ロストエモーション




 表情と感情の間に齟齬がある。むしろ後付けの感情が置き去りにされたような。ならばこれがこれで葉の剥き出しの心なのだろうと、遠い昔の幼い顔を思い出しながら真木は今また自分を両腕で押さえつける青年の無表情をじっと見た。強面の自分が強い視線を固定すれば睨まれた相手は目を逸らし退散するのが常だが葉には効かない。まして今の葉には効くはずもない。感情は反響せず、こだまもなく、そのうつろで冷たい表情に掻き消され、冷たい船室に消えるのだ。
 だが常にないはずの肉体的強力で自分を押さえつける葉の、その瞳の奥に目を凝らせば見えてくるものは、たしかに剥き出しの、あまりに危うい熱だった。人として名前を付けられる以前から肉体の内側に宿っていたもの。抑され圧されてきたコントロール不可の欲動だ。暴れる葉を抑えるのは少佐の役目だった。兵部京介な同志であり主であり兄であり父。だから兵部の手にならば、葉は自らの意志で自らを取り戻しいつもの葉に――育まれた葉に――戻るだろう。しかし自分は。
 互いに組織でも世の中の役割としてもそれなりの立場だ。年齢だって足りないということはない。だから穏便に解決する方法があるのならばそれがベストであるし、まして更に年配の自分がここで何が嫌だのと我が儘を言うのも吝嗇になるのも相応しくない。それに――あの人に秘密を持てるものかは自信がないが――少なくとも今、この夜に、彼を起こしたくはなかった。
 真木は諦めて身体の力を抜き、首を反らせた。ベッドから髪が半分なだれ、不安定な気持ちがした。葉はまだ無表情のままだった。獲物を目の前に笑うのは、誰が教えた感情だったろうか。ネクタイを緩める。薄目の視界にのしかかる姿を見た。葉の身体は真木の上に沈みかかり、喉に歯が立てられた。葉の瞼は静かに閉じた。あとは歯が、舌が、指先がその肉体が知り得る限りに知り得るものを暴くだけだった。




2014