賞賛
雨上がりの山の匂いが香る。着ているものを落とした瞬間、肌を包んだ夜気に雲の向こうの月光さえかいだ。 雨の夜だからと、雨音と夜陰にまぎれるように忍び込んだ寝間の、閉めた襖の音さえ耳の奥から消えぬのに。 止んだな、と囁く声に目を伏せる。止まないでほしかったと、我が儘は胸の中で呟いた。 裸の背中を掌が這う。山の気配に、夜気に、切り込むような墨の香りだ。刃の怜悧と鋭利だ。膚の下で魂が、つ、つ、と血を冷たくしながら追う。 「どうした」 「残念です」 吐く息が笑っている。障子の向こうがぼんやりと明るくなり、気配はより明瞭な輪郭を持った。 「先生」 影の、裸に重なる。仄かでひやりとした月光を遮り、重なるのは既に熱い膚である。首筋に触れる気配に、身体が傾いた。掴まえるように触れられた。それだけで今日を最後に人生が終わってもよいと、心底思う。 墨の香りを纏う、しかし思いの外乾いた指に唇を落とせば胸が苦しかった。指先まで熱い。燃やして、殺してくださればよい。あなたがそうさせた。僕の血の色を変えた。そんな人は、この世のどこにもいない。 「先生」 あなたの他に。 膚にぴりりと走る痛み。痛痒は首筋から走り、耳を痺れさせ、目蓋を震わせ、心臓に痛みを与えた。 「苦しい」 ぐ、と肩を掴まれた。目蓋を開いた。眼鏡を外される。目を細める。焦点が合わない。す、と伸びる手の影が身体を押した。背中からゆっくりと倒れた。布団の上で息を吐くと、指の背が目元を、頬を撫でた。陣基、と掠れた声が呼んだ。確かに情欲を聞いた。その喉に手を伸ばす。 遠くの山を、また雨の打つ音。夜気が揺れる。だが、熱を越しては届かない。障子の白い影に、仄かな月光と溜まるばかりである。先生、と呼ぶ声は低く潰える。 |