under the duvet #3







 別の男と寝ることは意外と簡単だった。そもそも最初から不動のセックスには愛も情も快楽さえなかったのだから。必要なのは技術と恐怖心の克服だった。彫師のタカナシは「お前がやってることは売春だ」と言ったが、結果的に部屋からは最初の男が追い出され、セックスの前に必ずシャワーを浴びる男が金と共にやって来るようになったのだ。
「お前見てると痛々しいよ。俺十三の時何やってたっけ」
 タトゥースタジオで黙々とAVに見入る不動にタカナシは言う。
「鵜呑みにすんじゃねえぞ。男だから妊娠はしないけど怖いことは山ほどあるからな」
 と、不動の目の前にエロ雑誌を積み上げる。これもこれでどうなんだよ、とは思ったが、こうやて地下に篭ってエロに囲まれているのを自覚すると息が詰まった。地下でエロの勉強。部屋に戻ったら乏しい食事とセックス。あのワンルームにも日は射さない。太陽をしばらく見ていない。
 サッカーボール、と思い出す。しばらく触っていない。
 自分の行動範囲内であっただろうか、どこか思い切りボールの蹴れる場所。
 ビデオを消しタトゥースタジオを出る。地下室を出る直前、ドアに自分の影が映る。不動は頭のラインを指で撫でる。新たに入れたタトゥーペイントの赤が指の下に走っている。
 階段を見上げると入り口に逆光の人影があった。短いスカートから足がすらりと伸びているのと髪型の特徴的なシルエットから、なるほどこの女が忍か、と不動は思った。
 シルエットは確かにあの日不動がタトゥースタジオに入るキッカケになった女のもので、覗く右目がぎらりと不動を睨みつけた。退く気配もない。
「…何よ」
 女が言った。不動は黙ってその横をすり抜けようとした。
「アンタでしょ、春からこの辺うろついてんの」
 彫師と同じことを言う。
「お前か、忍チャンってのは?」
 すると彼女は見事な反射速度で不動に向かって蹴りを繰り出した。不動はわずかに胸を反らしてそれを避け、自分に向かって真っ直ぐ伸びる足を掴んだ。
「…パンツ、見えてるぜ?」
「だから何?」
 怯む様子もない。不動は遠慮なくスカートから覗く下着を眺める。ピンク色。レース。まだ似合わねえだろ、というのが正直な感想。意外とムラムラしない。
「いつまで見てんのよ!」
 高い怒りの声と共に引っ込んだ足が再び顔面を襲おうとしたが、不動は今度はしゃがみこんでひらりと舞うスカートからパンツが覗くのを見た。
「いい蹴りしてるな」
「ざっけんな、何度見れば気が済むのさ」
「じゃあ見料払ってやる」
 不動が手を引くと彼女は慌てて何すんだよ!と手を離そうとする。それをぐいと引き寄せ、鼻の先で不動は笑ってみせた。
「奢ってやるって言ってんだよ、忍チャン」
「うっさい、名前で呼んでんじゃないわよ馴れ馴れしいな!」
「へえ?」
 小鳥遊という名前を彼女は紙ナプキンに書いた。
 店はミスタードーナツで、目の前にはクリームの溢れ出る甘ったるいものが山と積まれた上、カップの中身はストロベリーシェイクだ。
「サッカーとかやんねえの?」
 不動がコーラを飲みながらさも当然のように言うと、小鳥遊は「はあ?」と目を丸くした。
「意味分かんないし。あたし女だし」
「女とか関係ねーだろ」
「それどういう意味よ」
「いい蹴りしてるって褒めてんだぜ?」
 小鳥遊は褒めてねーしそれ絶対褒めてねーしとシェイクをすする。不動は当然の反応に諦めの笑いを浮かべたが、くっそ、と口の中で小さく呟いた。
「あーマジサッカーしてえ。しないと死ぬ」
「そんなにサッカーしたきゃお家に帰んなよ不動チャン」
 山盛りのドーナツの向こうから小鳥遊が笑う。
「こんなとこうろうろしてないでお家帰って学校行ってサッカーすればいいじゃん」
「それができりゃこんな所にいるかよ」
 しかし小鳥遊は突っ込んだことを聞こうとせず、ドーナツの山を崩すのに夢中になっていた。それは驚くことに彼女一人の腹に全て収まった。
 久しぶりに歩く日の当たる商店街にはフットボールフロンティアの張り紙があった。今年の愛媛代表はどこだっただろうか。少なくともこの付近の公立校ではなかった。
 小鳥遊は不動が見詰めるそれを見て、うっわありえないと笑う。
「青春!とか似合わないよアンタ」
「青春じゃねーよ。サッカーがやりてえんだ」
 その時、道路の向こうから見慣れた黒塗りの車が走ってくるのが見えた。不動は黙って小鳥遊から離れ、車に向かって笑いかけた。車は不動の脇に止まった。
 スモークウィンドウが下がり、一番の上客が顔を見せる。
「何してた」
「何も」
 不動は綺麗な笑顔を作り、どこ行くの、乗せてってよとねだる。
 ウィンドウが上がり、黙ってドアが開いた。男の隣に乗り込んだ不動は一瞬だけバックミラーを覗き見た。小鳥遊は今まで不動といたことなど忘れたかのような雰囲気で店のウィンドウを眺めていた。

