微睡みと誘惑


 夜の暑さはいつの間に扇風機の風に吹き飛ばされたか。否、縁側から吹き込む風なのだ。山の木々の間を渡り、夜露に冷やされた風がもったりとした空気を拭い去る。気づけば剥き出しの腕が冷たい。
 月はまだである。寝て待ってもまだ間があった。しばらくは布団の上に横になったままぽつぽつと待ち長い時間を潰すような言葉をこぼしていたのが、途切れ、静まり返っている。目蓋の上にかかる光と思えるのは月ではなく、蚊帳の波の残像だ。
 薄い布団を掛けられる。昼間繰り返した暑いという言葉が嘘のよう、今は恋しいぬくもりが冷えた身体を覆う。田代は息を吐き、小さく寝返りを打つ。
 布団をかけた腕は立ち去らず、首筋や耳の上に遊ぶ。少し伸び始めた髪を摘まれ何度も撫でられ、それに答えたいという熱がじわじわと身内に溜まったが、逆に肉体は心地良さのまま眠りの更に深いところまで沈もうとするのだ。
 目蓋を開けられない。それでもすぐ側に彼がいるのは分かっている。蚊帳の内、一人きりはない。二人より多いこともない。夢うつつに伸ばした手が相手の胸に触れた。空気の栓でも抜くように息が漏れた。
「せん、せい」
 なんだ、と答える声は耳に柔らかく、しっとりと重い。鼓膜に染みこんで蝸牛を伝わるのにも何度も反響する。一言を何度も繰り返し聞いたかのよう。それは耳に触れる指が同じように問うからだった。
 指先に力を込め浴衣の襟を掴む。腕に抱き寄せられるが、これではまだなのだ。せんせい、と囁くと耳に触れていた指先がこめかみに滑る。眠たい目尻の側を撫でる。
「せんせい」
「どうした」
 目蓋は重かったが返事をするに億劫なのではなかった。ただ、せがむことへの浅ましさが思考の衣をほとんど剥いだ今の己にも残っているのだと、恥ずかしさの中で思った。今更、この人を相手に何を恥ずかしがることもないのだが。秘すれば花。言わぬ言葉こそ真。
 相手の喉元に額を押しつけ、せんせい、と掠れた息を吐きかければ、夜気に冷えた膚をなぞる指先も不穏なものへと変わった。
 ほんの僅かに暴かれた浴衣から覗く膚と、触れる夜気を払ってしまう熱まとった指、掌。触れられ、身を震わせれば、低く唸る声。