end of weekend







 駅前で別れる。じたばたしたくなる気持ちを抑えて列車に揺られ、硬い足音に現実を再認識しながら自分の部屋まで帰ってくる。そうやってベッドの上で枕に顔を伏しぐったりと全身の力を抜くと、生命活動そのものを手放すような奇妙な狭間の感覚が表面をじわじわと覆って、そのうち考えることもやめてしまいたくなる。今俺を支配しているのは恐怖だ、と自覚する。だからこんな曖昧な場所にいたいのだ。
 曇り空の下を迎えに来てもらうような優しさで手を伸ばされ、それを当たり前のように受け入れる日々がどれだけ続いているのか数えないのは、それがこの先どれだけ続くかを知りたくもないからだ。今のこの仄暗い空の下、行き先も決めず歩くような関係が永遠に続くような嘘を自分についてる。好きという気持ちだけで生きていければいいけど、などという生あたたかいカスタードクリームみたいな感情が自分の中に生まれるなど想像もしていなかったが、事実今胸の内は柔らかく溶けていて、会った、好きだ、と思ったこの週末も、これで満足だ、とか感じていることに自嘲さえ湧かない。
 次の週末に向けて時計が動き出すまで、あと数時間日付が変わるまでは、この生あたたかい狭間の感触に挟まれていようと思った。
 自分の部屋のにおい、自分のにおいがじわじわと表面から染みてくる。でも今しばらく思考と社会的行動から切り離されて眠りたかった。テレビも音楽もいらない。週末を反芻するそれだけで、耳に残ったあの低い声の名残が身体の奥の手に届かない場所を震わせる。目の奥。心臓の裏側。穏やかな時間は脆く、少しでも乱暴に扱えば壊れてしまいそうなのだ。俺は過去さえもぞんざいに扱えなくなった。ホットケーキ程度の記憶さえ。
 ホットケーキを作って朝食にした。日曜日の朝を甘いにおいと蜂蜜で迎えた。粉を計っている最中に、少しあたためるだけだったつもりのフライパンから煙が出ているのに気づいて慌ててガスを止めようとしたら、足がもつれて粉を頭からかぶった。100グラム弱、無駄にした。
 シャワーと甘いにおいと甘い食卓。週末の記憶が身体中に残る、その余韻。ぬくもりもにおいも次第に迫る不動明王の日常にかすんでゆく。時計の秒針の音、ドアを開けたままでここまで聞こえてくる冷蔵庫の低い唸り。窓の向こうが静かに感じるのは、まだ家やアパートの半分くらいは明かりがついていて、それぞれの生活音が遠い車の音も遮るからだ。
 やがて記憶の底の低い囁きが他の音も溶け込ませてうやむやになり、短く深い優しい眠りの気配が迫る。それはどこか遠い未来にあるゴールのようで、夢かここじゃない場所にあるもののような気がした。魔法とか奇跡とか、多分この世にはないものの話。でも本当にそんな未来があるのなら?
 泣いた後に笑うようなそんな体験したことのない未来が。
 しかしその正体を見極める前に眠りは全身を包み込もうとしている。
 この静けさを知っていた。いつかどこかで聞いた言葉だ。

“誕生日ケーキの蝋燭を吹き消した後のような不思議な気持ち”

 ゴールと一緒に始まるような未来を夢見ても?
 日付が変わるまでの我儘だ。誰も俺の眠りを責めはしない。眠りは黒ではなく、ベッドのシーツの色に柔らかく輪郭を溶かしたスクリーンに週末の時間を映し出す。静かで音の曖昧な夢の中で俺は黙って俺達を見ている。お前らが幸せになりますようになどと甘いことを思う。
 蜂蜜色の輪郭。ホットケーキを食べ終えた皿が目の前にある。俺は顔を上げて皿の向こうを見る。久遠がいる。唇に蜂蜜とパンくず。俺は手を伸ばし子どもかよと笑う。久遠は少し笑って目を伏せる。指先で蜂蜜を拭い、俺はようやくハッとする。この週末の違う未来。可能性。しかしもう日付が変わるのだ。
 目が覚めた。真夜中を少し過ぎていた。シャワーを浴びて明日の予定を確認して眠る。口に出して復唱する。そうして社会的な不動明王を取り戻す。カレンダーに書き込んだ予定。練習。試合。練習。練習。そして週末。また時間が週末に向けて動き出す。鏡の中の自分の顔は、まだ目元に週末への未練を残していた。俺は現実を取り戻そうと歯ブラシを噛んだ。



2011.1.13