FOOTBALL OF THE DEAD
【episode 01】 予選リーグ、イナズマジャパン対ジ・エンパイア戦。 試合は影山の罠により日程を繰り上げられ、オルフェウスと行動を共にしていた円堂、鬼道、佐久間、不動を覗くメンバー、FFI本部に軟禁されていた響木、久遠監督を除くメンバーがヤマネコスタジアムに集結していた。 監督、キャプテン不在の中、試合開始。前半は流れを掴むことができなかったイナズマジャパンだったが、後半に入り互角な戦いができるようになる。 ここから反撃だ、そう思われたまさにその時、異変は起きた。 突然の日食。スタジアムは真っ暗になり、試合は中断してしまう。 ようやくライトが照らし出したスタジアムは様相が一変していた。 スタンドを埋めていた観客はそのほとんどがゾンビ化しており、次々に人を襲い始めたのだ。 ピッチの上にいた選手達は辛うじてその感染を逃れていたが、観客席から溢れ出したゾンビが襲いかかる。 足を怪我していた栗松が逃げ遅れ今にも襲われそうになったが、そこへ響く「アイアンウォール!」という力強い声。 栗松の危機を救ったのはジ・エンパイアのキャプテン、先ほどまでイナズマジャパンにとって文字通り最大の壁であったテレスだった。 「今のうちに逃げるんだ!」 「ど、どうしてでヤンスか…?」 「お前達とはサッカーで決着をつけたいからな。メンバーが欠けると困るだろう?」 日食の薄赤い光の中、白い歯を光らせるアンデスの不落の要塞。 「グ…グラシアスでヤンス!」 「ふふ、アディオス」 しかしゾンビたちはアイアンウォールさえも突破しようとする。試合で消耗もしていたテレスはとうとう膝をついてしまうが、アイアンウォールから顔を出したゾンビを撃退したのは豪炎寺のファイアートルネードと土方のスーパーしこふみだった。 「アルゼンチンにばかりいい格好はさせないぜ?」 「困った時はお互い様だ!」 襲い来るゾンビの群れに雄々しく立ち塞がる炎のストライカーと巨躯のディフェンダー。 「豪炎寺!」 皆と一緒に逃げようとしていた風丸はくるりと踵を返し、豪炎寺に駆け寄る。 「俺も一緒に戦う」 「駄目だ!」 「どうして…」 「風丸、今はお前がキャプテンだ。お前が皆を連れて無事円堂と合流させなければいけない」 「豪炎寺…」 「さあ行け!」 再びファイアートルネードを放つ豪炎寺。 風丸は腕のキャプテンマークを握り締め、10番の背中に叫ぶ。 「お前達も必ず帰って来い! そしてもう一度、炎の風見鶏を打とう…」 豪炎寺は黙って親指を立てて見せた。 遠くから栗松や壁山が呼んでいる。風丸はチームを率いてスタジアムを脱出するべく駆け出した。 テレスが苦笑いをして振り返る。 「お前こそ格好つけすぎじゃないのか?」 「そんなことないさ…」 豪炎寺は言う。 「こいつらを全部倒したら、そうと認めてもいい」 「だな」 笑って土方もうなずく。 影に隠れていた太陽はじわじわと光を取り戻し、三人に向かい来るおぞましい化物の群れを白日の下にさらすのだった。 【episode 02】 船着場の事務所で自チームの対戦を見ていた円堂たち。しかし後半もいいところに差し掛かって突然、中継が途切れてしまう。同時に建物の外も真っ暗になり、慌てて窓辺に寄る五人。そして彼らもテレビの砂嵐をBGMに日食を目にした。 完全な日食からダイアモンドリングへ。日の光が少しずつ戻り始めたにも関わらず、建物内には異様な気配が漂っていた。 突然大きな音がし、建物内が停電。テレビが壊され、床に転がる。窓から射す淡い日の光に照らされて彼らが見たものは、どす黒く変色した肌に、目や口から血を流しながら襲い掛かる人の形をしたバケモノの姿だった。 取り敢えず敵意を持つ者を攻撃することに躊躇のない不動がジャッジスルー2でゾンビを撃退。ようやく深刻な状況を飲み込み、建物から逃げ出そうとする。 そこへ円堂の携帯電話へ着信が。