out of duvet







 不動は声を殺すことに長けている。
 耳の後ろから指でなぞり唇を触れさせても、そこが丁寧に洗われているのが分かる。汗の匂いに混じって、まだシャワーの水の匂いがした。キスが落ちても不動は反応を見せなかった。見せないよう抑えることに、実に長けていた。
 例えば練習、試合時、集団の一員として存在する時は決して無感情ではなく、寧ろ周りの知るとおりだ。怒り、焦り、不快といった攻撃的感情を隠すことはしない。その表出の仕方から増幅して見えると言っていい。皮肉や嫌味という言葉が加わり、不動の感情は周囲を刺激する。まあ、悪しきにつけ。
 対して頑ななまでに秘匿されるものがある。痛み。恐れ。特に一対一の状況ではそれを全く見せない。苦痛の呻きも、恐怖の息も、不動は完璧なまでに殺そうとする。弱味を見せない彼の態度は、これまで伝え聞いた話や資料からも納得できるものだ。
 久遠は、彼の髪の生え際から後頭部を手のひらで触れる。弱点と言えばこの上なく晒されている。皮膚一枚を隔てれば頭蓋骨がそこにある。その曲線が、まだまだ少年の細い首に落ちる。人の頭蓋骨など審美にかけたことはなかったが、造形の良い、と久遠は手のひらをどけて唇で触れた。執着するものは娘とサッカーの他、多くないと自負してきたが、誘い込まれるものがある。形の良いもの、美しいものを好むのが人間だとしても、まさか自分がそれを不動に見出すとは思わなかった。
 首筋に歯を立てる。不動は隠そうとするが、身体が反応するのは直に触れた手で分かる。神経に痺れが走り、筋肉が震える。その微細な反応。
 が、隠しているのは最初だけで、いざ行為に至ろうとすれば不動は快楽を得ていることを隠さない。ただその表出は、あの攻撃的な感情の発露と一緒で方向を歪められ、嘲笑と軽蔑を含んだ視線や笑いとなる。不動の素直な笑いを、久遠はほとんど見たことがない。
 今夜が、このじゃれあいで済ませるつもりがないことを、久遠は自分が服を脱ぐことで示した。不動は振り向き、嘲弄の笑みを浮かべる。それは久遠が不動から受けるべき相応の罰だった。これが本来あらざるべき関係ならば。
 近づいたのは不動が先。不動がこの部屋の扉をノックし、入り込んだ。しかし関係の契機は自分。その時に何を考えていたか、どんな感情であったかを誰かに説明するつもりはない。結局、久遠は至るところまで至り、自分の意図と意識をもって不動と関係を結んだことに言い訳は利かないからだ。
 腰から下に触れると不動が息を熱い吐く。わざと上げようとする声を口で塞いでやって以来、不動はほとんど声を漏らさない。その術に長けてもいるのだろう。元より声を出す性質でもないように久遠には思える。平生から彼の発する言葉や笑いは意図に基づいている。意図の外で声を出すのは、不動に染みついた習性の外だ。
 それでもセックスのために必要な箇所に手をやれば、一瞬喉で声を殺すのが聞こえる。
 この行為が不動に快楽を与えるのも嘘ではないらしいが、同時に受け入れることの恐怖も根強く持っているように見える。言葉として聞いたことはない。しかし不動にとって、久遠は初めての相手ではないのだ。彼には経験があった。だから誘いさえして関係を受け入れた。感情はともかく、自分の身体ならば手段として用いることができる、不動という少年は。
 彼が初めてではないと分かっても久遠は手を止めなかった。そんな久遠を、不動は歪んだ笑いをもって見上げたが、両目がわずかに潤んでいることに自覚はあったのだろうか。
 腰に吸いつき、不動が息を乱すのを聞く。かつてどんな相手と、どのような関係を持ったかを聞こうとは思わない。それは今の不動の態度を見ていれば推して知ることができる。だから、不動は背中へのキスや愛撫に戸惑ったような反応を見せる。こういうことを知らないのだろう。
 セックスのために何が必要なのか分かっていない。無理もない。十四では、本来知りようもない。身体さえあれば良いというものではないのだと、久遠は腕の下の細い身体を睨みつける。
 入れるぞ、と耳元で囁くと不動は、いちいち言うな、と敵意さえ込めた目で久遠を見た。久遠はその目を見つめながら不動の中に深く沈みこんだ。
 その目。ゆっくりと沈められる痛みに抗うように見開かれ、黒目の奥が感情に揺らいでいる。眉が寄せられ、その表情は助けを求めているようにも見える。不動にも意地があり視線を逸らすものかとしていたが、やがてそれも伏せられ、大きく開いた口から泣き出すような息が吐き出された。
 子供の身体をこんなに柔らかく脆いと思ったことはない。思春期の娘がいつも側にいるにも関わらずだ。大人と子供。監督と選手。悪い条件は揃いに揃っていたが、久遠は理性じみた思考さえ持って不動を抱いた。今まで不動が触れられたことのないようなやり方で、されたことのないようなキスで。
「あっ」
 ある瞬間、不動の口から声が漏れ、それは動きに合わせ連続して、あっあっ、と繋がった。手指や交接部の感覚に集中していた久遠は驚いて不動の顔を見る。当の不動は自分が声を出したことに呆然としているようで、子供らしい瞳で久遠を見返していた。
 また動いてみせると、細い声が不動の口をつく。
「いいのか…?」
「……知るかっ」
 しまったこのやり方では不動の経験済みだ、と久遠は内心舌打ちをし、不動の額にキスをすると続きを再開する。
 次からは不動も声を殺すことに意識をやり、声は歯の隙間から息と共に漏れる程度になる。
「…んっ」
 ぎゅっと閉じた目が開き、視線が彷徨う。久遠の顔を見たくないのか、目線は天井を定まらず眺める。その表情は存外、穏やかだった。
 不動が手を伸ばした。でたらめに伸ばした手は最初、久遠の耳に触れた。そこから始まる顎の骨のラインをなぞるように不動の手は移動する。
「ヒゲ」
「…何だ?」
 答えず、不動は切なげに目を閉じると腕を久遠の首と背中にまわした。唇がわずかに開き、浅い息を吐き続けている。それが濡れているのが、暗順応した薄青い景色の中に分かった。
 キスを、不動は受け入れた。久遠が足を抱え上げると、また押し殺した声が耳を掠めた。

