オトコとオンナとアタシと円堂
街灯が一斉に灯り、街に夜が降ってくる。塔子はコートの前を合わせることもなく颯爽と北風の強いビル街を抜けた。両脇に建っているのは機能のためのビルばかり。今日の生活を動かし明日の日本を担うシステムの詰まった箱。息が詰まる。塔子は街の端に小さく見える観覧車の明かりを目指して走り出す。彼に会いに。円堂守に会うために。 塔子の、円堂へ抱く気持ちを周囲は「変わった」と言う。 SPの館野舞曰く。 「男女の想いってそういうものなんですよ」 好きという言葉の意味はいつも心臓の奥を熱くする一つの想い。キスの意味を、塔子は少女の頃から知っていた。解っていて十四のあの季節、円堂に捧げた。今でも揺らぐことのない円堂への気持ちを、しかし周囲は変わったと言う。自分が二十四になったから、父の秘書として働くようになったから、胸が少しだけふくらんでそれで私が大人になったから? 大人だとか子どもだとか関係ない、と塔子は足を速める。 今はただ、円堂に会いたい一心で走っている。 サッカーへの情熱、興奮。 間違いのないもの。 両脇の街は次第に明かりの数を増す。鮮やかなブルーのイルミネーション。整然と並んだ街路樹に明かりが灯り観覧車へ向かう真っ直ぐな一本の道を示す。どの足もゆったりと隣の誰かに歩調を合わせ歩いているが、塔子は走らなければならない。走らないと追いつけない。 観覧車の下に円堂は待っている。真っ直ぐに、挙手でもするように手を挙げ「塔子!」と呼んでくれる。十年前とちっとも変わらない。 「円堂!」 ぶつかるようにして駆け寄る。円堂もそれを受け止める。イルミネーションの道を並んで歩き出す。クリスマスが過ぎても街にはカップルが溢れている。が、館野の言うようなものは二人の間には見当たらない。「男と女ですよ?」と言い聞かせるような言葉。でもここにいるのは円堂と塔子、だ。 電飾の鮮やかな光を反射するアクセサリーも塔子は身につけていない。服だって仕事のためのスーツのまま。あの頃と変わったのはトレードマークの帽子をかぶらなくなったこと。でも円堂は今でもオレンジ色のバンダナを巻いているし、スーツではあるけれど今すぐにでもサッカーに出かけて行きそうに見えた。 「珍しいな、円堂もスーツを着るんだ」 「そうか? 結構着てるよ」 「仕事で、だろ?」 「別に今日は仕事じゃあないぞ」 「じゃあ政治家の秘書と会談するから?」 「緊張してるように見えるか?」 円堂はわざと右手右足、左手左足を同時に出す。塔子は笑って、やめろよ皆見てるよ、と円堂の腕を引いた。 レストランで食事。それが機能性ではなく造形美を追求したビルの上階の、名前も覚えられないような作曲家のクラシックが流れているような店でももう円堂は緊張しない。総理大臣の表彰を受けたのが十年前。場数を踏んだと言えば、様々な場に出てきたものだ。数々の優勝、きらびやかな軌跡。 堂々とした姿を目の前に塔子は、彼も大人になったとは実感する。サッカーをする彼はいつでも世界一のサッカー馬鹿だが、ふとした瞬間に十年という年月は顔を覗かせる。 でも、する話はサッカーばかり。仕事の話もサッカーの話。塔子はサッカーの話がしたい。円堂と話したいのはその話ばかりなのだ。表向きの会談なんかは、サッカーが好き、その思いを互いに再認識して解決。レストランも政治家秘書もサッカー監督も関係なく、サッカー馬鹿二人でいたい。食事の味は覚えていない。広がる夜景も見えてはいない。もっとキラキラ光るものが塔子の目の前にはある。円堂の目。サッカーを愛する彼の目は輝いている。返事をしながら塔子の心は、あたしもだよ、と言う。あたしもサッカーが好き。サッカーが好きな円堂が好きだ。 