          *

 それからの一年で変わったことと言えば自分にも顎で使える人間が出来たこと、あのタトゥースタジオは出入り禁止になったこと、小鳥遊がサッカー始めたこと。
「アンタ本当にヤクザの愛人みたいよね」
 小鳥遊の表現したその一言で彫師のタカナシは本気で不動に対して怒り、もうここには来るなと言い、忍にももう会うなと叫んだ。
 セックスをする場所が変わった。小鳥遊が言ったとおり、今では事務所のデスクの上でさえできるご身分だ。あれから更にテクニックやくだらないプレイを覚え、そんな自分を忘れセックスの中から快楽を掬い取る方法を覚えた。よがり声を上げ、適度に切なそうな抵抗を織り交ぜる。今ではあの汚いワンルームですることはほとんどない。時々眠りに帰るだけの場所だった。
 彫師は会うことを禁止したが、小鳥遊忍は自分から不動に会いにくる。街で見かければ声をかけ、くだらない話をし、山盛りのドーナツを食べ終えると去ってゆく。不動は自分の財布にドーナツ代を含めることが普通になった。ポイントが貯まってもらった景品は全部小鳥遊にやった。その時だけ小鳥遊はありがとうと言った。
 必要なものは現状維持などという生ぬるいものではない。日々暴力による屈服、セックスという対価。合間に誰かの買ってきたマクドナルドを食べながら、これだけの人数がいればサッカーができるんじゃないか?と頭の中で布陣を敷く。実際にはワンルームでリフティングをするくらいしかできなかったが。
 転機はその年のフットボールフロンティアが終わった頃だ。事務所で一番奥のデスク下に隠れフェラチオをさせられている間、頭上を飛び交った言葉。
 サッカーの上手い子どもを集めている。
 吉良財閥。
 帝国学園の総帥だった男が…。
 人がいなくなりようやく解放された不動は、トイレの小さな洗面台で口をゆすぎながらさっきの言葉を反芻していた。
 この田舎都市に巣食うのとは比べ物にならない大きな力が手を伸ばしてくる。しかもサッカーのできる人間を集めている。自分のような中学生を。
 吉良財閥の名前は事務所にいれば何度か耳にしたことのあるものだ。それに帝国学園と言えばフットボールフロンティア四十年間無敗のサッカー部。総帥の名前は…。
「明王!」
 呼ばれて顔を出すと、今から出るからさっさと出て行けと言う。
「大事なお客様とやらをお迎えに行かなきゃならないんでな」
「影山零治?」
「…知っているのか?」
「俺もサッカーやるからね」
「強いのか?」
「ついてっていい?」
 いつものように隣に乗り込み、大人達の言葉に耳をすました。吉良財閥の後押しでこの地に多額の金が流れ込んでくること。彼らにとってビジネスの主体は子どもを集めることではなく、何かを造ることによってばら撒かれる金の流れにあるらしかった。
 こいつらはサッカー素人だしな、と不動は興味のないふりを装って思った。
 市内でも有数のホテルの上階に近い部屋、カーテンを閉め切った暗い中に影山は黙然と座っていた。痩せた男というのが第一印象だった。不動は最初に自分をレイプした男を思い出したが、あれとは痩せ方が違う。あれはクスリのやりすぎで痩せていたのだろうが、目の前の男は力の為に不必要なもの、情やぬくもりといったものを削ぎ落としてできた身体のように思えた。
 力だ。力の為に行使される身体をこの男も持っている。
「…そこの子どもは?」
 影山が口を開いた。
 男達が答える前に不動は前に出た。
「不動明王。ミッドフィールダー。サッカー選手集めてるんだろ。俺なら役に立つぜ?」
 ふん、と影山は鼻先で笑ったが、不動を残して他の人間を帰らせた。
 真っ暗な部屋に二人だけ残る。遮光カーテンは完全に日の光を塞ぎ、今が夕方なのかそれとももう夜になってしまったのかも分からなかった。
「あんたがあの帝国学園の影山総帥ね…」
 不動は近づき、この暗闇の中でも男がかけているサングラスを外そうとしたが、影山はその手を払った。見えないと分かっていたが、不動は綺麗に笑ってみせた。
 手のひらで触れると服の上からも痩せた身体が意外と筋肉をまとっていることが分かった。不動は手を下へ滑らせる。
 キスはなかった。不動は自分で影山のものを立たせ自分からその上に跨った。影山は前をくつろげただけだったが、不動は全裸にさせられた。高い嬌声を上げると「耳障りだ」と囁かれそのまま首筋を噛まれた。
 ベッドには一度も行かず、三回やった。冷たい身体だった。本当に何もかも削ぎ落としたような身体に乱暴に貪られた。三度目で影山はようやく射精し、その頃不動はテーブルに押さえつけられた身体をいいように揺さぶられへとへとになっていた。
 壁伝いにようやくバスルームへ辿り着いた不動は、そこで初めて全身に残された赤い痕を見た。今まで関係してきた男の中でもここまでする人間はいなかった。キスさえしていないのにと不動は呆れ、シャワーコックを捻った。勢いよく降ってくる湯に鏡の向こうの自分は滲んで消えた。
 バスルームから出ると、影山は男達が残していった荷物の中からDVDを取り出し見ているところだった。そこには今テレビを騒がせているエイリア学園と雷門中サッカー部の試合が映っていた。元帝国学園の10番だった鬼道もいる。
「20対0で負けたアレだろ?」
 不動が言うと、影山は初めて不動の存在に気づいたかのように振り返った。そしてバスルームの明かりに素裸の不動の姿を見た。
「…ミッドフィールダーだと?」
「お役に立つぜ」
「お前が背負えるか、10番を」
「俺の力を見てみろよ。そいつにだって」
 不動は画面を顎でしゃくった。
「負けやしねえよ」
 すると影山は心底おかしそうに、低く、低く笑った。
 画面の中には傷つき倒れる鬼道有人の姿があった。



2010.11.1