呼びかけ、故に唯一先輩呼びされる彼は優越感より他者と区別されたそれが後輩になめられているのではないかという疑念を植え付けたらしい。辺見は不機嫌になると、細めた目元の皺がそこだけ妙に齢を嵩んで見える。
 今もシャツのボタンを留めた格好のまま、むすっとロッカーの奥を睨んでいる。成神は敢えて明るい調子のまま話しかける。
「先輩ファミマ寄りましょ。“俺のエクレア”食べなきゃ」
「たかるな」
「たかってませんー。ただ余裕があったら奢ってくれてもいいんじゃないすかね?」
 そういうのをたかってるて言うんだよ授業真面目に出ろよ勉強しろよと辺見は成神の方を振り向かずに言う。
 帝国はサッカー界に絶対王者として存在しているが、だからと言ってサッカー部員がただ安穏とした地位を得ている訳ではない。成神とて入試の際に競争、スタメンを獲得するための争いは日々であるし、勉学だって疎かになれば監督がどういう判断を下すか簡単に予想はつく。
「ちゃんと出てますよ。中間の結果張り出されたし」
 しかし上位成績者に名前があるのは当然と言うことか辺見は返事をせず、ロッカーから鞄を取り上げすたすたと部室を出た。彼のプライドの高さは、その成績にも裏打ちされたもので、そこが鼻につくと言えばそうだと嫌う人間もいる。
 が、成神は辺見だけでなくサッカー部の人間おしなべて成績がよいのが当たり前だから冷たくあしらわれたそれにめげることなく、慌てて鞄とipodとヘッドホンを掴み後を追う。
「どーせ帰る方向一緒じゃないですかー」
 ただこのままでは振り向いてくれないようなので攻める方向を変え、不満そうな声を上げてみる。
「ファミマ途中だし」
「…よくも甘いもん食う気になるよな」
 辺見はフリスクを取り出して一気に二、三粒かじると眉間に皺を寄せた。
「え? 甘いの苦手でしたっけ?」
「練習の後でよく食う気になるよなってこったよ」
「練習の後だからでしょ。お腹空いてるもん」
 フリスクじゃふくらみませんよ、と言いかけ直前で飲み込む。
 何故なら辺見が振り向いてフリスクを差し出したからだ。
「これでも食ってろ」
「…フリスクだし」
「ライムミント」
 一粒だけ口に入れた。刺激が強すぎて喉から鼻に氷点下の息が流れた気がした。成神は既に噛み潰したそれを吐き出すことも出来ず、鼻と口を手で覆う。辺見は黙ってニヤニヤ笑い、成神が百面相する様を眺めている。
「へ、んみ、」
 先輩、まで言えない。
「へんみ、さ……」
「辺見さん、だ」
 そして彼は上機嫌でファミリーマートへ足を向けた。
 俺のエクレア。結局辺見の奢り。
 道すがら袋を開けると辺見が手を出す。
「半分食わせろ」
「甘いの食べないんじゃないですか?」
「そうは言ってないだろ」
 一口かじっていたが、そのままでいい、と辺見は大口を開けてかぶりついた。
「あー! 半分以上!」
 成神が叫ぶと辺見は片耳を塞いで黙々と食べた。
「結構うまい」
「先輩!」
「残りも食うぞ」
「…オレ、辺見先輩のこと先輩って呼ぶの好きなんですけど」
「じゃあ俺はお前から辺見さんって呼ばれるのが好きなんですけど?」
 食べられる前に成神はエクレアの残りを口に放り込んだ。
 辺見はまたフリスクをかじっていた。
「…今、俺にキスしたら甘いですよー」
 試しに口に出すと、はっ、と辺見は笑い成神の頭を小突く。
「今俺がキスしたらお前失神するぞ?」
「…っそれ」
 エクレアのクリームが喉を流れ落ちる。
「どっちの意味、ですか?」
 立ち止まった成神を見下ろす辺見は、自分から言い出したくせに顔を赤くして、こういうことだよ馬鹿!と成神の口にフリスクを数粒詰め込んだ。
 氷点下、なキス?
 涙目になった成神のために辺見、結局ジュースの奢り。
 しめて350円。
 ほら、愛には遠い。