FFI本部に軟禁されていた響木と久遠も脱出を試みていた。話を総合するに、謎のゾンビ化現象はライオコット島全域で同時多発的に起きているようだ。 島からの脱出を図るため彼らは飛行場で合流することに。 急いでその場を立ち去ろうとした円堂たちだが、そこで事務所の無線にヤマネコスタジアムを出発した連絡船からの通信が入った。 一方、連絡船に乗りヤマネコスタジアムを脱出する日本とアルゼンチンの選手たち。だが一部のアルゼンチン選手の様子がおかしい。ゾンビに襲撃された際最も近くにいたゴールキーパーとディフェンダーたちから咬み痕や掻き傷が見つかったのだ。海の上では何もすることができず、ゾンビ化を止めることもできない。 「みんな」 声をかけたのは出番が少なく影の薄かったゴールキーパーのホルヘ・オルデガだった。 「もう意識を保っていられない。でも、せっかくキャプテンが逃がしてくれたんだ。俺たちは人間のままでいたい。人でありたい」 ホルヘの言葉に、感染していた他ディフェンダーたちもうなずく。 「そこで…ちょっと海に飛び込んで、泳いでキャプテンを迎えに行かないか?」 船上にいた全員がハッとする。 「頭から水をかぶれば少しは正気に戻るかもしれないぞ?」 言いながらホルヘは笑おうとしているのだが、その顔は強張っていた。 だがディフェンダーたちもまた何とか笑おうとして、その言葉にうなずくのだった。 ジ・エンパイアの監督はそれを止めようとしたが、彼らの目に心の揺らぎを、そして避けられぬゾンビ化の運命を感じ取り、自分が引率すると言う。 感染者と監督は救命ボートに乗り込み、本島とは逆方向に漕ぎ出した。その姿をいつまでも見つめていたジ・エンパイアの選手たちはしかし、やがて聞こえてきた悲鳴に目を覆う。そんな彼らの肩を抱き、船の進む方向へ向かせたのは綱海だった。いつもなら何か言葉をかける綱海が、ただ黙って彼らの背に手を当てていた。 【episode 03】 オルフェウスのメンバーと連絡がつかないフィディオ。彼は一人ででもイタリアエリア合宿所に戻ると言う。同じくキャプテンという立場である円堂には、フィディオを止めることができなかった。日の照り始めた中、一人来た道を駆け戻るフィディオの後姿。 その後連絡船が到着し、円堂らはどう見ても数の少ないジ・エンパイアの選手と、豪炎寺、土方の欠けたジャパンメンバーを目にする。今にも崩れ落ちそうな風丸を支え、円堂は自分の腕にキャプテンマークを巻く。 「もうこれ以上、誰一人欠けさせない。皆で助かるんだ!」 しかし団体でぞろぞろ歩く彼らの姿はゾンビたちにとって格好の餌食だった。慌てて駆け出すも一人、また一人と脱落してゆく。 鬼道に手を引かれ走っていた春奈も転んでしまい、ゾンビたちの手が迫る。鬼道が助け出そうとするも間に合わない。 がコマのような回転でゾンビを蹴散らす影があった。木暮だった。旋風陣によってゾンビは一旦追い払われたものの倒すには至らない。春奈は木暮の手を引いて逃げようとするが、木暮はその手を振り払い「行けよ!」と叫ぶ。 「俺だってやれるんだ、大事な人を守るんだ!」 「木暮くん…!」 飛び掛ろうとするゾンビに向かってノートパソコンを投げつける春奈。 「余計なことすんなよ! 早く逃げろよ!」 「木暮君、私待ってるから。約束するから!」 木暮は振り返り春奈の目を見た。そして。 「信じるよ、春奈」 と言い残しゾンビに立ち向かってゆく。 春奈は再び鬼道に手を引かれ走り出す。しかしその目からは涙が止まらなかった。 【episode 04】 生き延びるために走る集団の前方をバスが塞ぐ。皆が驚いたが、それは選手たちを迎えに響木が運転してきたバスだった。 生き残った全員がそれに乗り込み、全速力で飛行場を目指す。久遠は響木と別れて一足先に飛行場に向かい、パイロットと飛行機を確保しているのだった。 自動車の速度にはゾンビたちも追いつけず、また単体では妨害することはできない。