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この夜に歌を、この明かりに愛を
車から降りると心地よい夜風が頬を撫でる。身体に残った火照りが鼻先をかすめ夜空に散る。界隈にも熱気の余韻が残り、時々酔っぱらいの歌声が響く。しかし今夜は誰もそれに苦情を訴えない。 カップ戦決勝の夜だ。 街中が見守った優勝の夜だ。 喜びが、溢れているからだ。 運転席に座るチームメイトは、いつも不動の足がわりになってくれている例のサイドバックで今日は前半出場。不動とは入れ替わりだった。 彼は身を乗り出し、窓から腕を出した。 「お疲れ、ヒーロー」 「おう」 不動は手のひらを打ち合わせる。サイドバックは強く打たれた手の痺れにぐぐっと下を向いたが、笑っているのだった。優勝の決まった瞬間から、彼は笑いが止まらなかった。 結局またぶふふっと笑いだし、チクショー格好いいぞ、フドー!と手を叩き返す。 「いてーなこの野郎」 「嘘つけ! 痛くないくせに!」 「痛えよ。こちとら接触してんだよ」 「色男め!」 お気に入りのロックを流しながら走り去っていく車のテールライトに軽く手を振り、不動はフラットを見上げる。四階に明々と明かりがついている。顔が自然と笑うのが分かったので頬を叩いたら、腫れたところが痛んで少し後悔。そこで、もう笑みを我慢せず階段を上った。 玄関のドアの前に立つ。深呼吸を一つ。 ドアノブを掴んで、開く。 「ただいま」 明かりと、暖かな香り。 「おかえりなさい」 エプロン姿の冬花が出迎えた。 冬花は手を伸ばし、玄関に足を踏み入れた不動の肩を軽く抱き寄せると、額と、腫れた頬にキスを落とす。 「格好良かったわ、明王君」 さんきゅ、と唇の端にキスを返すと冬花は一度不動の身体を抱きしめ、それから離した。 「救急箱、いる?」 「大したことねーよ」 「明王」 後ろから顔を出したのは久遠だ。 「おかえり」 冬花は後ろを振り向き、じゃあ冷やすものを、と廊下の向こうに駆けてゆく。 「優勝、おめでとう」 低い声音が柔らかく響いた。 「素晴らしいゴールだった」 「本当か、監督サン」 「サッカーに関して嘘もお世辞も言わん。それにお前も手応えがあっただろう?」 たまらず、不動はジャンプして久遠に抱きつき、当ッたり前じゃねえか!と声を上げた。 「見たか? 見たかよ!?」 「見たに決まっている」 「俺が、決勝ゴールだぞ!」 その叫びが上下の階にも響いたのか、また歌が響き出す。 勝利を祝う歌だ。 「道也…!」 疲れ切った自分の身体だが、久遠の力強い腕がしっかりと抱いている。不動は、自分を見つめる久遠の視線をしっかり見つめ返し、言った。 「あれが、俺のサッカーだ」 「ああ」 「イカすだろ」 「最高だった」 キスをし、抱きしめる久遠を強く抱き返す。 不動は久遠に抱きかかえられたままダイニングに向かった。 待っていたのは明かりと、エールと、あたたかな料理と、冬花が差し出してくれた冷えた濡れタオル。 タオルを頬に当てたまま乾杯する。テレビを引きずってきてニュースで流れる試合をもう一度見直しながら、また歓声を上げる。 自分のゴールシーンを三つくらいの角度から見直すことになったが、不動には照れも恥ずかしさもない。 これが不動明王のサッカーだ。 胸を張って言える。 「冬花」 振り向いた冬花とグラスを触れ合わせる。 「ありがとよ」 冬花は優しく微笑み、乾杯する。 久遠もこちらを向いた。 中身の乾されたグラスに、久遠は黙ってエールを注いだ。不動もまた、久遠のグラスに注ぎ足した。 「お前のゴールに」 久遠が囁き、グラス同士が鳴る。 サッカーを始めてもう何年になるだろう。就学したころからボールを蹴っていた。もう人生の半分以上付き合っている。独りぼっちのリフティングも、孤独なプレーも、とうとうこの瞬間に繋がった。 それを途絶えさせずにいられたのは。 自分のサッカーを見出す場を与えてくれたのは。 あのフィールドに立たせてくれたのは。 冬花が窓を開けに立つ。 不動はテーブルの上に身を乗り出し、久遠の唇に軽くキスをした。 心地よい夜風に乗って、街中のあちこちに響く歌声が流れてくる。 ゴールに、勝利に、乾杯を。惜しみない拍手を。溢れてやまない喜びを。 そして明日もサッカーの続く日々に、限りない感謝を。 「乾杯」 もう一度グラス同士を触れ合わせ、エールを飲み干した。 窓辺で、流れてくる歌に合わせて冬花が歌い出す。 久遠もそれに合わせる。 不動はさすがに笑って照れたが、久遠が抱き寄せ促すので一緒に歌った。 フラットの合唱、ロンドンの大合唱。 五月の宵風は歌声を乗せて優しく街中を吹き抜ける。
2011.3.13
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