「塔子、どうかしたか?」 「え…?」 「顔赤いぞ」 「シャンパンのせいじゃないか? …お前だって赤いよ、ほら」 塔子は夜景の上に鏡のように映った顔を指差す。 「そうかあ?」 円堂は笑うが、照れはしない。十年前だったらどうだろう。ちょっと照れて、人差し指で頬を掻くような仕草をしたかもしれない。 不意に会話が途切れる。塔子はグラスを取り上げ口をつける。円堂はまだ窓の外を見ている。視線は光の海を泳いでいた。 「観覧車…」 「うん?」 「ナニワランドで」 「ああ、あの時は大変だった」 「乗れなかったな」 エイリア事件の最中だった。基地を探してやって来たナニワランド。 「観覧車に乗ろうとしたら栗松の悲鳴が聞こえて、慌てて駆けつけたらリカたちと試合することになって」 円堂は詳しく覚えている。 「そうだったな…」 「忘れてたのか?」 「ううん。覚えてるよ!」 塔子もあの時のことは忘れていない。自分が覚えているように円堂も覚えているのが嬉しかったのだ。 「行こうか?」 円堂は立ち上がった。塔子もつられて立ち上がりながらも、戸惑ったままの顔を円堂に向ける。今度は腕を引いたのは円堂の方だった。 「騒がれるぞ? 円堂は有名人なんだから」 「塔子だって有名人だろ?」 肩をすくめて笑う。確かに有名ではある。元首相の娘として。おそらく二世議員になるだろうと目されているし、二世だろうが何だろうが塔子は塔子の思いを持ってその道を進むつもりだ。しかし今でも塔子の胸には、財前塔子としてあった十四のあの季節が静かに燃えている。雷門イレブンの一員としてサッカーをした日々が、あの情熱が今でも燃えて塔子を突き動かしている。確かにあの頃もテレビに映ったが、雷門イレブンの一員としての財前塔子を覚えている人間はどれだけいるだろうか。 観覧車の前にはカップルが列を成して順番を待っている。円堂と塔子の二人も並ぶ。男と女に見えているのだろうか、周りからは。 冷たい風が吹きつける。寒いな、と笑いかける円堂に塔子は笑顔を返す。塔子よりも背の高くなった円堂は風を遮るようにして立っている。たまたまかもしれない。優しさなら嬉しい。 ようやく巡ってきた順番。ゴンドラの中はあたたかく、思わず笑い、また顔を見合わせる。一足お先に、と地上を見下ろす。隣に座ることさえ自然で、二人の間では全く意識されない。塔子は心の中で思う。ああ、やっぱりあたしと円堂、なんだ。 さっきレストランから見下ろした夜景に比べれば位置が低いが、それでも見劣りはしない。徐々に高さが増し、見える風景は色を光の数を増す。円堂と反対側の窓から一つ下のゴンドラを見下ろした塔子は、そこに乗っているカップルがキスをしているのに気づいて視線を逸らす。 途端に心臓が高鳴る。隣の円堂を見ると、彼は視線に気づいてこちらを振り向く。 「どうした?」 「いや…、何でも」 「顔が赤い」 「シャンパンだよ。酔ったんだ!」 本当は酔いなんか回ってもいないし、アルコールだって吹っ飛んでいる。 「塔子?」 男と女、なんて気づきたくなかった。 「円堂…」 こんな思いをするくらいなら大人にならなくてもよかった。胸がふくらんで、ハタチを過ぎて、好きのもう一つの意味になんて気づきたくなかった。 「あたし、一生懸命な円堂が好きなんだ。ずっと好きだった」 十年前から好きだった。 「サッカーをするお前の隣にいたかったんだ」 あたしも一緒にボールを追いかけて、一生懸命に走って。 「今でもできるさ!」 円堂が肩を掴む。強い腕。自分より背が高く、がっしりした身体。靴のサイズが違うどころの話じゃないんだ、もう。塔子のヒールは硬い音を立てて床を蹴る。 こんなにも違ってしまった。