蟇郡苛の校務と満艦飾マコの休息




 いつの間にか早朝会議の席で自分の目の前に座っている女が果たしてあの日纏流子をおびき出す為の人質になった女と、またある日学校を目指す物理的な人の波の中から現れ勢いだけの理論で自分を圧した女と、つまり纏流子の親友であり纏流子のために笑顔で尽くしてきた女と同一人物なのかと、今更愚問ではあるが苛は一度自分の記憶に問い、別人である訳がないと常識的な解決を見たが、やけに肌の白く見えたことである。階層が上がれば色つやがよくなるのが常だが。午前七時の陽に、満艦飾マコの顔は青白い。
 目の前に出された書類の束を見ればその働きぶりは先まで貧民街の暮らしにどっぷり浸かっていた無星とは思えぬほど精力的で、はぐり読みをしただけでも実の伴った仕事だと分かる。その優秀さはどこに埋もれていたものか。だがこの女は纏についている。この仕事も地位も纏いてこそだ。この本能字学園に、鬼龍院皐月にあだ為す限りどれだけ有能であろうと、満艦飾は愚かだと言わざるを得ない。力の使い道を間違っている。苛には迷わぬその道がただ一つ見えているから尚、満艦飾の愚かしさは白日の下の影のように目につき憤怒の感情さえ湧く。目の前に座る女は伊達眼鏡の奥でつんとすましている。
「授業時間の部活動への充当は稟議にかけた後…」
「歯切れの悪いお返事ですね。まあいいですよ、待ちます。流子ちゃんも疲れてますから今日くらい真面目に授業に出て身体を休めてもいいでしょう。明日には御回答いただけますか、蟇郡先輩?」
「馴れ馴れしいぞ」
「特別おかしいとも思いませんけど。では色よい御返事をお待ちしてます、風紀委員長」
 ベルが鳴り渡り惰性で会議に参加している面々が椅子を引く不愉快な音やのろのろと立ち上がる音で会議室はざわついた。満艦飾マコはカッと音を立てて椅子を引き、そのざわめきを引き裂いた。白いヒールの踵がキュッと音を立てた。踵を返し立ち去る姿は颯爽としており、周囲を取り囲んでいた二つ星の生徒どもも黙って見送るばかりだ。
「満艦飾」
 苛は書類から目を離し、ちらとマコの後ろ姿を見た。細い背中は扉の前で逆光となっていた。
「まだ何か」
「構成員の健康診断書は部長である貴様のものも必須だぞ。ここには纏流子のものだけだ」
「ああそんなものですか。最後のファイルですよ。薄いのがあるでしょう?」
 それだけ言って立ち去るのを周囲は憤慨したが、苛は黙って自分の見落としていた薄いファイルを捲った。体重が減っているなとすぐに気づいた。何故減る前の体重をいちいち覚えていたのか、その疑問に苛自身は気づかなかった。
 その日午前の授業には、態度はどうあれ出席していたらしく、姿が見えなくなったと耳に入ったのは昼休みのことだった。探す必要もない。苛は医務室に向かった。マコはカーテンに囲まれたベッドで眠っていた。保健医も買収済みと安心したのだろうが、苛が目の前に立てば金に塞がれた口も軽くなるというものである。とは言え、大した話ではなかった。健康診断の結果も偽装はなし。時折授業時間にも寝にくるが出欠をとった後だからそれを出席としてそのまま報告したのは教師の側の怠慢だ。
「で、その後はずっとサボりか」
 だがそう長くも眠らないのだという。長くても半時間は寝ない。起きたら栄養ドリンクを一気に飲み干し、すぐさま纏流子のもとに向かうとのことだ。
 保健医には出て行けと言った。カーテンを開けると薄暗い影の中、硬い表情のまま眠る満艦飾マコの姿があった。ジャケットはベッドの柵にかけ、ブラウスのボタンも幾つか外してはいる。片時の眠りだ。深い呼吸に胸がゆっくり大きく上下した。開いた胸元からピンク色のレースが覗いた。胸を覆う下着のレース。苛は手を伸ばし胸の曲線から喉元へ指の背を滑らせた。
 ひどく、冷たい。
 廊下で吸っていた煙草を慌てて窓の桟に押しつける保健医に妙な動きがあれば報せろと言い、だが別に実りのある報せもないだろうと苛は内心解っていた。あんな冷たい身体ではこの学園生活を生き抜くことなどできはせぬ。倒れるのが先か、それとも喧嘩部の二人が生徒会まで食い込むが先か。手を打つまでもないかと思うが進言だけはしておこう。あの日、裸で寝るなど…と恐れもせぬ説教を垂れた満艦飾だが、今同じように言葉を返してやってよい。朝食も摂っておらんのか、夜も寝てはいないのか、いざという時戦えないのはどちらとなるか我が身にきくといい満艦飾。

          *

 足音の立ち去るのを聞き、マコの冷たい指は胸の上をなぞった。
「熱い…」
 ぽつりと呟くと何故かむしょうに哀しくなって、もう一度目を瞑ることにした。




2014