冬、風の中に手のぬくもりを







 久しぶりに日曜、家族揃って家にいると思ったら、布団を干し終えた頃久遠に電話がかかってきて、サッカー協会から呼び出されたらしい、出かけてしまった。
 練習は休みなのだが身体を動かさないのが性に合わなくて明王は走りこみに出かける。冬花は縁側に腰かけていた。
 傾きかけた日に背を押されるように帰って汗を流し、たっぷりと日の光を吸った布団を取り入れるが、冬花はまだ縁側に座っている。
「手伝えよ」
 軽くうつむき眠っているようにも見えたので声をかける。顔を上げた冬花は確かにうたた寝をしていたらしかった。眩しそうな顔で明王を見た。
「あ、お布団」
 起き抜けのぼんやりした声で呟く。毒気を抜かれてしまい、明王はさっきの言葉とは反対に、いいよもう終わる、と応えた。
 最後の一枚を取り込み縁側に腰かけると、冬花が何をしているのか分かった。スカートから伸びた真っ直ぐな両足の先に淡いピンク色の毛糸が輪を作っている。手元で毛糸玉を作っているのだ。
 明王は靴を脱ぎ縁側の上に胡坐をかいた。
「これね」
 冬花は言った。
「私のおくるみだったんだって。この家にとってあったの」
 幼いころ両親を亡くした冬花の赤ん坊の時のものが取ってあるということは、久遠と、明王の会ったことのない久遠の家族が冬花をどのように受け入れたか分かるような気がした。
「折角残ってたのに、ほどいたのか?」
「うん。柔軟剤を使って洗って、今日のお日様で干したらふかふか。前より、ちょっと色が薄くなっちゃったけど」
 ちょい、と爪先が動き両足に巻きつけた毛糸が一巻きほどける。冬花はそれを手元の玉に巻きつける。
 明王は冬花の白い裸足に両手を触れた。冬花は黙って顔を上げた。明王の手はするりと爪先から毛糸の輪を抜き取る。
「…こうだろ?」
「うん」
 時間は三時を過ぎたばかりだったが、十一月の日はもう淡く橙色を溶かしていた。
「…ねえ、明王君」
「ん?」
「今度、一緒にお買い物」
 明王が顔を上げると、冬花は手元の毛糸玉を巻くのを見つめたまま「行こう」と間を置いて言葉を完結させた。
「何の買い物?」
「お父さんのクリスマスプレゼント」
「まだ気が早いんじゃねーの?」
「うん、だから来月」
 明王の頭には、冬花と同じ学校に通っている円堂や、先日冬花を映画に乗せて行った二輪の音が浮かんだ。軽く俯いた冬花の顔は笑っておらず、伸ばした足先は内股に親指同士を重ねていた。
「…いいぜ」
「じゃあ、来月の二十四日。学校が終わったら」
 確かに終業式の日ではある。二人とも学校は街中にあるし、久遠に黙って二人で家を出るよりもその方が都合がいい。
「何買う?」
「決めてない」
「そりゃそうだな」
「当日まで決めないの」
 冬花は手を止め、顔を上げて明王を見た。
「二人でお昼を食べて、それからゆっくり探すの」
 風のない日で、日の射す縁側はぽかぽかとあたたまっていた。取り込んで座敷に積み重ねた布団も、冬花と明王の手にある毛糸も柔らかな熱気をはらんでいた。
 明王が胡坐を崩す。冬花の首が揺れ、髪がさらりと流れる。明王は尻で後ろにずり退がり冬花の伸ばした足の裏と、自分の足の裏を合わせて座った。手から毛糸が一巻き、二巻きとほどけた。
「足、大きいね」
 たわんだ毛糸を手繰り寄せ、冬花は合わさった足の裏をゆらゆらと揺らす。
「足、広げると見えるぞ」
 明王が笑うと
「見せません」
 と冬花も悪戯っぽく笑いスカートを押さえた。