 Near love painful


 愛と言うより未熟ないとしさであるなどという明確な線引きはできていなかったし、それは豪炎寺も同じだったと思う。たかだか十四なのだ。この感情をどうしてコントロールできるだろう。だからこそ、豪炎寺は力にものを言わせて泥に汚れた床の上に風丸を押し倒したのだし、風丸はその気配を感じ取りながら持ち前のすばやさをいかして避けることもしなかった。
 豪炎寺は黙って唇を近づけようとした。風丸は顔を逸らす。そして目を開けたまま床の上の泥の足跡を見ている。あの中のいくつかは円堂のものだ、と思う。
 唇を触れさせることを直前で止めた豪炎寺の息がかすかにこめかみに触れた。風丸は視線だけで豪炎寺を見た。一途な視線が自分を見つめていた。怒っているかのように強くもあったし、じりじりとした焦りが浮かんでいる風でもあった。
 手が、風丸の頬に触れ、顔を正面に向かせた。風丸は目を閉じたが、その名を呼ばれて渋々瞼を開いた。
「円堂なしで触れ合うのは恐いか?」
 豪炎寺の言葉に風丸は一瞬目を鋭くしたが、結局彼の腕の下から抜け出すことができなかった。豪炎寺の言葉に屈するのではない。最初から目を瞑っていた部分で風丸は折れていたのだ。
「お前が俺を見ているなんて信じられない…」
 風丸は呟いた。
「どうしてだ。一緒に必殺技の特訓もやった。お互いを見なければ出来なかっただろう?」
「サッカーだよ。そして勝利だ。お前の目はいつもそこを見据えていた。それから円堂」
「円堂は……分かるだろう?」
「何を?」
 風丸は目を伏せた。自分の肩を押さえつける豪炎寺の手が力を緩めているのは知っていた。それでも、それを払おうとしなかった。ゆっくり起き上がると、豪炎寺も腕をどかし、風丸のすぐ向かいに胡坐をかいた。
 部室の床はこんなにも冷たかったのだな、と風丸は思った。
 目の前の豪炎寺は真っ直ぐにこちらを見つめていた。俺は不安で仕方ないのに、と風丸は顔を伏せる。好きだと思う、お前の顔さえ見つめるのが恐いのに。
「俺のどこが好きなんだ…」
 尋ねる風丸は自分の声が泣きそうに揺らいでいるのに気づいた。せめてそれを隠すのにぐっと顎を引き、答えを聞くために耳をすませた。
「だって…、お前は女みたいに美人だろう」
「……はあ?」
 あまりな返事に風丸が今までの空気も忘れてがばりと顔を上げると、今度は豪炎寺が風丸の反応を受けて困った顔をする。
「そうじゃないか。俺はホモじゃないんだし、それでも風丸のことが好きなのはそれ以外に説明がつくか?」
「つくかって…普通、いや、もうちょっと、答え方があるだろ!」
「これが正直な気持ちだ、俺の」
 手が伸びてきて両頬を包み込む。風丸は思わずそれを受け容れたまま、さっきまでの切なさと急に気が抜けたので潤んだ目を豪炎寺に向けた。
 豪炎寺は微笑む。
「美人なら誰でもって訳じゃない。それでもお前がいいと思ったんだよ風丸」
 好きだという気持ちに嘘はない、そう囁く豪炎寺の声は興奮しているのか掠れていた。
「風丸、お前の気持ちを聞かせてくれ」
 黒い瞳の強い眼光が風丸を射抜いた。風丸は耐え切れず目を閉じ、泣くのを我慢して息を吐き出した。
「お前なんか…」
 次の瞬間には豪炎寺に唇を塞がれていて、答えができなかった。