十代の終わりに越えられない差は諦めたつもりだったのに。それでもやれることをやろうと、今でもSPフィクサーズとのサッカーは続けているし、仕事でも活かせるようにと。夢はスポーツ大臣、そして父を超えられるような総理大臣。 「サッカー…」 そうじゃない。 「円堂…」 泣きたくない。 強くなりたい。円堂の隣に自分で立っていられるように強くありたい。お願い、あたし。世界一のサッカー馬鹿で全てに一生懸命な円堂の隣に誇りを持って立てるあたしでいさせて。ここで涙は流さないで。 「好きだ」 心臓が燃えるように熱い。たった一つの想い。 女じゃなくて、財前塔子の十年の想いだから。 しかし堰を切ったように涙は溢れ出し、塔子の頬を濡らした。 「塔子、塔子」 円堂が呼び、袖口で涙を拭ってくれる。涙で声を詰まらせながらハンカチと言いかけ、自分のものをポケットから取り出し顔を覆った。 「塔子ってば」 塔子はただ首を振ったが、円堂は塔子の手からハンカチを取り上げ顔を拭った。 「化粧、取れちゃった…」 どうしようと言うような円堂の呟き。塔子は涙声で、ごめん…と呟く。 「どうして塔子が謝るんだよ」 「泣いた…」 「泣いたからなんだ! 俺だって泣くぞ」 「円堂の涙とは違う」 「違わないさ」 円堂は塔子に鼻をかませ、涙がボロボロと落ちるのは何とか止まった塔子の両手を握った。 「塔子も一生懸命な気持ちを持ってて泣いたんだろ」 「あたし…」 「俺も塔子が好きだよ」 「でも、あたしは…」 「塔子」 ぐっと握り締められた手が円堂の心臓の上に押しつけられる。 「俺はお前が好きだ!」 また涙が滲み、塔子は目の前の円堂の姿が霞んでくる。 本当に? どんな気持ちで好きだと言うのだろう。男と女、だなんて。あたしは一生懸命な円堂が好き。円堂も一生懸命なあたしを好きと言ってくれた。あたしはこれだけでいいはずなのに…! 「まだ信じられないのか? じゃあこうしよう。塔子、結婚しよう」 円堂の顔が近づく。滲んだ視界の中にはっきりと浮かび上がる。 「結婚して一生隣にいよう」 隣に。 「隣にいたい、あたし、円堂の隣に」 「ずっと一緒にいよう」 ゴンドラはいつの間にかピークを過ぎていて、少しずつ地上が近づいてきていた。円堂はようやく気づいて自分のハンカチを取り出し、またこぼれだした塔子の涙を拭った。 外に出た途端、冷たい風を二人正面から受ける。涙が乾き、息が急に熱くなる。 送ると言って円堂は、タクシーを探して歩き出す。塔子はその一歩後ろを歩く。 「塔子」 急に円堂が振り向いた。 「子どもは何人欲しい?」 「え…!?」 「サッカーチームできるくらい、とか?」 十年。大人の男の顔。円堂守の真剣な目が、次の瞬間ふとゆるみ破顔する。 「好きだって言っただろ。俺は本気だぞ!」 「あっ、あたしだって!」 塔子は大またに歩き一歩の距離を自分で縮め円堂の隣に立った。 「あたしも円堂が好きなんだ。あたしは十年前から言ってるんだからな!」 「じゃあ子どもは?」 「気が早い!」 「夢は持ちたいだろ?」 「子どもなら…円堂とあたしの子どもだよ! 元気な子!」 きっと宇宙一のサッカー馬鹿になる、そんな元気な子ども。 円堂は頷き、手を差し出した。塔子はその広い手を見つめた。円堂守の手。色々なものを守ってきた手。そこに自分の小さな手を重ねる。お互いの手を強く握る。 胸を張って、前を向いて。好きという気持ちは誇らしい。心臓を熱くさせる一つの想い。風も今は冷たくない。 円堂と塔子。 お互いの隣に立ち誇らしく前を向き、共に歩く。その手を離さない。
2010.12.30
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