先生が煽ったんですよ?


 炬燵の下に猫でもいるのかと、戯れを考えなくもない。膝を掠める爪がある。楽しげである。だが執拗である。熱心と呼び換えた方がよいのかもしれない。が、こっちを向けと呼ばれているのかと言えば、まあ、そうではあるのだが、あまりに単純でも物事は面白くない。なにせ長い冬の、日曜の夜であるので。
 向かいに座る山本の顔は新聞で半分隠れている。今朝届いたそれの、どこに今更熱心に読むような記事があるのか。しかし呼吸は落ち着いたもの。時折紙を捲る音も急かず、落ち着いたもの。
 ――爪先。
 炬燵の下でその爪先ばかり、子供のように悪戯をしかけてくる。田代は俯いてノートに視線を落としてはいるが、ペンは一点に止まったまま、もう動かないし、文字も紙面も見えてはいない。掻かれる膝小僧にばかり意識が向かう。瞼を伏せればオレンジ色のむっとする熱の下で山本の足先の、硬い爪が狙い澄まして膝を引っ掻くのが見える気がした。掻かれるたびに膚の下にむず痒い痛みが沈む。染み込んで骨に絡みつく。一度、姿勢を変えてみたのだけれど、山本の爪先は追ってきた。だから、足を伸ばした先でたまたま見つけた暇潰し、ではなく、硬い爪には意志が宿っている。
 田代はペンを置き、ノートの上に伏せた。微かに息を吐くと、山本の声に出さず笑う気配があった。膝のほんの少し内側のなぞられれば田代の肩は震えた。降参には早い気がするのだが、放っておけばこの悪戯、どこまで。
 もどかしい熱を煽り続ける爪先を、むずと掴むと、抗いはしない。逃げようともしない。反撃、するならばせよと言うことか。あなうらを指先でなぞれば、くすぐったそうに、楽しそうに笑う声が鼓膜を叩いた。踝を撫でたところで、さてこの先どうするか。たまらないのは自分の方なのだ。
 結局手を離し、恨めしそうな視線をちょっとだけ遣った。
「…怒るか?」
「怒ってなんか…」
「何か言いたそうな目だ」
「そのよう見えますか」
 最後の意地である。
 山本は悪戯っぽく片方の眉を持ち上げる。
「なるほど、疚しさを抱えたのは俺の方だということだ」
 足が引っ込む。炬燵の上、手が伸ばされる。頬に触れられ、一瞬逃げようかとしたが、結局包み込まれるまま委ねた。
 手は首筋まで滑る。喉を撫でられると、猫のように喉を鳴らしたくなったのはこちらの方だ。すっかり目を瞑り、ねだるように首を伸ばす。
「ちっと遠い」
 もどかしげに山本が言った。田代は薄く開いた瞳で少しだけ笑った。
「先に始められたのは先生ですよ」
「お前が乗り気になるからだ」
「僕のせいですか」
「…いいや」
 炬燵で寝ては風邪を引くから、は言い訳ではないのだが。
 素裸で滑り込めば、布団の中は炬燵のどの熱はないものの包み込む心地よさがある。相手の夜着の胸元に縋りつき、無言でねだる。それまで耳や首筋に降っていた口づけがようやく頬に触れると田代の身体はふるふると余韻を残して痺れた。
「先生」
 唇を重ねる前に、相手の首に両腕で抱きつき、眼鏡なしの布団の闇の中、全身で存在を感じ取る。膝をすり寄せれば絡みとられる。骨を伝って悦びは背筋に達した。声を微かに震わせながら、先生、お返事を、とねだった。
「なんだ、陣基」
 こちらから唇を寄せるも、下唇を食んできたのは山本の方。闇の中でも視線は合う。耐えきれずに目を伏せようとしたのを、今度は力強い腕が自分の首を抱いて逃がさない。
「…たまりません」
 囁くと、
「俺も、同じことを思った」
 低い声が照れを隠さず、これは開き直りか、たまらん、と呟く。腰が痺れた。触れたら溶ける、と思う。思いながら身体を押しつけ、先生、先生、と囁く。ねだる。それを封じるように山本は噛みついて、舌まで食んだ。