Only I want







 欲しいものを書きなさいと神様から白紙を手渡されたかのように自由な気持ちで手を伸ばせば久遠は抵抗せず、ただわずかに眉をひそめて不動を見るのだった。
 蛍光灯の白い光の落ちる下、翳るのはその目元と髪に覆われた。
 見えないのか、と尋ねたことがある。
 冗談でさえあった。しかし久遠は答えなかった。だから、もしかしたらとも思う。見えない左目がそこに埋まっているのだとしたら? 感情に乏しい右目以上に、まるで死んだような眸がそこにあるのだとしたら。
 いや、その左目が生きているのなら。
 欲しいものを何でも手に入れてきた人生ではないが、欲しいものを何でも手に入れたいと力を尽くしてきた若干十四の人生だ。
 力があれば手に入れられる。力とは? 久遠を組み伏せるだけの力は不動にはまだない。体格も何もかも及ばない。
 俺の力? 目の前のこの男は俺を見ている。感情を見せない右目で。
 既に欲しいから手を伸ばすという季節は通り過ぎた。手を伸ばす前に考える。何故欲しいのか? どうして焦がれるか。しかし今は特に考えることもなく、不動は手を伸ばしたのだ。
 ただ無心に伸ばした腕で久遠の太い首元を掠め、近づく。遮るものもなく胸の触れ合う距離に。
 鼻先で匂いをかぐ。人の匂いさえしないと錯覚したのは、今だ目の前の顔に表情がないからだ。
 神様など信じてはいないが、多分白紙は本当にどこかから不動に手渡されていて、それに好きに書いていいのだと彼は確信した。だから少し微笑んで額を触れ合わせた。
 左目を隠す髪。そっと鼻先を埋め、頬ずりをする際で離れ、また吐息と一緒に近づいた。
 不動は軽く瞼を伏せ、唇で久遠の目元を辿る。目が開いているのが、まばたきをするわずかな皮膚の震えで分かる。
 キスではない、辿る。顔をすり寄せ邪魔な髪をどかし、睫毛が唇に触れて内心に少しだけ驚く。自分の瞼も震える。
 久遠の眸は怖じず、閉じない。その瞼の上に口づけを落とす。
 何が見えているのだろう。それも欲しい。そう書いてもいいだろうか。神様にお伺いを?
 久遠の左目。自分が子供の頃から世界が自分に隠してきた宝物を全部引き換えに、いつもすぐそばにあって決して久遠が自ら与えようとしない視線を。彼が見ているものを。影を越して見詰めている世界を、全部俺のものに。
 不動には見えない、久遠はかすかに表情を変化させた。翳った右目が、不動の肩越しに白く染められた世界を見た。何でも欲しいものを一つだけ与えようと神様に言われたかのような、何もない白い世界を。
 かつて手に入れられたものを自ら手放した。今、手の中にあるものは何一つ自分のものではない。本当は娘さえ。何もない世界の中で、ただ目の前の少年だけが胸の触れる距離で鼓動を打っている。無心の欲に手を伸ばしている。
 久遠は軽く腕を伸ばし不動の身体を支えた。ゆるやかな拘束の中に、細い身体はしっくりと収まった。囁きのような吐息が左目を掠めた。
 失われるものが何もない世界で手に入ったのは左目と、世界の全て。不動は今や自分が欲しいものを手に入れ、同時に自身も久遠に与えられたのだと悟った。だから安心して微笑を顔に馴染ませ、彼のものであるその細い腕で彼の身体を抱いた。首を、ゆるやかな拘束の下に。
 蛍光灯の白すぎる光の下に、いつでも解けてしまいそうなゆるやかさで重なり合った時間は止まる。願いを叶えた神様は、もうどこかへ消えてしまったので。



2010.10.25 またさけるさんのイラストを拝見した勢いで書いた、半ばストーカーのラブレターのようなもの