北の道場で
時々彼が、もらう、煙草の。火を移すその時、間近にある顔を見るのが妙に恥ずかしい気がしたことも事実。相手は若すぎる。何度そう繰り返したか。若すぎるということもありません、と久しぶりに会った禿髪の女は言った。まだ少女の面影を残す女は十七で嫁いだ。 「しかしなあ」 道場の、磨き上げられたばかりの濡れ縁に腰掛け煙草に火を点けると、あらあら気づきませんで、と北の妻は立っていって灰皿を持ってくる。 「失礼いたしました」 「君は呑まんな」 「呑みません」 「北に火は点けるか」 「点けません」 マッチを差し出すと桜尉は身体を傾けそれを受け取った。戻らない。すぐ側に顔がある。 「燐の匂い、好きです」 大きな瞳がこちらを見上げる。 「照れまして? 先生」 「娘か、孫か」 「照れませんわね」 ではその方は子でも教え子でもないのかしら、と桜尉は姿勢を直した。 「弟子だ」 「お弟子さんですか」 「悪くない」 「どう悪くないんですの」 「真面目だな」 「そして?」 「頑固だ」 「男らしい方?」 「一見、そうは見えない」 「実は違うんですか?」 「意外に大胆である」 「お会いしてみたいです」 「武道館に顔を出せ。たまにおるぞ」 「北が許しませんの」 ふ、と煙を吐く。輪の形を、隣から、ふ、ふ、と吹く息が空へ押し流す。 「その方、煙草を吸われますのね」 「俺が教えてしまったらしい」 「まあ…」 禿髪の細君は声をひそめ告げ口するように言った。 「悪い先生」 煙を呑む。喉を焼く。肺に留まる。弟子を思い浮かべる。浮かぶのは小さな赤い火に染められた指先やら、鼻梁の形やら、眼鏡の反射やらだった。 目を伏せる。 「私も吸ってみたくなりました」 「駄目だ」 「ひどい」 「ひどくなどあるものか」 「じゃあ、ずるい」 少女の素直な声が叩いた。 「ずるいです、先生」
2014.3〜4月
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