車内には安堵の空気が流れた。 だがもう少しで飛行場という街の外れにはバリケードが張られていた。それは生き残った人間が築こうとしたバリケードで、大量のゾンビが群れている。バスは何とかそれを突破しようとするが、ゾンビをタイヤに巻き込んで横転してしまう。 窓のすぐ外に迫るゾンビの群れ。円堂たちはバスに積まれていた消火器と発炎筒を使って道を拓き、一斉にバリケードを突破する。しかし響木だけはその場を動けなかった。衝撃で発作が起きたのだ。 響木の異変に気づいた飛鷹はその場に残り、何とか助け起こそうとする。 「馬鹿野郎、早く逃げないか!」 飛鷹を叱咤する響木。 しかし飛鷹は頑なに首を振り 「響木さんがいなければ俺はあの山の中でくたばってた。サッカーを楽しいと思うこともなかった。響木さんがいたから俺は今、ここにいるんです。俺の命、響木さんのために使わせてください」 襲いかかるゾンビを真空魔が切り裂く。 「本当に…馬鹿野郎め」 響木はサングラスに隠れた目を少しだけ拭い、若造のくせに、と笑った。 「俺が齢だからってなめんなよ飛鷹、まだまだ鈍っちゃいねえからな」 「響木さん…!」 飛鷹、と呼び響木はサングラスを外した。 「禁じ手、許すぞ」 「……!」 「久々に暴れてやるか」 「ウス!!」 二人はニヤリと笑ってうなずき合い、ゾンビの群れに立ち向かった。 【episode 05】 円堂たちが脱出したバリケードの穴からゾンビたちもわらわらと溢れ出し、彼らを追ってきた。栗松を背負って走る壁山は遅れがちになり、染岡はそんな二人を守るため何度もワイバーンクラッシュを放つ。 ――吹雪が隣にいれば…。 染岡はそう思わずにはいられなかった。二人揃えば最強だ。ワイバーンブリザードでゾンビなどまとめて倒すことができる。 そう思う染岡の脳裏には吹雪との出会いの時間から様々な思い出がよぎる。吹雪の能力を認められず反発していたあの頃。互いの力を認め合って連携技で点を入れたあの試合。そして自分がエイリア石の魅力に取り憑かれた時、日本代表から落ちた時に訪れた二度の別れ…。 今までは何度も再会してきた。しかし、染岡の足はもう限界だった。 ――もう会えねえのかな吹雪…。お前はここにいなくてよかったのかもしれねえ。俺はお前を守れねえ…。 襲いかかる牙に、最後の気力を振り絞って限界の足を動かす。 その瞬間、染岡の視界は光に包まれた。 そこはガソリンの匂いやゾンビの発する血や腐臭もない真っ白で静かな場所だった。遠くに見たことのある後ろ姿。吹雪だ。染岡は手を伸ばし吹雪の名を呼ぼうとするが声が出ない。 吹雪の目の前には砂嵐しか映さないテレビがあり、吹雪は両手を組み合わせそれに向かって必至に祈っている。 「染岡君…!」 吹雪の呼ぶその声が染岡には聞こえた。 「染岡君、頑張って、諦めないで、無事に帰ってきて…!」 次の瞬間、染岡の見ていた光の空間は消え去り目の前にはゾンビが迫っている。 「染岡さん!」 栗松と壁山の悲鳴。 しかしもう染岡の心には諦めはなかった。 「ドラゴンスレイヤー!」 ゾンビがまとめて三体ほど吹っ飛ばされる。栗松と壁山の目には染岡の背後に吹雪と、マフラーを巻いたあの懐かしいアツヤの姿が幻のように浮かび上がるのが見えた。 それも一瞬のこと、染岡が振り向くと幻も消え、三人は再び走って逃げ出す。 「染岡さん、さっき…」 壁山は言いかけたが、染岡は強くその肩を叩き、 「無駄なお喋りは後だ。とっととズラかろうぜ!」 と走る速度を上げた。 「ま、待ってくださいっス〜!」 その力強い姿に希望の湧いてきた壁山の足もまた速くなるのだった。 【episode 06】 飛行場にはいつでも離陸可能な飛行機と、その下に警備員の拳銃でゾンビを撃ち倒す久遠がいた。 続々と集まる生き残った選手たち。既にタラップなど使うことはできず貨物搬入の大きな鉄の扉から飛行機に乗り込む。 