 大きな耳かきのようなもの、と思ったらそれはかぎ針で、冬花はあの毛糸を使ってかぎ編みをするらしい。長い紐のようなものができたところで、冬花はコタツ越しに急に
「お父さん、明王君を押さえて」
 と言った。
 久遠と明王は一瞬きょとんとしたが、判断の早かった久遠が難なく明王を捕まえ羽交い絞めにする。
「これでいいか?」
「てっめえ!」
「ナイスお父さん、やりすぎよ」
 冬花は笑い、明王の頭に編んだばかりの紐を一周させた。
「自分の頭に合わせて編んでたんだけど、うん、これくらいかな」
 もういいわ、と言われても久遠は明王を離さず後ろからどてらを被せ「二人羽織り」と無表情で言う。しまいには明王から久遠の顎に頭突きした。
 冬花は暇さえあれば編み物をし、明王は極力知らないふりをしたが、いつの間にか彼女が編んでいるものは輪状のものではなく、円の中心から編んでいくものに変わっていてアレはやめたのか、と思う。
 十二月二十四日、約束どおり二人は学校がひけると待ち合わせのスターバックスで軽い昼食を取り、久遠へのクリスマスプレゼントを探すため歩き出した。
「アレでもよかったんじゃねえの?」
 明王が言うと、アレって?、と冬花は聞き返す。
「手編みのアレ」
「だってバレちゃうもの。秘密のプレゼントにならないわ。それに私と明王君のプレゼントだからいいの」
「まあな…」
 ウィンドウに飾られているのはどれも高くて手は出せない。たしかにコートは久遠に似合うだろうけれども。
 手編みの話をしたせいかマフラー、手袋と見て回り、疲れてしまったのでギフトセットの入浴剤詰め合わせと明王が言い出したので、冬花は笑った。明王としては冗談のつもりではなかったのだが。
 革の手袋と決まったのは表のイルミネーションも明るく輝きだした頃だ。
「サイズは…」
 冬花は明王の手を取り、手のひらを合わせる。
「お父さんの方が大きいよね」
「これくらいじゃね?」
 明王は一つ取り上げ自分の手にはめてみる。その手にはまだ少し余った。
「明王君、お父さんの手のサイズ、分かるのね」
「お前も俺の頭のサイズ知ってるだろ」
「足のサイズも知ってるわ」
 革手袋。色は黒に近い暗い茶色。
 クリスマスのラッピングは大仰なほどで、包装された上袋に詰められ、それをまた持ち運び用の紙袋に入れられる。
 明王はすっかり買い物疲れをしてしまい、時間がやや遅くなってはいたがコーヒーを飲んで帰ることにした。久遠に電話すると
「なるべく早く帰ってきなさい」
 と「なるべく」を強調した返事だった。
 キャラメルラテの甘そうな泡を唇につけ、冬花は満足そうだ。明王は、手袋なんて最初に見たじゃねえかと思いつつも、冬花が笑顔なので文句が言えない。滅多に頼まないエスプレッソを何の気の迷いか飲んでしまい、苦さに顔をしかめる。結局、ミルクを足す。
 明王君、と冬花が話しかけた。
「プレゼント、欲しい?」
「は?」
 冬花は鞄から包みを取り出す。
「クリスマスは明日だけど。はい」
「あ…」
 ありがとう、と口の中でぼそぼそ言い明王は目を逸らし気味にそれを受け取る。冬花の目が期待をもって見て来るので不承不承に包みを開けた。
 淡いピンク色のニット帽。
「…マジか」
 耳あてもついている。てっぺんにはポンポンものっている。
 冬花は自分の耳を指差し、言った。
「これで、冷たくないでしょ?」
 冬花の滑らかなそれ。自分の左耳に空いた三つのピアス。
「寒いのくらい慣れてんだよ」
 明王は帽子を両手で掴むと一気にかぶった。
「…お店出てからでもよかったのに」
「変わんねーよ」
 そう応えると冬花はまた鞄をごそごそ探り、もう一つニット帽を取り出した。
「毛糸、半分こしたの」
 冬花の持つそれは淡い紫色が半分混じっている。
「そしたら足りなくなっちゃったから、ほら、明王君のは白を混ぜたのよ」
 冬花も帽子を被り、ラテの残りに口をつけた。
 外の暗くなったウィンドウには並んで座る二人の姿が映った。淡いピンク色に、白と、淡い紫と。てっぺんにはポンポンがのっていて、耳あてまでついていて。
 冬花も払うと言うのを、明王がキャラメルラテの分も支払い外に出る。いつも感じる冬の冷たさに違う匂いがまじる。
「冬花」
 ぼそりと明王は呼んだ。
「何か欲しいものはないのかよ」
「私?」
 冬花は並んで歩く明王との距離を大きく一歩縮めるとぎゅっと腕を組んだ。
「なるべく、早く帰ろ」
「…おう」
 帰ればおそらく久遠が、彼に似つかわしくないクリスマスケーキやシャンパンを用意しているはずで、明王も冬花もほんの少しだけそのご相伴にあずかるはずだ。
 バスが今にも走り出しそうに待っている。二人は手を繋いだままバス停に向かって走る。
 耳元があたたかい。
 何とか発車に間に合い一番後ろの席に二人で倒れこむようにして座った明王は、腕にしがみつく冬花の耳あてに隠れた付近を見下ろし、傷一つない耳に自分が一つだけ穴を空けるという一瞬の夢想に微笑んだ。



2010.11.5