 小さなオレンジ色の明かりの下、輪郭の曖昧な細い身体が浮かび上がる。
 ベッドの上で足をばたつかせ、これから部屋に戻るのが億劫だと言う不動の上に、久遠は布団をかけてやった。
「あんたは?」
「床で寝てやる。選手の身体のためだ」
 おかしくねえか、と不動が呟くので見ると、理解できないものを見るような顔をしている。
「…何もおかしいことはない」
 追い出されたことがあるのか、とは言えなかった。
 不動は、喉が渇いた、という不満は遠慮せず口に出した。アイスキューブを一つ口に含ませてやると、無言で舐めている。久遠は何の気なしに、床に座ったまま不動の頭を撫でてやり、不動が驚くので、しまった自分らしからぬことをしたと後悔した。
 しかし不動はそれを振り払わなかった。目を瞑り、表情を消して、撫でる手を受け入れていた。彼が隠しているものが喜びか戸惑いか、久遠には判じかねた。手を退けるタイミングも逸した。
 がりっ、と音がする。不動が氷を噛み砕いた音だ。不意に首が伸びてきて、少し的の外れたキスが唇の端にされる。冷たい舌がぺろりと舐める。
 不動は何も言わず、布団を被ると久遠に背を向けた。久遠はしばらく考え込んだが、明かりを消して不動の隣にもぐりこんだ。
「狭いんだよ」
 やはり不動は不満を隠さなかった。久遠は黙ってその身体を抱きしめ、またらしくないことをした、と思ったが、しばらくすると不動の寝息が聞こえてきたので自分も眠ることにした。
 確かに狭かったと、翌朝の身体の軋みで実感したけれども。



2010.9.13