遅れているのは意外にも鬼道で、春奈を庇いながら走るためどうしてもスピードが遅くなってしまうのだ。 佐久間はそんな鬼道を心配して二人を守るようにして走っていたのだが、空港の建物からも溢れ出てきたゾンビの群れに、これ以上ちまちまと戦う訳にはいかないと悟る。 「鬼道! 振り向くな、走れ!」 佐久間は叫んだ。 そしてゾンビたちの前に立ちはだかり、独り言のように言った。 「鬼道、共に戦った日々を俺は忘れない。お前は帝国の、そして俺の誇りだった」 覚悟を決め、高らかに口笛を鳴らす。 「佐久間!」 それに気づいた鬼道はしかし佐久間の言葉を思い出し、春奈をかかえたまま飛行機に向かって一直線に走った。 ――そう、それでいい。 佐久間は心の中で微笑み、飛び出したペンギンたちの力を受けて渾身の一撃を放った。 「皇帝ペンギン1号!」 薙ぎ倒されるゾンビの群れ。しかし佐久間もその場に倒れてしまう。 「チッ、馬鹿が!」 そう言って踵を返したのは不動だった。 倒れた佐久間の身体を支え、引き摺るように走り出す。しかしゾンビはじわじわとその包囲網を縮め、飛行機は今にも飛び立とうとしていた。 「立向居!」 綱海が叫び、乗り込み口に立った立向居が合掌印を結ぶ。 「ムゲン・ザ・ハンドォォォ!」 幾本も伸びてくる腕が二人に向かって伸ばされるが、ギリギリ届かない。不動は舌打ちと共に顔を歪め、ハンドに向かって佐久間の身体を放り投げた。ハンドの一本がそれをキャッチした瞬間、飛行機は動き出す。 「不動!」 鬼道や円堂が叫ぶ。 その隣で「お父さん!」と叫ぶ姿があった。久遠冬花だった。 鉄の扉が閉まり飛行機は飛び立つ。 滑走路に残された不動はちょっと呆然として隣を見た。拳銃を握った久遠道也が隣に立っていた。 「…何で乗ってねえんだよ」 「選手全員に責任を持つのが監督の仕事だ」 相変わらず無表情のまま言う久遠を見て、不動は苦笑した。 「笑うのはここを脱出した後だ、不動」 「了解、監督」 空は不気味なほどの赤い色に染まり、ライオコット島には夕暮れが迫っていた。 【episode 07】 海沿いの見通しのよい道は走る車も散策する人影もなく、熟れたような夕日の下絶好のパノラマをたった二人の人間の前に繰り広げていた。 初めて使う拳銃で腕を痺れさせてしまった久遠は弾切れを機に重たい鉄の塊を投げ捨て、代わりにサッカーのために作られた街には珍しい金属バットを無人の店舗から拝借しガラガラと引き摺っていた。 飛行場には飛行機は残っていたが、もうパイロットがいなかった。この島から脱出しようと思えば、別の手段を考えなければならない。不動がヤマネコスタジアムへ向かう船着場は駄目だと報告すると、久遠は黙ってうなずき引き摺っていた金属バットを肩に担いだ。 「ビルと空港で少し島の状況を把握することができた。とにかく人のいる場所は駄目だ。ウイルスは物凄い勢いで蔓延している。おそらくどの港ももう使うことはできないだろう」 不動は今日何度目になるかわからない舌打ちをした。 「あーあ、あんなヤツ見捨てればよかったぜ。そうすれば一人の犠牲で二人助かったのによ」 「いや、やはり一人しか助からなかった。私が残ったからな」 「ふん…」 それに、と久遠は言葉を続けた。 「お前も佐久間を見捨てはしなかっただろう」 「どうだか?」 「こんな絶好のビューポイントに二人きりなんだ、嘘は吐くな」 「うわ、寒……」 ふざけるだけの心の余裕があることは、不動本人にも不思議だった。 これから先の生存を諦めていないのは本当だ。しかしあの場で飛行機に乗れていたならばと、既にどうにもならないifの世界を思う気持ちがないでもない。不動とて、もっと確実に生き延びたいからだ。 海沿いの長い道路はもともと人のいなかった場所だからか、感染者の気配も、またいた形跡もない。