 Near love dizzying


 愛と言うより未熟なものに対するいとしさであるようなことは自覚していたし、また飛鷹の自分に抱いている感情もそれまで自分一人の力で難局を越えてきた少年の初めて抱く敬慕を持て余しているのだろうと想像はついた。飛鷹は強面だし無口だから慣れぬ人間には敬遠されがちだが、あれで素直だし初心なところもある。
 飛鷹の足は細く、どこにあの脚力が潜んでいるのかと思われるほどだ。芯は強く、しなやかで、それが響木を魅了する。きっと映えるサッカー選手になるだろう。彼を初めて目にした時からその思いは変わらない。
 特訓を終え、まかない飯を済ませ、のれんを下ろしたら銭湯に向かう。家風呂もないではないが、仕事を終えて特訓を終えて風呂を沸かしと言うのは歳のせいにかこつけつつ最近億劫であったし、銭湯は近場な上、番台も昵懇の仲だ。地域貢献と思って入っていけや、という番台の言葉は、自分が風呂は用意していいのに何故わざわざ銭湯に行くのかと尋ねる飛鷹へ向けてそのまま利用させてもらった。銭湯でも飛鷹の表情は目に見えて変わらないが、それなりに親しんでいる。
 番台に回数券を二枚出すのも慣れたもの。番台の挨拶を背中に、脱衣場でもまた挨拶の応酬。この時間来ているのは店を閉めた爺さん連中が多いから、気さくで誰彼無しに、たとえ初対面だろうが十年の付き合いのように話しかけるのだ。飛鷹も低い声で挨拶を返している。
 カゴに脱いだ服を畳む後姿をちらりと見る。飛鷹はもともと荒くれたコミュニティに身を置いてきたにしては礼儀正しい。それは響木相手に限らない。脱いだ服ひとつを畳むにしてもそうだ。
 足が目についた。細い足だ。
 響木は不意に飛鷹の頭に手を乗せた。すっかりパンツ一枚になっていた飛鷹は驚いて自分を見上げた。響木はその頭をぽんぽんと叩いて、結局何も言わなかった。意味が分からないなりに、飛鷹は小さく返事をする。
 銭湯に来ると、飛鷹は必ず響木の背中を流す。本人がそうしたいと言うので、ありがたくそうしてもらっている。常連の爺どもは、孫ができたみたいじゃねえか響木、と茶化す。その言葉に照れるのは飛鷹の方だ。背中を擦る力が強くなる。
 飛鷹はひととおり響木の世話を焼いてから自分に取り掛かる。
 湯で流すと飛鷹の髪は長い。いつもリーゼントに整えるくらいだから髪にもこだわりがあるのかもしれないが、銭湯に来た飛鷹は特にそういったそぶりも見せず響木が安売りの時に買ったシャンプーを使う。髪をすすぐ際の櫛はいつもの自前だ。
 斜め上から見下ろす髪を梳かす手も腕も、足同様驚くほど細い。ほんの子どもなのだと思う。
 櫛を置いた手がシャワーを探してさまよう。響木がシャワーヘッドを持たせてやると、驚いたように肩が跳ねて、小さな声で礼の言葉が聞こえた。
 湯船につかる際は飛鷹に髪ゴムを貸してやる。飛鷹が髪を結わうと首の線もあらわになる。どこもかしこも、飛鷹は細い。
 湯船では先客が響木の腹回りのことをからかった。ここの常連は皆、自分がサッカーをやっていた時代を知っている。が、そのことを口に出しはしない。からかうのは笑い半分、そして過去への惜しみがほんの少し。
 響木も相手のビール腹に加えすっかり薄くなった髪を笑い返しながら、隣の飛鷹を見る。
「お前も笑っていいんだぞ」
 すると飛鷹は思ってもみなかったという顔でぽかんと響木を見上げた。
「俺は…」
 常連の笑い声から顔を背けるようにして飛鷹は、小さく言った。
「響木さんは格好いいと思います」
 飛鷹はそのままぶくぶくと沈んだ。

 湯あたりした飛鷹が起き上がれるようになるまで、響木は番台と喋った。
「あんな孫がほしいだろう」
 番台が言う。
「あいつがいるのに、わざわざ孫なんざいらねえや」
 返すと、お熱いのう、と口笛を吹かれた。



2011.2.11