風景の穏やかさを現在の身の安全に直結させるのは無用心に過ぎるが、しかし久遠曰く絶好のビューポイントに誰の邪魔もなくこの男と二人でだらだら歩くのは、生命の危機にさえ目を瞑れば悪い状況ではなかった。 「…あいつら、帰ってくると思うか?」 人に頼る思考をあまりしない不動だが、先ほどから何度も巡ってくる期待ではあるので、とうとう口にする。 「あんたの娘も乗ってたし」 と付け加える。 「大きく分けて二つの状況が考えられる」 久遠は言った。 「この異変がライオコット島だけで起きているのか、それとも世界規模のものなのか。前者であれば飛行機の帰着により異変が外部世界に伝わる。この島から脱出した本人が来ることはないだろう。検疫の問題もあるからな。しかしこの島をただ隔離するだけということはないだろう。少なからず偵察はやってくる。あの現象がウイルス性のものだとしたらワクチンを作る必要がある、そのためにも」 言葉を切り、バットを担ぐ肩を変える。 「だが、もしこの異変が世界規模で起きていれば、それどころではないだろう」 飛行機の行く末に関しては言葉を続けなかった。そうだ。あの飛行機には娘も乗っているのだ。 「この島の中でも異変は同時多発的に起きた。関連は分からないが、あの日食の時間を契機に。…最悪の事態に備えて行動すべきだ」 「ま、助けが来るにしろ安全を確保しねーと始まらねえしな。…昨日まで安眠できたのが嘘みたいだぜ」 「安眠できたのか?」 不意に久遠が不動自身について質問をしたので、彼は面食らってしまった。そう、午後からの大騒ぎで忘れそうになっていたが、この島で影山を見つけ、チームKと対戦し、罠に嵌められて今日の試合に間に合わなかったという経緯があったのだ。 昨夜はどうだったろう 「今夜に比べればどんな夜も丸太みたいに眠ってるぜ?」 太陽は水平線に向かいじわじわと高度を落とす。日が落ちる前に安全な場所を確保する必要があった。 もともと人のいなかったような場所。 見通しがよく、退路を確保でき、よければ食料のあるような。 贅沢すぎるかと思ったが、それは絶景の中に美しいシルエットをあらわした。 「灯台か…」 そう呟く久遠の声には滅多に表れない安堵の情が覗いていた。 小さな窓を壊し中に入った不動が内側から鍵を開ける。灯台内部は想像していたより清潔だったが、それもこの島全体が最近になって建築されたものだということを考えれば当然かもしれない。 ぶ厚いコンクリートの壁とわずかな時間なりとも眠ることのできるような場所を確保できただけでもありがたいと思っていたから、奥に給湯室程度の小さなキッチンと仮眠室があるのを見つけた時は、流石に二人そろって溜息を吐いた。 流しの下に保存されていたのは奇跡的なことにカップラーメンだった。しかも日本製だ。相変わらずここも電気は途絶えたままだが、ガスは使えた。水はペットボトルに入ったものがたんまり。 二人はガスの青白い炎に照らされカップ麺をすすった。最初は舌に味が触れただけでびっくりした。それからじわじわ染みてくる懐かしい味に不動は、そうか生きているのか、と思った。途端に震えだした身体を久遠に知られたくなくって、そっと背中を向ける。 久遠が時計を見る。まだ合宿所の消灯時間にもならなかったが、不動にはもう真夜中ほどに思えた。壊した窓は板で塞いでしまったので、外の光が全く射さないのだ。 「ベッドはお前が使え」 仮眠室に入った途端久遠は立ち止まると、コンクリートの床に腰を下ろしドアにもたれかかった。 ベッドは一つ。毛布も一枚しかない。ライオコット島は南海の島だが、夜となればそれなりの気温だ。特に総コンクリートの灯台内では。 不動はベッド脇に佇み、少し考えてから、俺が困るから言うんだけど、と前置きをしてから言った。 「とにかくこの島から脱出するまで、俺はあんたと一緒に行動しなきゃなんねえし、あんたが身体悪くしたら俺の生き延びる確率も下がるんだよ」 暗闇の中で久遠はその言葉を聞いているようだった。 「だから……」 「…寂しいのか?」 「違う!」 不動が叫ぶと、感情の見えない声が暗闇の中から、冗談だ、悪い、と謝った。 それから不動を壁際に寄せ、ベッドに背中合わせに横になった。 不動は固く目を瞑った。早く眠ってしまいたかったが、眠りはなかなか訪れなかった。肉体的にはへとへと、頭も一日中フル回転しっぱなしでとっくにキャパシティオーバーしているはずなのに、瞑った瞼の裏がはっきり見えるかのように目は冴えていた。 不動、と小さな声で呼ばれた。 「起きているか、不動」 「…寝てる」 短く返すと久遠が寝返りをうち、自分の方を向いた。ごそごそと身体を動かす音。シーツや毛布の衣擦れの音。肩の少し下に厚い手のひらが置かれる。不動は息を詰める。 久遠はのせた手のひらでぽん、ぽん、とゆっくりリズムを取った。 「…子どもじゃねえよ」 不動が言うと、鼻で笑う声がする。 「お前、齢はいくつだ?」 「十四」 「子どもだ」 居心地が悪くなり不動はもぞもぞと身体を動かす。その時触れた久遠の身体の一部に不動は気づき、ぴたりと動くのを止めた。久遠は一拍休んだが、またぽん、ぽんと叩くのを再開する。 今度は不動が思い切って動き、ベッドの上で半身を起こした。久遠の手はぱたりとシーツの上に落ちる。 不動は息を吸い、心を決めて手を伸ばした。そこはさっき触れたとおりだった。 「…勃ってやんの」 そう声に出したが、久遠は怒り出すでもなくじっとしていた。 「何だっけ? 種の保存? 動物的本能?」 横になった久遠の耳元に唇を寄せ、わざと挑発的に声をひそめる。 「それともあんた、ホモなわけ?」 …ふっ、と笑う声が耳を掠めた。その声は余裕で、不動の予想外のものだった。 「怖いのか?」 「何が」 しかし伸びてきた腕が自分を抱き寄せ、唇が重なるのを、不動は抵抗せずされるがままに委ねた。 久遠のキスは自分がキスと考えていたものとは違って、唇を軽く噛まれたり相手の舌が侵入してきたりと不動の知識のステップを段飛ばししていたが、とにかく不動は久遠に抱きついた腕を離さず、久遠が教えるとおりにそのキスを繰り返した。 服を脱がされた胸や脇腹へのキスは汚いのではないかと、無意識に手が押し返そうとしたが、軽く歯を立てられ「不動」と掠れ声で呼ばれるともうどうでもよくなって、知らない感覚をもっと引きずり出されることに夢中になる。 「なあ、あんた」 不動は熱気でわずかにだるい、そしてわずかに震える声で尋ねる。 「あんた、本当に久遠監督?」 「…それ以外の誰だと思う」 「だって、あいついつも無表情で、冷静で…。あんた、まるで違う」 「ここがベンチなら、私も監督らしい行動を取る」 「なに…? またスタメン落ち?」 「少し黙れ」 また唇が塞がれて厚い手が、無骨と思われた手がまるで丁寧な仕草で肌を撫でる。 長いキスが終わると、朦朧とする不動の頭上で息を吐く気配。さっきのように相手の下半身に手を伸ばすとなかなか立派なことになっている。しかし不動は全く予測もしなかった事態の行き着く先に笑みさえこぼした。そして、もともと俺はこいつが好きだったんだ、と心の中でうなずいた。だってまず俺がベッドに誘ったんだからな。 久遠が枕の下に手を伸ばし目当てのものを見つける。名も知らぬ灯台守に乾杯。コンドームをつけるところを見てみたかったとさえ、好奇心半分に不動は思った。 さっきから何度も尻を撫で回していた手がわずかにひやりとしている。 「…あんたの手、べとべとしてる?」 「痛い思いをさせたくない」 「無理じゃねーの?」 不動は笑う。 「童貞かつ処女相手に何言ってんだよ」 「だからこそだ」 初めてがこんなオッサン相手なんだ、と久遠は低く言う。 「しかも弱っているところにつけ込んだ罪悪感?」 「…そうだ」 「そういうの捨てろよな」 本気の怒りを込めて不動は言った。 「しろよ。してくれよ」 それからもう一度キス。覚えたてのそれで奪いあうように、やがて分け与え分かち合うように。 温度が溶けて、感覚が溶けて、不動の頭の中では言葉も溶けて、とにかくもうしてほしいという久遠を求める思いが甘く掠れる声になって漏れる。 久遠は不動のこめかみにキスをしてから侵入した。 【episode 08】 灯台の上に上ると朝日が島を照らし出す様子が見えた。中央の火山。それを取り囲む深い緑の木々。昨日のことが嘘でない証拠は、街から上がる何本もの煙。 「火事だな」 隣の久遠が低い声で囁いた。不動はもう一度双眼鏡に目を当てる。ちらちらと炎の端が見える。昨日から燃え続けているのだろうか。 毛布を巻きつけた不動の身体を、久遠の手がぽんと叩いた。 「朝食を作る」 不動はうなずき、もうしばらく周囲の見張りを続ける。海辺は静かで、不動は昨日久遠が言った隔離という言葉を思い出す。混乱と血みどろの現実からの隔離。 双眼鏡を反対側に向ける。その先は森が少なくなり岩場と崖がそびえている。朝から物寂しい景色だった。不動は双眼鏡を首から下げ、毛布を身体に巻きつけ直す。 螺旋階段から下を見下ろすと、久遠がキッチンから出てコーヒーの入ったマグカップを上げてみせた。 静かな朝食。今日これから起こる全てのこととは裏腹に。嵐の前の静けさという言葉もよぎる。しかし二人はその不安を口にすることなく食事を終えコーヒーで身体をあたためると、灯台内部の探索にかかった。 隅に積み重ねられたダンボールを開けると、中はほとんど灯台建設に関わる図面や資料。ばさばさと、途中から半ば自棄の遊びのように書類を散らかしていた不動だが、久遠はその中から一枚を取り上げ、こっちに来い、と不動を誘った。 壁に貼られたライオコット島地図と手にした紙を並べる。 「違いが分かるか?」 不動は黙って二枚を見比べ、にやりと笑う。 「簡単な間違い探しだ」 壁の地図の街部分を指差す。 「こことここと、ここもだろ? 街がない。こっちはサッカーアイランドに作り変えられる前の地図だ」 「他に?」 少し考えた不動は指先で古い地図を辿った。昨日自分達が歩いた海岸沿いの道路。それがこの地図にも書かれている。それをずっと辿った先には断崖と、その先に。 「…港がある」 新しい地図には点でしか記されていない。 開発の際に資材を搬入したのか。その後、大きな港ができたからもう使われなくなったのか。 「行くまでが最悪だな」 目は笑いながらも、不動はわざと唇を歪めた。 「一本道。上は崖。ゾンビどもが源義経みたいな真似しやがったら…」 「義経? 鵯越の逆落としのことか」 「知らねーけど」 「ともあれ、ここより他に案がない」 「船がある保障は?」 いつも一か八かに賭ける発言をしない男は、ただ黙った。 「…行ってみなくちゃ分かんねえ。やってみなくちゃ分かんねえ。なーんか、キャプテンが言いそうな言葉だよなあ」 不動は苦笑し、台所に戻るとナップザックの中に水やクッキーフレーバーを詰め込んだ。久遠も黙ってその後に続き、同じように準備をした。 途中まであまりに静かだったので、本当にこのまま無事に着いてしまうのかと淡い希望を抱いてしまった。 最初の異変は鼠の大群。二人の背後から波のように押し寄せた。襲われるのかと思ったがそうではない。彼らは逃げていたのだ。島の人間を食い尽くし、更なる獲物を求めてとうとう人のいない場所にも出てきた。 不動と久遠も走ったが、何せウイルスに感染し肉体の死んだ人間には疲労がない。不動は悪態を吐く。 「ったく、ずりーよな。なんだっつうのあのスタミナ」 「無駄口を叩かず走れ!」 崖沿いの道をただひたすら走る。 曲がりくねったカーブの先にはコンクリートを打たれた港の姿が見えた。船も。二人は顔を見合わせ、転がるように坂を下りた。 船を発進させ、背後の港を振り返った不動は晴れ渡った空と海に響く大きな笑い声を上げた。 「ざまあみろ!」 港からはゾンビが何体も海に飛び込み、沈んでゆく。舵を取る久遠がちょっと振り返り右手を差し出す。床に腰を下ろしていた不動はその手を見上げ、笑って打ち合わせた。 その時、大きな音が船上に響いた。 【episode 09】 甲板を破ってゾンビが這い出す。船の持ち主だったのだろうゾンビだけではない。船倉の魚を漁っていたゾンビがわらわらと出てきたのだ。二人は何とか応戦するが、武器らしい武器もなく、揺れる船の上では必殺技を繰り出すのも難しい。 「不動!」 久遠が叫ぶ。 「ロスタイムだと思って三分だけ生き残れ」 「…っ、何するつもりだよ!」 わずかに振り返った顔でニヤリと笑うと、久遠は船倉に飛び込む。不動は自分の身を守りつつ、追って船倉に入ろうとするゾンビを何とか妨害しようとする。しかしどうしても一体が船倉に潜ってしまった。 「久遠……!」 不動が叫んだ瞬間、船が大きく揺れ衝撃と共に炎と爆音が襲う。 半壊する船。不動もゾンビも海に投げ出される。ゾンビは泳ぐことができず海に沈んでゆく。不動は何とか泳ごうとするが、足に激しい痛みがある。さっきの爆発で軸足をやられたのだ。何とか木切れに掴まり久遠を探す。久遠は少し離れたところで波間に沈みそうになっていた。 何とかそこまで泳ぎ着き久遠を木切れに掴まらせる。しかし久遠は何故かその手を離そうとする。 「何やってんだよ、死にてえのか!」 「不動…」 唇の色をなくした久遠がじっと不動の目を見つめた。 「お前に伝えたいことがある。信じてほしい」 「何を…」 「私はお前を愛していた、本当に」 「よせよ…まるでお別れするみてーじゃねーか…」 「最後の頼みだ。冬花を…頼む……」 「久遠!」 離そうとした手を不動は掴むが、久遠は力を振り絞り悲しげにそれを払い、自分の首筋を見せた。そこにはゾンビのつけた深い傷があった。 「愛しているよ、不動…」 不動の伸ばした手は虚しく空を掻き、久遠の身体は海の底へと沈んでいった。 「久遠…久遠――!!」 そして不動は初めて涙を流した。 【episode 10】 ライオコット島の悲劇から十年、再び開かれたFFIの地にヒデ・ナカタはイタリア、オルフェウスの監督として訪れていた。 十年前の悲劇で中断されなければ自分が出場することもできたFFIに、今度は監督として参加することとなったのだ。 今回もFFIのために作られた街の中でナカタは特徴のある姿を見せる。顔を半分前髪で隠し、杖をつく手つきは慣れているものの引き摺る左足は痛々しい。 「失礼」 ナカタは声をかけた。 「あなたが日本の監督の?」 声をかけられた男は振り返る。その際吹いた風に、髪に隠れた火傷の痕がちらりと見えた。 「…お前は?」 男は低く尋ねる。 「オルフェウスの監督、ヒデ・ナカタです」 右手を差し出すと、それに対しては軽く握手を返す。 「アジア予選は見せてもらいました。世界で活躍する日本人選手と言えばゴッドハンドの円堂や、天才司令塔と名高い鬼道が有名だ。特に彼らは伝説のイナズマイレブンの一人。でも何故でしょうね、十年前のFFIに出場したイナズマジャパンのサッカーを誰よりも色濃く受け継いでいるのはあなたのような気がする」 男は黙って踵を返す。 「それはあなたの名前に関係があるのですか? 久遠明王監督」 しかし男は振り返らず、杖をつき左足を引き摺りながら街の人ごみに消えていった。 「どうしたの、あなた」 買い物の紙袋を抱えた冬花が駆け寄る。明王はかすかに微笑み「何でもねえよ」と返した。 冬花は明王の隣にそっと寄り添い、二人は歩き出す。 今夜は前夜祭だ。各国の代表と顔を合わせることになる。 絶対優勝しましょうね、と冬花が囁いた。 「勿論だ」 明王は答える。 空はどこまでも青く澄み渡り、風が遠くから潮騒を運んできたが、それも街角でサッカーをする少年たちの歓声に掻き消された。
2010.11.25
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